第十六話 イロハ

 ゆらゆらと揺れるあおの向こうで、ふところからゆっくりと刀を抜くその姿からは、全てが始まったあの日に感じた、殺意と憎悪が顔を出す。

 

 静かに向けられるその碧眼は、まるで俺ではない(何か)をジッと睨みつけるような、深くて、暗くて、力強い光を放っていた。

 

「嘘……だろ……? そんな、イロハさん、だって……守るって!」


「……」


 彼女は何も答えてくれない。

 

 気付くと、広場の隅の方からオブザーバーも俺の姿を観察していた。

 

 ヤツはおぼろげなその顔で笑顔を作りながら、いつも通りに奇妙な声を脳内へ直に響かせた。

 

 ――言ッタデショ? 貴方ハ一人ジャナンニモデキナイ。

 

「そ、そんなこと……!」


 ――ソシテ、私ハコウモ言ッタハズ……。

 

 

 

 

 

 

 ――忘れないデ。何があっテモ、私もイロハモ、ズット貴方ノコトヲ……


 ――何時ダッテ狙ッテルッテ事ヲ。

 

 

 

 

 

 

 「嘘だ!!!」

 

 叫ぶと、俺は無我夢中で彼女達に背を向けて駆け出していた。


 逃げたって無駄だってことは分かってる。けど、その場で立ち尽くして現実を受け止められるほど、俺は心の強い人間じゃなかった。

 

 ――そういえば……。

 

 炎の光が届かない暗がりまで走ったところで、丁度脇に生えていた巨大なふうを背にして隠れると、首にかけていたペンダントを確認した。

 

 ――それは大切なお守り。肌見離さず身につけておいてね。

 

 病院での言葉が蘇る。

 

「何がお守りだ……!」


 すぐにソレを首から外し、暗闇の向こうへ力いっぱい投げ捨てた――が。

 

「これで少しは……って、は⁉️」


 間違いなく手放したはずのペンダントは、何故か俺の首元でしっかりと光を放っている。

 

「な、なんだよこれ⁉️」


 急いでもう一度放り投げる。しかし、結果は同じだった。

 

 ――外せなくなってる……⁉️ しかも、前見たときと模様も、光り方だって変わってるような……。

 

 その刹那、背中に背負しょい込んだ大木は、俺の頭すれすれまでを残して閃光と共に吹き飛んだ。

 

 轟音は遅れて後からやってくると、俺の耳から自由をこれでもかと奪い去る。

 

「追いかけっこはもう終わり?」


 咄嗟に閉じた目を開くと、すぐ目の前に赤髪の彼女が立っていた。

 

 途端に緊張で息が上がり、心臓が波打ちすぎてチクチクと痛む。

 

「信じてたのに……。なぁ、何とか言ってくれよ」


「……」


 イロハさんは返事を返さないままに刀を頭上へ振り上げると、吐息混じりのかすれた声で静かに呟く。

 

「――我、魂の罪をはかりし者なり」


 何時もの詠唱の後、俺にはよく聞き取れない謎の呪文を唱えると、空にかかる雲間から、とてつもない輝きを放つ巨大なソレはゆっくりと舞い降りた。

 

守護法天しゅごほうてん迦楼羅かるら



 時間が止まったようだった。瞬きすら忘れるほどに身体の制御を失って、俺は眼前の悪夢にただただ怯える。

 

 ――今、確かにイロハさんは迦楼羅かるらって。

 

「そう、君がよく知ってる迦楼羅そのものだよ」


「な……⁉️」


 息をするのを忘れていた。途端に嘔吐えずいてうずくまるも、急いで吸い込んだ空気が持つ熱量に、肺全体が焼けるようで、更に地面を転げ回る。

 

 口の周りを手で覆い、簡易的なマスク代わりに使いながら必死の思いで息を整えていると、視界に入った天空の時計盤は、今にも五時を指そうとしていた。

 

「……もう時間だね」


 信じられなかったし、疑いたくもなかった。自分の記憶も、受けた愛情も、楽しかったあなたとの日々も……。

 

 そして、天高く写し出された文字盤から、針の動く音が響き渡る。

 

 ――三十秒

 

 オブザーバーの声だ。恐らく俺をどこかで観察しているんだろう。頭の中に、寒気を催すような声だけがぬるりとねじ込まれる。

 

 ――二十六

 

「最後に、本当のことを教えてあげる」


 イロハさんはそう言いながら、背後に佇む不死鳥の頭を一つ撫でると、悪夢はその形状をみるみると変えてゆき、一本の刀剣となって彼女の手に収まった。

 

「此処は、貴方を隔離するためだけに作られた世界。そして、私達は貴方を処分するために未来からやってきたの」


 ――十九

 

「処分って……なんで俺なんかを……」


 碧眼は答えず、更に続ける。

 

「そして、あなたの両親を殺したのも、あなたを精神的に追い詰めるよう仕向けたのも、全部私」


「もう止めてくれ……。嫌だ……聞きたくない。何も、何も聞きたくない!」


 ――十

 

 オブザーバーのカウントは残酷に進んでゆく。


 針は一層速度を増すように時刻を刻み続け、イロハさんは作り上げた刀剣を、俺の胸元目掛けてゆっくりと突き立て――貫いた。

 

「……うっ……」


 何故か痛みは感じなかった。胸に入ってきたその感覚は、俺の身体をゆっくりと蝕んでいき、意識が遠く離れていく。


 ――五

 

「さようなら……蘭さん……そして」


 ――三

 

 ――二

 

 ――一

 

 

 

「お帰りなさい」




 ――コール、アルフィンよりQX5キューエックスファイブ-7000へ、ターゲットのダウンロード作業完了と同時に、ワールドクロックをオーバーライド。QX7キューエックスセブン-15000Å1アウフヘーベンからのアクセスを全て遮断し、簡易領域へ一時退避します。

 

 聞き覚えのある声で、何やら難しい言葉を連ねている。

 

 何処もかしこも真っ暗だ。でも、まだ息ができるみたいだし、身体の感覚も徐々に戻ってきている。

 

 よく見ると――。

 

「蘭さん……! 起きて下さい! お願い、目を覚まして……!」


 顔をぐしゃぐしゃに崩しながら、涙顔のイロハさんが俺の身体を揺すっていた。

 

「……え、俺……どうなって……」


「……! よかった……本当によかった……。ごめんなさい、ホントにごめんなさい。私、怖くて、不安で、ずっとあなたの事……」


 俺を力強く抱きしめるイロハさんは、大声で泣きわめきながら何度も何度も謝り続ける。

 

「イロハ、まだ終わったわけじゃないでしょ」


 傍らから声がすると、そこにはオブザーバー……? が立っていた。

 

「一体何がどうなって……。それに、この真っ白い場所は……?」


「ここは私の管理下に置かれた特別な空間。病院で貴方にコンタクトを取った時と仕組みは同じで、見てくれが少し違うだけだよ」


 永遠に歩き続けた廊下を思い出し、なるほどと納得する――訳がなかった。

 

「い、いや、そんなことより! どうなってるんだ⁉️ 俺、イロハさんに刀で刺されて……」


「それは……イロハ、アナタから」


 オブザーバーに促されるも、中々泣き止まないイロハさん。

 

 見兼ねたオブザーバーは、仕方なく代わりにと口を開いた。


「……どうか許してあげてほしい。彼女と私は、貴方を助けるために、五百年近く同じ時間をずっとループしていたの」


「ご、五百年⁉️」


 オブザーバーはゆっくりと頷いて更に続ける。

 

「今まで沢山騙してごめんなさい。ただ、それもこれも、全てはあなた達二人に植え付けられた、(観測者の目)をあざむくため」


「観測者の……目……?」


 俺が疑問を投げかけたところで、ようやく落ち着きを取り戻したイロハさんが口を開いた。

 

「私達の行動も、会話も、心の声も全て、観測者の手によって、いろんな形で監視されてるんです。恐らく、今この時も」


 彼女が碧眼を空へ向けると、白一色の空間に少しずつ亀裂が入っていく。


「予想はしてたけど、流石に対処が早いね……。イロハ、私は恐らくもう長くない。だから……」


 オブザーバーと彼女は顔を見合わせ、ゆっくりと頷き合うと、立ち上がったイロハさんは座り込む俺に手を差し伸べながら語りかける。

 

「これが、本当に最後になるかもしれません。それに、今更信じてくださいなんて、口が裂けても……」


 彼女が言葉を言い終わる前に、俺はその手をギュッと握って同じく立ち上がった。

 

「今は、いいです。ただ、その代わり……」


 言うと、俺は最後まで躊躇ちゅうちょしたその後で、意を決して彼女へ言い放つ。

 

「全部終わったら教えて下さい。あなたが一体何者なのか」


「――! ……わかりました。必ず」


 俺達が誓いを立て終わると、空間はボロボロと崩れ落ちていき、さっきまで居た裏山の山頂へと放り出された。

 

 一見、辺りは静かで何時もと変わらないように見えたけど、そんな光景もほんの束の間だった。

 


 ――コール、マルメロよりQX7-15000Å2コアプログラムへ。アーカイブに対し、危険因子の介入を検知しました。これより、強制的にディメンションへ、デフォルトイメージの上書きを開始します。

 


 オブザーバーにも似た謎の声が空一面に響くと共に、藍色の天空から、得体のしれない粘着質な液体がいたる所から溢れ始める。

 

 そして――。


「こんばんは、観測対象の皆さん」


 本当にそれは突然だった。眼前に漆黒の人影が、今までずっとそこに居たかのように姿を現すと、俺達三人へ向けて声をかけてきた。

 

「私はマルメロ。この辺りの時空を統括する補助プログラムです」


「時空……? 補助プログラム……? 一体何を……」


 尋ね返す俺の前へ、すぐさまオブザーバーが立って出る。

 

「取り合わないで。アレが私達を歪めた根源。二対の柱の一つ」


「柱……?」


 漆黒は目も口もない頭を傾げながら更に言葉を吐いた。

 

「根源だなんて聞こえの悪い。そもそも貴方がたに決定権など存在しません」


 影はそう言い切った後に付け加えるように言う。

 

「全ては(空を穿うがつ者)の誕生、アウフヘーベンがされるその日のために」


 次第に雨が振り始めた。


 雨脚あまあしはすぐに強まりを見せ、それはまるで、初めて俺と彩音が襲われたあの時のようだった。

 

「まぁいいでしょう。とりあえず、まずは忌々いまいましい旧型のガラクタはお亡くなりになってください」


 影が言葉と同時に指先を横一直線に滑らせると、オブザーバーの身体は途端にバチバチと機械的な音を立てて不安定になっていく。

 

「イ、ロハ……! あとは、たの……!!」


 ブツ切りになった言葉の後に、オブザーバーは姿を消してしまった。

 

「あとは任せて。必ず……!」


 イロハさんは目を閉じて呟くと、俺の背中に手を添えながら口を開いた。

 

「蘭さん、私との修行の日々、覚えてますか?」


 俺は記憶に両腕をどっぷりとうずめ、三週間分の出来事を洗いざらい掘り返す。

 

 すると不思議なことに、何故か身に覚えのない記憶が至るところから湧いて出た。

 

「それでいいんです。私とあなたは、記憶が示すよりもずっと長い時間、瞑想の向こう側で一緒に鍛錬を重ねているはず」


 口ぶりからして、彼女にも俺の心の中がしっかりと見えているようだ。

 

 俺は言葉を発すること無く納得して、差し込まれていく記憶に神経を集中させた。

 

「私は以前言いました。あなた自身が思っている以上に、あなたは着実に前に進んでるって」


 全くもってその通りだ。


 ゆっくりと身体に浸透し始める記憶達を眺めながら、心の底から、この人を信じて本当によかったと噛みしめる。

 

「では、そろそろお終いにしましょうか」


 そう言い捨てた影は眼前から宙へ飛び上がると、ぶくぶくと上空から滴り落ちる液体を身体に纏わせ、巨大な蛇龍へと姿を変えてゆく。

 

 あまりにもおぞましいその姿に、俺は思わず足がすくんで目を奪われた。


 あの時と同じだ。彩音を抱えて何も出来なかったあの時、俺は目の前に立つオブザーバーが、まるで自分を取り巻く絶望と重なって見えていた。

 

 そして、今眼前に立ちはだかる脅威もまた……。


 すると――。


「……蘭さん、今からちょっとだけ、弱音を吐いてもいいですか?」


 突然、隣に立つ彼女は珍しく眉をひそめながら静かに尋ねる。


 首だけで俺は快く返事を返すと、赤髪を揺らしながらニッコリと笑った彼女は、ゆっくり時間をかけて言葉を紡ぎ始めた


「相手は、言わばこの世界の管理者に近い存在です。たとえ私達が全力で抗ったとしても、勝てる保証はありません」


 形成されていく蛇龍を見上げながら、イロハさんは更に続ける。


「もし許されるなら、今すぐにでもここからあなたと逃げ出して、残された時間を二人で一緒に過ごしたい……なんて、考えちゃうんです」


「イロハさん……」


 ずっと頼もしさを感じていた彼女の姿が、なんだか急に小さく見えた。


「怖いんです。あなたを失うのが……」


 添えられた手に力が入る。


 俺だって気持ちは同じだった。イロハさんも、彩音も、他のみんなだって誰一人として失いたくない。


 ――だからこそ。


「今まで、そのために頑張ってきたんじゃないですか」


 ハッと此方へ目線を向けるその不安げな顔に、俺は精一杯強気な表情を作って言い放った。 

 

「ここから、全部ひっくり返す、そのために」


 

「……決まり、ですね」


 彼女は言葉の後に、器用に魔法を使って赤髪を解くと、もう一度綺麗に結び直した後で呪文を唱え始めた。

 

「――我、魂の罪を量りし者なり。この身に宿る浄玻璃じょうはりの権能をここに……!」


 すると、辺りへ赤い閃光の輪が走ると共に、彼女の背中から、片側五枚の巨大な翼が形成される。

 

 不死鳥の羽にも見えるその翼は、個々が魔剣と同じように脈動し、周辺の空気を力強く震わせた。

 

「すげぇ……」


「今から、翼の片割れをあなたへ憑依させます。維持できるのはほんの数秒が限界です。構えてください!」


 言われた通り、背中から布を振り払って刀を握ると、刀身を抜かずに片膝立ちで蛇龍の身体へ意識を集中させた。

 

「この日の為に用意したトッテオキ、覚えてますよね?」


 彼女は念を押して確認する。

 

「もちろんです。名称は一言一句丁寧に。でしたよね?」


 俺が返すと、イロハさんは笑顔でそれに応えてくれた。

 

「いきます……。楓凰ふうおう――継承」


 彼女がそう唱えると、背中が焼けるように熱くなった――直後だった。


 頭の中に、恐らく俺が知りたかった――知ってはいけないのかもしれない――全てが翼を通してなだれ込んできた。

 

 一瞬、そちらへ意識が持っていかれそうになりつつも、そんな事はどうでも良くなってしまうくらいには、俺は今、この瞬間だけは、誰よりも強く頼もしく居たいという気持ちに満ち溢れていた。

 

 

 龍は上空で体をクネらせ、滴る黒を体表に纏って此方へ向かってくる。

 

 俺は魔剣のつかを握りしめ、その背後に並んでイロハさんが自らの刀を抜いて立つ。

 

 そして、迎え撃つソレが近付く度に、イロハさんから心の声が送られてきた。

 

 ――二人で放つ剣術は、お互いの呼吸を合わせる事が重要です。楓凰を通して心を通わせれば、必ずアーキは応えてくれるはず……!

 

 絶望を纏う黒龍はついに俺達を飲み込んだ。体表に実体は存在せず、霧のようなその身体は視界から徐々に光を奪っていく。


 ――奴の弱点である(目)は体内に二つ。それらを同時に斬り払うことが出来れば、制御を失って自戒します。

 

 流れ込む彼女の声に耳を寄せながら、俺は小さく口ずさむ。


「――向き合え」


 言い聞かせるように更に繰り返す。


「――向き合え……!」


  俺はずっと、此の身を嫌って生きてきた。


 それでも、こんな俺にしか出来ない事だって世界には沢山ある。それを教えてくれた彼女となら……!


 ――大丈夫、自身の波長に邪魔されないあなたの目なら、きっと、必ず……!



「……! あれだ!」


 俺の目が確かな光を捉えた時、翼を通してお互いがしっかりとソレ補足した。


 ――さあ、唱えて!


 何処までも暗い彼方へ狙いを定め、柄を握る手にゆっくりと力を込めながら、吸った息を吐き切るように、声を合わせ――抜き放つ。

 

「「楓閻寺ふうえんじ番構つがいがまえ二刀流――双閻そうえん!」」


 ……。


 …………。


 ……………………――。

 

 sorry. Connection with archive has been lost.

(申し訳ありません。このアーカイブとの接続は失われました。)

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