第10話 13年目 その3

 喀血の後始末を終え、寝台に戻った男は、窓の外の赤いおぼろ月を眺めながら、そういえば今日は月食の日だったと思い出す。この星の陰に入ったことで月が暗く、赤くなり、欠けてゆくように見えるこの現象は、太陽が欠ける日食や、突然夜空に現れる彗星と同じように、凶兆とみなされてきた。まだ若く健康であった頃は、迷信など全く相手にしていなかった男だが、病で体が衰え、弱気になった今は、こんな日に月食の周期が重なるなんて、偶然だと思うが、もしかすると、という思いを拭えなくなっていた。もしかすると、自分はこのまま病を悪化させ、近いうちにこの世を去るのかもしれない。


 馬鹿馬鹿しいことだとは思いつつ、男は次のようなことを考えた。順風満帆に進みそうに見えた自分の人生に、運命の陰りが見え始めたのはいつごろからだったろうか、と。


 男はそれほど小さくはない町の、地主の子どもとして生まれた。それは、何事もなければ十分将来を保証された、恵まれた境遇での出生だったと男は思う。由緒ある家柄に加え、ある程度頭脳明晰で、学校の成績もそれなりに優れていた男は、高等教育の最後の年に、官吏登用試験に合格し、晴れて生涯安泰とされる地位を手に入れた。彼に与えられた仕事は監獄の看守という過酷なものだったが、職場が実家のすぐ近くにあり、歩いて通えたので通勤だけは楽だった。目覚ましい昇進や出世、莫大な収入は期待できなくても、真面目にやってさえいれば、きっと、人並みの幸せは簡単に手に入るだろうと、男は自分の将来の安定を信じて疑わなかった。もしかしたら、この時からすでに没落の兆候は出ていたのかもしれない。この頃、周りの声に流されず、きちんと自分の将来を、自分の頭で考えて、選び取っていたとしたら…。


 よせ、これ以上、余計なことを考えるべきではないと、男は自分を戒める。もうどれも、過ぎてしまったことではないか。それに、白い霧の蔓延も、仲間の裏切りも、住んでいた町の滅亡も、少年のことも、自分の病だって、自分の努力次第でどうにかできるほど、簡単な問題ではなかったのだ。今はただ、残された時間を、少年と己のためにどう使うかだけ、しっかりと考えなくては。

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