第四章 愛は定め 3

 それ以来、露草とキュウは無二の親友となった。


 接しているうちにすぐにわかったが、キュウは賢い。

 露草よりもずっと物事を考えているし、結論に至るまでが早い。

 その代わりに運動神経は悪い。


 自然と役割分担が発生し、露草が肉体労働を、キュウが頭脳労働を担当するようになった。


 鉛丹の指導は基本的に戦いの術を実際的に教えるものであったが、彼は左道を悪しとはしなかった。

 いわゆる抜け穴、抜け道のようなやり方を、褒めはしなかったが、叱りもしない。

 彼が求めるのは常に結果であった。


 露草はともかく、キュウはすぐにそれに気付き、実践に取り込んでいった。


 たとえば鉛丹はよく課題で目標に至らなかった者を飯抜きにしたが、別の者が食事を分け与えることについては口を出さなかった。

 だが抜け道が全員に浸透してしまうとそれを禁止するので、慎重にやらなければならない。


 そのような情報共有のための派閥が教室内に発生し、生徒たちは大きく二つに分かれることになった。

 露草とキュウはどちらにも誘われず、孤立したが、当人たちはむしろ安心していた。


 キュウの思いつく左道は独創的で、他の者からは出ないやり口が多く、情報共有は露草たちにとって不利益のほうが大きいとキュウが判断したからだ。


 そしてキュウの分まで肉体的に動くことになった露草の運動神経は、ようやく非凡の域に差し掛かろうとしていた。


 露草は障害物の多い場所での三次元行動に適正があった。

 壁を走ったり、蹴ってより高く跳んだり、というような立体的な行動が得意になった。


 さらにキュウが開発した鋼線射出巻取機によって露草は空中でも自由に移動ができるようになった。

 極細の鋼線は移動の補助としても、武器としても優秀であった。


 このことからもわかるとおり、キュウは手先が器用な上、新しい物を作り出せた。


 彼には価値があった。

 だが蜥蜴族として向けられる差別感情によって、誰もそのことに気付いていなかった。気付いているのは露草だけだ。


 鋼線射出巻取機はまだ袖に隠せるほど小さくはなかったので、実際的に使うことはできなかったが、露草は時間を見つけては訓練を行った。

 キュウなら必ず小型化して、実践で使えるように仕上げてくると信じていたからだ。


 信じる。

 信じられる。

 そのような人の存在が、人生にとっては灯火となる。

 進む道を見つけるための標になる。


 露草はキュウを信じたし、キュウも露草を信じているのだと感じていた。


 気が付けば最下位だった露草たちの組は鉛丹の教室で真ん中くらいの立ち位置に上がってきた。

 派閥に属してはいないが、完全に無視はできないというほどの発言力を得た。


 鋼線射出巻取機は袖に収まる大きさになり、キュウはそれに一縷と名付けた。


「露草、君はこの装置に頼り過ぎている。だから一縷という名は戒めだ」


 この頃にはもうキュウの言葉から不自然さは消え、露草に敬称をつけなくなっていた。

 嬉しくもあり、なぜか寂しさもあった。


「頼っているんじゃなくて、信頼しているんだ。貴方の作った物だもの」


「そう言ってくれるのはとても嬉しいよ。露草。だけど一縷は重い。鋼線の長さや、重りの数にも限度があるし、増やすとそれだけ重くなる。危険な状況では君の助けになるどころか、足枷になりかねない。誰も一縷の糸に自分の運命を載せたりはしない。だからいざという時は迷わず捨てるんだ。いいね」


 キュウの言う通り、一縷は敵の意表を突くための道具だ。

 初手で最大の効果を発揮して、その後は効果が下がる。


 危険な状況を脱するための奇策ではない。

 重量によって動きが制限されることもあり、初手で使って、長引くなら捨てるのが最善だ。


「わかってる。ちゃんとするって」


「そんな感じの時の君はわかってない」


「大丈夫だって。実用性はもうわかってるし、この重さなら使える」


 キュウは肩を落としてため息を吐いた。

 この短期間に随分と猿族に染まったものだ。


「まあ、本命はこっちだ」


 そう言ってキュウは木箱を机に置いた。

 開けるように仕草で促されたので、露草は木箱を開けた。

 中には藁が敷き詰められており、さらに油紙に包まれた何かがあって、露草はそれを開けた。


「銃?」


 それは拳銃と呼ばれる類いの銃であった。

 聴力の高い猫族である露草は銃が苦手だ。

 狼族ほど過敏な反応はしないが、近くで鳴る発砲音はどうしても克服できない。


「君は猫族だし、女の子だ。筋力の成長には期待できない。かと言って耳になにかを詰めてまで銃を持つべきではないと思う」


「うん」


 キュウの言うことは正しい。

 猫族は肉体的に強い種族ではない。

 愛嬌で、他の種族に愛されることで生存してきた。


 女性のほうが強い種族もいるが、猫族の女性は肉体的に男性に劣る。

 つまりどんなに鍛えても、限界はそれほど高くない。


 だが猫族の聴力は狼族には及ばないものの、他の種族の平均を大きく上回る。

 そこは強みだ。銃を撃つために耳栓をしてしまうと、それを失ってしまう。

 この有利は捨てられない。


「だからこの銃は音があまり鳴らないようにした。君でも問題なく使えるはずだ。音があまりしないから、注意を引きにくい。君の筋力の無さも補える。開発が間に合って良かったよ。静寂と名付けた。こちらは本物の切り札だ」


 鋼線射出巻取機に音の鳴らない銃。

 露草にはその凄さがわからなかった。

 もしもキュウが大戦中にその才能を発揮していたら戦況は入れ替わっていた可能性すらあるのに。


 蜥蜴族たちの敗戦は狼族が銃声に対して圧倒的に弱かったことにも一因がある。

 狼族が味方にいたために、蜥蜴族は銃砲の使用が制限されてしまっていたからだ。


「弾薬は?」


「煌土の規格に合わせてある。ここで流通している弾薬なら使えるよ」


「どういう仕組みなの?」


「拳銃にしては銃身が大きくて長いだろ。この中は細かい空洞がいくつもあって、銃弾を撃ち出す時の衝撃を分散して音を下げる。その分、脆くなってるから銃身で殴るなよ」


 理屈はまったくわからなかったが、銃身で殴ってはいけないことは理解した。

 キュウが求めていたこともそれだけだったので、丁度良かった。

 この二人はうまく噛み合っていたのだ。


「ありがとう。大事にするね」


「ちゃんと使えよ」


「わかってるって」


 露草たち組織の雛鳥たちは、いわゆる見習いの立場ではあるが、仕事はある。

 子どもだからこそ潜入がたやすい場所もあれば、油断を誘うこともできる。

 組織が必要だとした場合には雛鳥でも徴募される。

 そして最近、鉛丹の教室で話題になっている露草とキュウの二人に白羽の矢が立ったというわけだ。

 まあ、蜥蜴族が煌土国で外を出歩けるはずもないので、実際的には露草が仕事を熟さなければならない。


「平気かい? ボクが一緒に行けたらいいんだけど」


「ただのバラしだよ。子どもを一人。楽な仕事」


 詳しいことはまだ聞けていないが、黄都で子どもを一人殺してくるだけだ。


「食するためでもないのに子どもを犠牲にするだなんて信じられないよ。その子の魂はどこに帰ればいいんだい?」


 蜥蜴族は魂の帰還を求める種族である。

 彼らの信仰において魂は正しい手順を踏まなければ、元の場所に帰還できないとされている。

 自らの父祖に食され、その一部となるのは最上の手段だ。

 そうでなくとも誰かの血肉となることは次善の手段だ。

 蜥蜴族の葬式は、死んだ者の血肉を喰らう食事会である。


 だが血と肉を大地に大地に落とすことは良くない。

 渇き、干涸らびれば、その魂は永遠に帰れない。


 露草はキュウからそのようなことを聞いている。


「ここは煌土よ。死んだ人は冥府に行くの。だから心配はしなくていいわ」


 露草はキュウを慰めるためではなく、ただ淡々と事実としてそれを言った。

 猫族は住み着いた生活圏の文化をすぐに受け入れる。

 いま煌土の国にいるのであれば、煌土の文化風習が正しいはずだ。

 猫族はそう考える。


「ボクは君が心配だよ。露草。軽く言ってるけれど、命を奪うのは初めてだろ?」


「普段から食べている肉だって生きていた命だわ。生きるということは命を奪うことよ」


「それは命をいただくためだろう? 繋ぐ行為だ。でも今回は違う」


「違わないよ。金のために命を奪って、その金でご飯を買うんだもの」


 露草はキュウの体をぎゅっと抱きしめた。

 露草は本当に何とも思っていない。

 でもキュウが辛そうにしているのが辛かった。


 彼は何が辛いのだろう。

 わからない自分はどこか心が壊れているのだろうか。


「大丈夫。私はキュウを独りぼっちにはしない」


「食べるため以外で命を奪うのは良くないことだ。でもそんな決まりごとより、君の方が大事だ。渡した道具は、道具だ。壊れても捨ててもいい。君の身を守るために使うんだ。いいね」


 キュウは露草の背中に手を回し、優しくポンポンと背中を叩くと、体を離した。


「露草、君は強くない。だから誰かのためを考えるのはまだ早い。自分のために殺すんだ。君にならできる。頑張れ」


 キュウが心から言ってくれているのはわかる。

 自分を心配してくれていることもわかった。


「心配性だなあ。私はむしろ残していく貴方のことが心配だよ」


「なに、うまくやるさ。つまり静かにしてるってこと」


「なら安心だ」


 二人は額をぶつけ合わせ、笑った。

 未来は明るい。まだそう信じられるだけの光があった。

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