第5話 滝塚市太白プラント事件―地上編③

【時刻:午後三時二十分 視点:水戸瀬敏孝】


 白く長い廊下。水戸瀬敏孝はそこを慎重に進んでいく。手にはその辺から拝借した消火器が。

 とりあえず、彼は手近な扉に手をかけた。しかし全く動かない。

 水戸瀬が扉のすぐ横を見てみると、何かを認証する機械のようなものがあった。


「……ネームプレートくらい借りてくるんだったな」


 水戸瀬はため息をつく。同時に、四階への階段の方から誰かが走ってきた。


 水戸瀬が振り向くと、そこには野崎と花巻の姿があった。花巻は水戸瀬の前で止まると、膝に手をついて息を整える。

 対して野崎はほんの少し息が上がっている程度だ。彼は自らのネームプレートを手に取る。


「太白プラントの部屋は、研究員しか入れない仕様になっておりまして。来客の場合は警備員室でビジター用のカードキーを貸し出しているのですが……」

「ぜえ、はあ。とり、あえず。私たちが、同行するので……」

「いいのか? いつ怪物に襲われるかわかんねえぞ」

「所長室、どこにあるかご存じですか?」

「……頼んだぜ」


 水戸瀬たちは慎重に廊下を進み、三階の所長室に向かった。野崎のカードキーでロックが開く。


「一般研究員のキーで所長室に入れるのか」

「ええ。監視カメラがあるので、中で不審な動きをしていてもバレます。所長は忙しいのであまり部屋にはいらっしゃいませんし」

「とは言え、常時監視されてて所長さんストレスで禿げねぇのかな」

「たまに監視カメラに手を振ったり手品を見せてくれたりしていますよ」

「随分お茶目だな……」


 所長室は応接室兼執務室のような構造をしていた。

 手前に重厚なテーブルとその両脇に高級そうな革張りのソファ。その奥に仕事机があり、机の周囲に本棚がいくつかある。

 入り口から見て右手にはサイドボードがあり、数々の研究賞の盾や賞状が飾られている。


 水戸瀬たちは本棚や机を調べる。その途中、水戸瀬はとても古びた分厚い本を見つけた。パラパラと頁をめくると、水戸瀬の脳内に鈍痛が走る。


「うっ!」

「どうかしましたか?」


 水戸瀬はすぐさま本を閉じ、元あった場所に戻す。そして右手を本棚につき、左手でこめかみを押さえた。

 目を通した時間が短かったためか、痛みはすぐに引いていく。彼は額に浮かんだ脂汗を拭った。

 水戸瀬の様子がおかしくなったことに気づいたのか、花巻が近寄ってくる。

 彼は片手で花巻を制した。


「……偏頭痛持ちでな。こういう時によく痛むんだ」

「大丈夫ですか? 私もここ一年くらい頭痛が酷くて……お薬使います?」

「気持ちだけもらっとくよ」


 花巻は白衣のポケットに手を入れたまま、心配そうに水戸瀬を見つめている。

 野崎は水戸瀬の方をちらりと見ただけで、調査を再開した。水戸瀬も本棚を調べ直す。


(魔導書持ちの所長か。こりゃきな臭い事件だぜ……)


 これが終わったらガサ入れに来なければならない、水戸瀬がそう思った時、机を調べていた花巻が声を上げた。


「多分これです」


 彼女の手には、ファイリングされた分厚いマニュアルが。頁をめくると、確かに緊急脱出用の手順も記されていた。その最後にいくつかのパスワードが記載されている。


「研究員が知っているのがこの五つですね」

「六つ目が非常用か」


 三人は顔を見合わせる。そして野崎がマニュアルを抱えた。水戸瀬が扉を開け、周囲を見回す。見たところ、長い廊下には特に何の姿もない。他の研究室に続く扉が見えるくらいだ。

 水戸瀬は顔だけ振り向くと、二人を促した。野崎と花巻は頷いて後をついてくる。


 もう少しで階段というところまで来た時、水戸瀬は嫌な予感がして足を止めた。そして急に振り向き、消火器のピンを抜いた。


 立ち止まってしまった花巻たちの後ろに、それはいた。


 高さは天井に届く程度。吹き抜けの二階ならば、その長い体を曲げる必要はなかっただろう。金属的な灰色の木に、太い筒のような枝が六本ついている。水戸瀬はそれが一階で犠牲者を引きずっていった触手であると気づいた。


 木の梢だと思っていた頂点から、眼鼻のついていない楕円形のものが飛び出した。その上部には穴がついている。

 そしてその怪物は枝を伸ばすと、花巻の足にそれを巻きつけた。


「きゃあっ!」

「花巻さん!」


 野崎がマニュアルを放り出し、花巻を掴む。しかし、怪物の力は凄まじく、二人はみるみるうちに引きずられて行く。

 怪物の楕円形にある穴に、鈍色の何かが煌めいた。おそらく牙だろう。

 二人はこれから自分たちがどうなるかを想像してしまったのか、狂ったような悲鳴を上げた。


「くらえっ!」


 水戸瀬は消火器のノズルを上の方に向け、思い切りレバーを握った。高圧のガスと共に、消火剤が怪物の頭部に吹き付けられる。

 みるみるうちに怪物の楕円形部分が白く染まり、花巻を捕らえる枝の力が緩んだ。 

 その隙に水戸瀬は消火器を放り投げて二人を引っ張り、マニュアルを回収して階段へ向かった。


                                  ――続く

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