第四章 愛は定め 2

 昔の話をしよう。


 身構えるほど昔の話ではない。

 ほんの数年前。大戦の後だ。

 年寄りにしてみれば大した時間ではないが、子どもだと思っていた子が大人になるには十分な時間だ。


 露草はその頃にはすでに監獄にいた。

 物心ついた頃からずっと監獄にいたが、一番古い記憶を辿るとさらに昔の話になるので今は置いておこう。


 露草は不思議な子であった。

 猫族であるのに、あまり愛されない。

 猫族は例えつれない態度でも許されてしまうような愛嬌のある種族だ。

 拒絶のため顔を背けるその仕草も可愛いと思われてしまう。


 なのに露草には親もいないし、友達もいない。

 愛してくれる人は誰もいない。

 いつも泣きべそをかいている要らない子が露草であった。


 なぜ組織が露草を捨てなかったのかはわからない。

 猫族としての特性がわずかにでも働いたのか、それとも何か別の理由があったのか。


 とにかく露草は捨てられるのが怖くて必死であった。


 短刀の扱いを学んだ。

 毒の扱いを学んだ。

 銃の扱いを学んだ。

 男の遇い方を学んだ。


 とにかく教えてもらえることであれば何でも学んだ。

 しかし露草はいずれの道にも才を見せなかった。

 どれも人並みにはできたが、それを超えられるものが何一つとして無かった。

 努力の先が人並みという結論に至った露草は絶望した。

 それでは平凡にすらいたっていない。


 捨てられるくらいなら死んだほうがマシだと思った。

 だが死ぬのは怖かった。

 視野の狭まった露草には、このまま何もせずに捨てられるか、自ら死ぬかのどちらかしかないと思えていた。


 無様ではあったが、食らいついた。

 死んで何もかも無くなってしまうならいい。

 だが捨てられるのも、死ぬのも、その先にどうなるのかがわからなかった。

 わからないことは怖い。

 その恐れを力に変えて、人並みになる努力を露草は続けた。


 丁度その頃に鉛丹が雛鳥と呼ばれる見習いたちを集めて技術を伝えるための教室を開くというので、露草は参加することにした。

 それまで組織では技術とは盗むものだったが、真っ当に教えてくれるというのならそのほうがいいに決まっている。


 教室には露草より年下の子どもから、成人しているが未熟な者まで参加していた。

 四十人ほどだったか。露草は正確な数を覚えていない。

 とにかく偶数であった。

 それだけは間違いない。


 教室ではまず二人の組を作らされた。

 この教室内では後々まで組で行動することが多くなるため、慎重に選ぶように助言もあった。


 まず何をさせても優秀な者、一芸に秀でた者、そして人間関係を構築するのが上手い者、上手いとは言えなくとも並みの社交性のある者と、次々と組が出来上がっていった。


 露草は自分と組んでくれる誰かを探して声をかけようとしたが、まずそれができなかった。

 自分のような不出来な人間と組めば、相手に迷惑をかけてしまう。


 いっそのこと辞退しようか、などと思った露草に酷い訛りの擦過音のような声がかけられる。


「あの、おひとり、ですか」


 露草の知らない顔であった。

 種族としても見たことがない。


 薄茶色の鱗に覆われた肌には毛が一つも生えていない。

 大きな尻尾が床を引きずっていた。

 言葉を発するたびに鋭い牙が見え隠れする。

 猫族の露草からするとあまり心地良い見た目とは言えない。

 正直、少しゾッとした。


 蜥蜴族だ。

 つい最近終わった戦争で敗北した種族だ。

 ここ監獄に敗戦国で誘拐された子どもが入荷されるのはよくあることだ。

 先日も狼族の子どもたちがまとめて放り込まれてきた。


 だが蜥蜴族は本当に珍しい。

 魔王動乱期から猿族は徹底的に蜥蜴族を嫌悪してきた。

 勇者が魔族は知的な種族であり、習慣に違いこそあるが、人類の一員であると説いて回った時も、最後まで抵抗したのが猿族である。


 そして監獄を運営しているのは猿族だ。

 そのような組織が蜥蜴族の子どもを買うとなると、その動機はあまり心地良いものでないだろう。


「ひとり、だけど……」


 露草は周りを見たが、もう組を組んでいないのは自分とこの蜥蜴族の子どもくらいのようだった。

 つまり集まったのは偶数だったと証明されたわけだ。


「ボクは――です」


 蜥蜴族の自己紹介は聞き取れなかった。

 組織は引き取った子どもたちに猿族っぽい名前を与えるのだが、この蜥蜴族は例外であったらしい。


「ええと、猿族の言葉だと、九、ですかね。数字の、あってます?」


「さあ? さっきの言葉聞いたことないもの」


「ですよねぇ」


「私は露草。キュウでいい? 呼び方」


「はい! 露草さん」


「うん」


 自分は呼び捨てにするから、自分も呼び捨てでいいよ、とは言い出せなかった。

 ならばキュウさんとか、キュウくんとか呼ぶべきかもしれない。

 だけど最初にキュウと呼んでしまった手前、今更敬称を付けるのも変に思われるかもしれない。


「じゃあ組はできたみたいだな。ではまずは走れ。二人一組だ。どっちかだけ速くても意味ないぞ。運動場を十周だ。行け!」


 露草がまごまごと考えているうちに授業は始まってしまった。

 仕方なく露草はキュウと走り出した。


 結論から言うとキュウは足が遅かった。

 露草が軽く走ったくらいの速度が、キュウの全力疾走であるようだ。

 ただ持久力はあった。

 キュウは全力疾走を最後まで続けたのだ。


 それでも教室の中では最下位であった。


 鉛丹は生徒らに休む時間を与えない。


「では組の相手と組み手だ。武器は無し、当然だが殺すなよ。今は怪我もさせるな。面倒だからな。上手いこと手を抜いて、だが負けるな。さっさと終わらせたいな。十人負けたらそこで終わりだ。負けた奴らと残った奴らは晩飯抜きな」


 ええと、つまりどういうことだ。


 露草は頭もあまり回るほうではない。

 とくに急がなくてはならないような場合には焦ってなおさら訳がわからなくなってしまう。


「露草さん、とにかく勝負です」


 キュウはそう言って露草に掴みかかってきた。

 あっ、と思った時にはもうキュウのことを投げ倒していた。

 訓練を積んできた露草は人並みには反射で動いてしまう。


 腕が決まっていた。


「いたたた、負け。ボクの負けです」


「キュウ?」


 まだ訳がわからないままの露草だったが、そのような彼女にキュウは囁いた。


「ほら、早く、勝ちを宣言して」


「あ、えっと、勝ちました」


「ちっ、最下位が、今度は一抜けか。まあいい。お前、魔族を誑し込むのは上手いんだな」


 鉛丹の見下す瞳に露草は背筋が凍るような思いをした。

 自分のことを軽蔑されるのはいい。

 だがキュウが侮蔑されるのは納得が行かなかった。


「あ、あの、彼は、蜥蜴族です。魔族ではないです」


「呼び方が変わっただけだ。本質は何も変わらない。いいか、魔王動乱はあいつらが魔族だから起きたんじゃない。人を、そして自分たちの子どもを食うからだ。そいつも成長したらお前やお前の子を食っちまうかもしれないぞ」


 露草は言い返せなかった。

 キュウがそんなことしないと断言するには、まだ付き合いが浅すぎた。


「キュウ、ごめん」


「露草さん、貴方は優しい」


 何故か片言になったキュウはわたわたと手を動かしながら、チロチロと舌を出しては引っ込めている。


「ボクは九、兄弟の中で九番目に食べられるから九。あの人、言うこと本当。でもとても光栄なことなの。栄誉ある役割なの。ボクの血肉は父祖から与えられたものだから、父祖にお返しするの」


 キュウは非常に興奮しているようだ。

 だが言葉の意味が露草にはわからない。

 でもすぐにキュウは舌を引っ込め、しゅんと小さくなった。


「でも、ボクの父祖死んだ。ボク帰る場所無くなった。だから来た」


「来た? 貴方、自分から望んでここに?」


「ボクでも役に立てる聞いた。露草さんの助けになれて嬉しい」


「え?」


 しばらく遅れて露草の理解が追いついてきた。

 キュウが襲いかかってきて、咄嗟に反撃したから露草は今夜の食事にありつける。


「あ……、あああ!」


 誰かに優しくされるなんて露草の記憶には無かった。

 だから湧き上がるこの気持ちをどうすればいいかわからず、感情の赴くままに露草はキュウを抱きしめた。

 彼の肌は冷たくて気持ちよかった。

 キュウはびっくりしたように目をパチパチとさせていた。


 それが露草とキュウとの出会いであった。

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