第5話 滝塚市太白プラント事件―地上編②

【時刻:午後三時 視点:水戸瀬敏孝】


 太白プラントの一階で起こった惨劇を切り抜け、水戸瀬たち生き残りは四階の角部屋付近に集まっていた。人口密度が高く、換気システムは機能しているのになんとなく息苦しく感じる。

 大規模な会議室の片隅では、研究員たちが集まり何かの設備を操作している。その周囲には苛立ちを隠さない人々が。水戸瀬は部屋の外からそれを見つめている。


「あなた。大丈夫かしら」

「安心しろ。もう少しで外に出られる」

「パパ……」

「よしよし。もう少しで昴たちに連絡できるからな」

「すばるおにいちゃん? よかった……」


 昴の名前を聞いて、水戸瀬のズボンを掴む力が緩んだ。日葵は目尻の雫を拭う。


 その時である。


「おい、どうなってるんだ!」


 中年の男性が若い研究員らしき男に掴みかかった。それを皮切りに周囲の人間数名が研究員たちに詰め寄る。どうやら、何事かあったらしい。


「ちょっと仲裁してくる。日葵、いい子にしてろよ」

「気を付けてね」

「おう」


 水戸瀬は人込みをかき分け、最前列にたどり着く。そして研究員に掴みかかっている男の腕を取り、ねじり上げた。痛みに男が絶叫し、周囲の目線が水戸瀬に集まる。


「警察だ。どうなっているか説明してもらおうか」

「あ、あんた警察なのか! じゃあこの状況を何とかしろよ! 大勢人が殺されているんだぞ!」

「ここから出られたらいくらでも応援を呼んでやるよ! だから大人しくしてろ!」

「ちっ。じゃあ役立たずじゃねぇか。税金泥棒が」

「つまり、ここから出られないってことだな?」


 水戸瀬は男の腕を離す。彼は唾を吐き捨て、人込みに腕を振り上げ、自らの道を作って去っていく。それを尻目に、水戸瀬は研究所の所長らしき老人の方を見る。


 手入れされているふさふさの髭が特徴的だ。ウェーブのかかった白髪を耳くらいの長さまで伸ばしている。白衣の下にはスーツを着込んでいるのだろう。青と白のストライプ柄をしたネクタイをしている。


「ここの所長を務めさせていただいている水島です。警察の方ですか?」

「あいにく非番なもので手帳はないんですが。公安の水戸瀬です」


 公安という単語を聞いた瞬間、数人の研究員がざわついた。水島は眉をぴくりと動かしただけで、泰然自若としている。


「わかりました。本来、何かあった場合ここ、四階の大会議室に設置されている脱出用シューターで避難するのですが……」

「いつ頃定められたのか知らないんですけど、機密保持の観点から、安易に使えないようになっているんです。研究班のリーダー以上が把握しているパスワードが必要になっています。それが、どうも書き換えられたらしくて」


 水島の横にいた女性研究員が一歩前に出た。ブラウンに染めたロングヘアを、シュシュを用いて頭の後ろで一つにまとめている。

 白衣の下にはライトグリーンのブラウスを着ていた。首から下げたネームプレートには「花巻みちる」と書かれている。


「パスワードはいくつかパターンがあり、周期的に変更されるのですが、そのどれも当てはまりませんでした」


 青年が脱出シューターのタッチパネルから顔を上げた。先程水戸瀬が一階の階段で見た顔だ。

 癖のない黒のストレートヘアを耳にかからない程度の長さにしている。今は白衣を着ておらず、グレーのスラックスに白のワイシャツといった姿だ。

 ネームプレートには「野崎啓介」と書かれている。


「それと、こんなメモが……」


 水戸瀬は花巻からメモを受け取る。何の変哲もないA4用紙の一部だ。筆跡鑑定ができないよう、漫画のセリフを切り取って貼り付けてある。実に古典的だ。


「“書き換えさせてもらった、せいぜい楽しませてくれ”、と。いたずらにしちゃ悪質だ」


 つまり、このメモを残したのが黒幕ということになる。ちなみに、このメモを最初に発見したのは野崎と共に設備を弄っていた花巻である、ということを他の研究員が補足した。


「外部への通信は? 私たち一般人はともかく、あなたたちは持っているでしょう。スマートフォンとか」

「それが……」


 とある研究員が自らのスマートフォンを見せる。Wi-Fiは切断され、通常の通信サービスも使えなくなっていた。

 試しに滝塚市警察署に電話をかけてもらおうとしたが、繋がらない。


「何らかの理由で通信機器もダメと。当然PCも?」

「ええ。ネットワークがイントラネットだけになってしまい、外部に接続できなくなっています」


 現状、外部への連絡を能動的に取ることはできず、脱出口は使えない。四階より下には虐殺を行った怪物がいる可能性が高い。

 そうすると必然的に、この状況が何らかの偶然で外に伝わり、南方昴を始めとする、水戸瀬が最も頼りにしている面子がやってくるという絵空事を待ち望むか、自分で動いて事態を収拾するかのどちらかしかない。


 そんなとき、事態をある程度把握した水戸瀬はとある考えに思い至った。


「なるほど、状況はある程度把握しました。その上で一つお伺いしますが」

「何でしょう」

「こういった場合に備えて、非常用パスワードとか用意されていませんか。最悪研究班リーダー以上の方々が全滅した場合を想定した、特殊なやつとか」


 多分ないだろう、と水戸瀬は思っていた。しかし、水島の口からは予想とは違う答えが出てきた。


「あります。ただし、所長室に行って確認してくる必要があるのです。何せ、普段は使わないものでして」

「わかりました。じゃ、私が確認してきましょう」

「ちょ、ちょっと待ってください!」


 研究員の静止を聞かず、水戸瀬は人込みをかき分ける。先程の男よりはすんなりと通ることができた。そして、心配そうに待っていた家族の下に駆け寄る。


「どうだったの?」

「このままじゃ出られん。ここの所長室にパスワードがあるらしいから、下に行ってくる」


 その言葉を聞き、日葵は母のスカートをぎゅっと掴んだ。莉緒は左手を胸に当てた後、大きく息を吐く。


「止めても、行くのよね」

「当たり前だろ。でなきゃとっくに公安辞めてるよ」

「違うでしょ。あなたが公安を辞めないのは、昴ちゃんがいるからでしょ」


 一瞬、水戸瀬が真顔になる。彼は思わず妻と娘から視線を逸らした。

 莉緒は気まずそうに目を伏せる。一方日葵は交互に首を振る。


「ごめんなさい。責めるつもりはないの」

「……あいつの信じてたものを壊したのは俺だ。その上で地獄に放り込んだのも。その責任くらいは取らなきゃダメだろ」

「なら、きちんと生きて帰ってくること。いい?」

「ああ」


 水戸瀬はふと、ズボンを引っ張られる感触がして下を向く。そこには彼を見上げる日葵の姿が。


「ごめんな。せっかく久しぶりにどこか出かけられたのに」

「だいじょうぶ。こんどはゆめのくににつれていってもらうから」

「マジかよ。ファストパス買えるかな……」


 有休を長めに取らねばなるまい。水戸瀬はそう決心して階段を下り始めた。


                                  ――続く

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