第5話 滝塚市太白プラント事件―地上編④

【時刻:午後四時 視点:水戸瀬敏孝】


「……これでもダメか」


 四階の脱出シューター近く。エラー画面を前に研究員たちが肩を落とす。その後ろで、民間人たちが落胆の声を上げる。

 水戸瀬は肩を落とす研究員たちに話しかけた。


「他に脱出口は?」


 水島が振り返って答える。


「通常なら一階からになる。今は使われていない地下四階のものもあるが……それは難しいだろう。君たちの話によると、怪物は下層階を自在に移動できる可能性が高い」

「他の階層の窓から……は無理か。全部鋼鉄製のシャッターが閉まってるもんな」

「君たちが下に向かっている間に試したが、研究室に備えてある大型フリーザーをかなりの回数ぶつければ行けそうだ」


 水戸瀬の顔が明るくなる。しかし、民間人たちや研究員たちは暗い顔のままだ。


「何か問題があったのか?」


 とある男性研究員が水戸瀬の質問に答える。


「かなりの重労働、というのはおいておいて。いわゆるロープになるものがなかったんです。ホースとかだと短い上に、繋ぎ合わせるのが大変で」

「ならシャッター破れてもあまり意味はない、か。俺たちスパイ〇ーマンじゃねぇし、壁を這って下ることなんてできねぇしな」


 そのロープ代わりのものは脱出シューターの中にある。設備と一体となっているため、破壊した場合使えなくなる可能性がある。

 四階からコンクリートの地面に向かって飛び降りるのは流石に自殺行為だ。生きていたとしても、助けを呼べなければ痛みや出血でショック死しかねない。


 手詰まりだった。研究員たちは互いに顔を見合わせ、ため息をつく。


「……二階サーバールームから、地下四階に連絡を取ってみよう」


 重い沈黙を破るように、水島の低い声が響いた。研究員たちがざわつき始める。


「地下に生き残りがいれば応答はあるでしょうが……危険では?」

「ここに留まっていても、仕方ない。ろくに食料もないのだ。動けるうちにできるだけのことをせねば」


 そう言うと、水島は自ら二階に向かおうとする。だが、多数の研究員に制止された。


「所長は日本の宝ですよ、何かあってはいけません!」

「安心したまえ。私に何かあっても、君たちだけでやっていける。それに、所長室に忘れ物をしているのでね。ついでに取っておきたい」


 忘れ物。それがあの魔導書だと水戸瀬は直感した。思わず水島に目を向けてしまう。

 水戸瀬の視線に気づいたのか、水島も見つめ返してくる。水戸瀬は好々爺のような表情の裏に、底知れない何かを感じ取った。


 怪しい人物に怪しい物を持たせるわけにはいかない。水戸瀬は研究員たちの方に進み出た。


「俺が行きましょう」

「じゃあ、私も」


 花巻が進み出た。水戸瀬はその瞬間、彼女の傍に何かを見たような気がした。とても小さな何かだ。まるで羽虫のような。


「おい……」

「どうかしましたか?」

「近くに、ハエとかいないか?」

「は、ハエ!? どこですか! 私虫が嫌いなんですよ!」


 花巻は大慌てで体にまとわりつく虫を振り払うような動作をする。しかし、特に何もいないことがわかると、胸を撫でおろした。そして水戸瀬に詰め寄る。


「いきなり驚かせないでください!」

「す、すまん」


 水戸瀬が花巻に怒られている間に、水島への説得は済んだようだ。彼は野崎を呼ぶと、何事か告げた。


「野崎君。例のアレを回収してきてくれ。頼んだぞ」

「承知いたしました。アレ、ですね」


 水戸瀬の眼光が一瞬鋭くなる。しかし、次の瞬間にはその視線は和らぎ、明後日の方角を向いていた。野崎はそれに気づく様子はない。水島も。


「お待たせしました。行きましょう」


 やってきた野崎、まだ周囲を気にしている花巻と共に、水戸瀬は階段へ向かう。そして三階の所長室で例の魔導書を回収。これは頼まれた野崎が小脇に抱えた。


 そのまま警戒しながら階段を二階まで下ってきた。階段から顔を覗かせると、やはり長い廊下が続いている。怪物の姿はない。


「どこかに消火器はねぇか、っと」

「一応各階層に一つはあるんですけど、二階は全て実験室に置いてあるんですよね……」

「どこだそこは」

「サーバールームの一つ前の部屋になります。ここから五部屋先です」


 野崎が指差したのは廊下の一番奥から一つ前の部屋だ。階段から遠い場所にある。これならサーバールームに向かってしまっても大差ないだろう。


「途中に一階への階段もありますが……」

「そこには目もくれずにサーバールームだ。行くぞ」


 三人は音を立てないよう慎重に進む。一部屋、二部屋。扉を通り過ぎていくたびに冷や汗が出る。

 先程の怪物は音もなく出現した。神話生物たちと死闘を繰り広げてきた水戸瀬でさえ、野生の勘のようなものが働かなければ死んでいた。それほどの隠密性。


 水戸瀬は極力三百六十度を見渡せるよう立ち回る。傍から見るとくるくるとダンスしながら歩く不審な男性だ。


 それが功を奏したのか、三人が一階への階段近くに来るまでは、何も起こらなかった。

 しかし、先を行っていた水戸瀬と花巻、遅れていた野崎の間に、突如としてそれは現れた。


 野崎だけが、怪物が現れる様を目撃できた。突如虚空が音もなく割れ、次の瞬間に怪物がそこに存在する様を。

 野崎が叫び声を上げたことにより、水戸瀬たちは怪物に気づくことができた。そして怪物は前回と同様、花巻に向かって枝を伸ばしてきた。


「こっちを向け! この化け物め!」


 野崎は咄嗟にポケットから取り出したスマートフォンを投げつけた。怪物の背中に当たって跳ね返ったそれは、廊下に叩きつけられ、乾いた音を上げる。

 おそらく、ダメージは一切なかっただろう。だが、怪物は自らに立ち向かう意思を見せた獲物に興味を持ったようだ。頭部を天井に擦りつけながら反転し、野崎に向かって枝を伸ばす。


「野崎!」

「野崎君!」

「水戸瀬さん! 花巻さんと、これを頼みます!」


 野崎は迫りくる枝の一本をかわし、魔導書を床に滑らせた。それはボウリングのボールのように水戸瀬に向かってまっすぐ進んでくる。水戸瀬がそれを手に取った時には、野崎は水戸瀬たちと反対方向に向かって走り出していた。


「野崎君! 嫌、いやあっ!」

「行くぞ! 彼の覚悟を無駄にするんじゃねぇ!」


 水戸瀬は魔導書と花巻を抱え、全力でサーバールームに向かって走った。そして、重々しい鉄の扉をくぐる。


 扉が閉まる瞬間に、野崎の断末魔が聞こえたような気がした。


                                  ――続く

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