第十五話 想い

 眼前には広大な花畑が広がっていた。空もよく晴れている。

 

 ――なんて清々しい景色なんだろう……。

 

 辺りは花のいい香りで満ち溢れ、心地よい風が後ろから優しく肌を撫でるように吹き抜けていく。

 

「ラン……」


 声がした。しかし、一体何処から呼ばれたんだろう……。周囲を見渡しても、人の影らしいものは全く見当たらない。

 

「ラン……起きて……」


 まただ。しかしこの声、いつか何処かで……。

 

「ラン……」


「「アナタヲ、ズットマッテルワ」」




 耳の両側から寒気のする声がしたと同時に目が覚めると、そこは悠世の自室だった。

 

 そういえば、「仮眠くらい取ったほうがいいから」って無理やり連れられて……。

 

 ふと左腕に目をやると、時計は朝の三時半を指している。

 

「あと一時間半か……」


 横になっていたソファから上体を起こし、なんとなく腕を動かして固まった身体をほぐすと、ケータイを開こうとホームボタンを押した。が――。

 

「あれ、もしかして充電切れてる……?」


 痛恨のミスだ。後三十分もすれば出発だってのに……。

 

「蘭? 起きてる?」


 俺が絶望に暮れていると、部屋へ悠世が刀を抱えて入ってきた。

 

「……どうしたの? なんかあった?」


「いや、何でもない。それより刀は……?」


 ――ん? 今俺、呼び捨てにされなかったか?

 

 ドサクサに紛れて距離を詰めてくる悠世に動揺しながらも、彼女がテーブルに広げた布切れの中から現れた刀を見て、俺は思わず息を飲んだ。

 

「ここまで直すの、本当に大変だったんだから……」


 刀身は淡く紫色の光を放っていて、刃の表面にはアーキの通り道となる細かい溝のようなものが微かに浮き上がっている。

 

「親父に色んなところへ連れて行かれて、それなりに魔剣もいっぱい見てきたつもりだけど、こんな光は私も初めて見た。研磨が終わった時、工房のみんなも驚いてた」


 俺は試しにその刀を握ってみると、腕の根本から切先の先端にかけて、柔らかな風の流れのようなものを肌で感じた。

 

「刀が、息をしてるのか……?」


「それが魔剣が持つ魔導廻廊の流れ。でも、君は波長を持っていないから、今は流れだけが存在してるってだけ。ここに波長が加わると、刀身はそれに答えてくれるはず」


「……わかった。本当にありがとな」


 俺は刀を鞘に戻して布を巻き付け、肩からかけるように括り付けて大切に背負った。

 

「後、蘭でいいよ。いちいちもじもじされるとこっちもやりにくい……」


「へ……⁉️ ……そ、そういうのはわざと気づかないフリするとこでしょ!」


 何で俺が怒られてるのかさっぱり分からなかったけど、とりあえず適当な相槌を打っておくことにした。

 

「じゃぁ、もう行かないと――」


「あ、あの……!」


 部屋を後にしようとする俺の手を引っ張って、悠世は無理やり引き止めながら続けた。

 

「……お願い。無事で帰ってきて」


 彼女は一拍置いた後に更に続ける。

 

「鍛冶屋ってさ、使う人の無事を祈りながら、心を込めて金槌を打つの。でも、使い手さんが亡くなっちゃって、武器だけが帰ってくることだっていっぱいある。そんな時、残された私達は……」


 頭の中で、両親が亡くなった後の事を思い出した。

 

 俺がもしこのまま死んだら、悠世にも、あの時の俺達みたいに……。

 

「わかってる。必ず彩音も連れて、また顔出しに来るよ」


 柄にも無く強気な言葉を吐いて工房の外までやってくると、既にエンジンをかけてマッさんが待ってくれていた。

 

「もういいのか?」


「いいって、何が?」


 目の前の長身は如何にもおじさんって顔になって俺の腕を掴んで悪絡みをした。

 

「青春してきたかって聞いてんだよ! コノ! コノコノ!」


「わかった!わかったから! ほら、車出して!」


 一頻ひとしきり揉みくちゃにされたところで、俺達は自宅を目指して走り始めた。


 

 車内ではいつも通りラジオがかけられていたが、この時間は大抵無音か、適当なアーティストの曲をただ流すだけのインターバル区間になっている事が大半だ。

 

 ただ、ラジオ番組ってのは俺が知ってる限りじゃ大体夜中のニ時くらいまではディスクジョッキーが喋り続けている。

 

 交代で回しているとはいえ、一体あの人達は何時間くらい眠れているのだろう……。

 

「なんか暗ぇなぁ。此の時間はラジオもやってねぇしよ……」


 マッさんもどうやら同じことを考えていたらしい。

 

 思えば、初めて病院帰りにこのタクシーへ乗った時に比べれば、随分と遠い所まで来てしまったような気がする。もちろん、距離的な意味じゃなく、精神的な意味でだけど……。

 

 仮に今、自分の隣にあの時の俺が座ってたとしたら、そいつは俺にとって、一体どんなふうに写るんだろう。

 

 少なくとも、友達になりたいとは全く思わないだろうな……。

 

「そういやぁよぉ」


 唐突にマッさんが話を切り出す。

 

「悠世ちゃんって……」


「って……?」


 今年に入って最長かもしれないくらいの溜めを作って、マッさんはおじさん顔に戻って沈黙に穴を空けた。

 

「めちゃくちゃ可愛いよな⁉️」


「……そのクソ長い溜め、必用だったか?」


「は⁉️ 中学生坊主が生意気に! いいか? 覚えとけ? 女の趣味を語れないヤツってのはな、将来ろくな大人にならねんだぞ?」


 マッさんがヒートアップするごとに、俺の返しも段々と適当になっていく。

 

 でも多分、マッさんは俺の事が分かっててわざと絡んでくれてるんだと思う。


 そして、実際俺はそんなマッさんに心底救われていた。

 

 

「さ、ついたぜ」


「本当にありがとな。今度絶対にお礼しにいくから」


 おじさんは顔の前で手のひらをブンブンと横へ振りながら言葉を返した。

 

「中学生相手に気い使わせる訳にゃぁいかねぇよ。ただ、その代わりっちゃあなんだが……」


「ん……?」


 後部座席へ身を乗り出すと、ニンマリト笑うおじさんは俺の耳元まで顔を寄せて更に続けた。

 

「今度、妹さんも紹介してくれよな」


「ぜっっっったいダメだ!」


 お互いに顔を見合わせて、呆れるほど無邪気に笑い合ったところで俺はタクシーを降りた――その直後だった。

 

 車体のボンネット側へ急に景色が移動したと思うと、自宅の隣にある草地が見える程まで身体が飛ばされた。

 

 直後、左腕に激痛が走ると、俺はようやく自分の身に何が起こったのかを理解する。

 

「ひーゆーりーくーん⁉️」


「クマキチ……おまえ、何で……」


 右腕に巨大な拳型のプラーナを装着した熊吉くまよしは、おもちゃを見つけた子供のように笑顔を作って倒れる俺ヘ一歩ずつ近づいてくる。

 

「探したぜ……。てめぇよくもこの前はヤってくれたな⁉️ あぁ⁉️」


 痛む身体にムチを打って立ち上がると、何よりも先に空を見上げてヤツが投影した時計を確認した。

 

 時刻は四時五分。ヤバい、こんなところで時間を食う訳には……。

 

「おい坊主」


 気が付くと、俺の目の前にマッさんが堂々と立っていた。

 

「てめぇ、俺のダチに何してくれてんだ? えぇ?」


「マッさん……」


 その刹那、赤子の手をひねるかのように、おじさんの情けない身体がタクシーのドアへ打ち付けられる。

 

「い、痛ぇ……」


「……マ、マッさん」


 一瞬、本当に一瞬だけ、おっさんに惚れそうになった自分を全力で殴りたい。

 

「オマエはなぁ、俺からはゼッてぇ逃げられねえんだよ! 殺す。ゼッてぇオマエだけは!」


「誰がオマエになんか……!」


 俺は背中の刀に手をやろうとしたが、直後にそれが真剣であることに躊躇する。

 

 ――ヤらなきゃ殺される……!

 

 ついに布の結び目に指がかかった――その時だった。

 

 激しい銃声が辺りを突き抜ける。見ると、熊吉の股下に、恐らく魔法で打ち出されたであろう弾痕がしっかりとついていた。

 

「やっぱ、俺様の嗅覚ってば最強ってわけ。せやろ? 蘭」


 声へ目をやると、金髪にシルバーのピアスを付け、生意気にサングラスをかけた不良少年が熊吉の背後から此方へ銃口を向けていた。

 

「汀……!」


「い、妹といい兄貴といい、てめえらウゼぇんだよ! 三島!」


「もちろん私もおるで?」


 気付けば隣には澪まで居る。

 

「二人とも、なんでここを……?」


 汀はいつも自慢しているお気に入りのサングラスをくいっと上げて俺の質問に答えた。

 

「俺等が三日も前からお前にメッセ送っとんのにブッチしとるから、なんかあったんかと思って探し回っとったっちゅうこっちゃ。ま、俺の天才的頭脳さえあれば? 蘭一人見つけるんなんか一瞬やったけどな」


「嘘つけ! お前の謎推理にうとったせいで二日もかかってもおたんやろが!」


 出てくるなり兄妹喧嘩を繰り広げる三島兄妹。熊吉からしたら面倒な事この上無いだろうけど、俺にとってはいつも通りの光景で、もはや安心感すら感じる。

 

「分かった分かった! そういう事にしといたろ。それより蘭、ここはええからお前ははよ行け! 急いどんやろ?」


「な、なんでお前らがそれを……?」


 汀と澪はお互いに顔を見合わせ、俺にアイコンタクトと笑みを送った。

 

「……分かった、サンキューな!」


「坊主! もう時間がねぇ、車に乗れ!」


 マッさんはそう叫ぶと、運転席からクラクションで俺に急ぐように促した。

 

 開いたドアに飛び込むように後部座席へ滑り込むと、マッさんはドアを閉めると同時に猛スピードでその場から車を出した。

 

「舌噛まねぇようにしっかり口閉じとけよ!」


 タクシーは自宅の隣にある獣道を直進し、裏山の山道を跳ねるように登っていく。

 

 いつも歩きながら眺めていた景色がどんどん後ろへ流れていき、ものの数分で山の中腹までやってきた。

 

「坊主! 時間は?」


「四時四十三分!」


「よぉしイケるぞ! しっかりつかまっとけ!」


 マッさんが威勢の良い声をあげ、アクセルを踏み込んだその時だった。

 

 ドタンッ! っと前方の視界が上へ跳ね上げられた後、変な体制になって車体が安定し、車輪はその場で音を立てて空回りし続ける。

 

「「ななな、なんだぁ⁉️」」


 なんとか外へ出ると、タクシーは巨大な丸太に乗り上げてしまっていた。

 

「こんな丸太、先週まではなかったのに……」


 おじさんはすぐに腕時計を確認した。

 

「やべぇ、あと十五分しかねぇぞ。坊主、……悪いが送ってやれるのはここまでだ」


「いや、むしろ充分すぎるくらいだ。ほんと、サンキューな……!」


 俺は丸太を乗り越えて、闇に覆われた山道を走り始めると、「待った!」と言うマッさんの叫び声で足にブレーキをかけた。

 

「なんだよ、まだなんかあんのか?」


「……死ぬなよ」


 それは、重くどっしりとした言葉だった。

 

「……ありがとう」




 残る力を振り絞り、俺は冷たい山道を駆け抜けた。

 

 ――マッさん、そういえば息子さんを亡くしたって……。

 

 不意に、おじさんと初めて会った日に聞いた話を思い出す。それに釣られて悠世の顔も、澪の表情も、汀の言葉も、全てが俺の背中へ重厚に積み重なっていく。

 

 想いってのは、こんなにも重たいもんだったんだなと思い知らされながらも、今の俺はそれに全力で答えてやりたいと思えていた。

 

 そして、これからも――。

 

 酸欠で朦朧とする頭で彩音の顔を思い浮かべた。

 

 思い返してみれば、剣に向かう俺を誰よりも応援してくれていたのは彩音だった。

 

 大会の日になれば俺より早起きして朝練に付き合ってくれたり、会場では観客席から大声で背中を押してくれてたっけ……。

 

 木々の暗がりに目が眩む度、彩音の笑顔が視界に映り込む。

 

 ――お前に謝りたいことが沢山あるんだ。だから……!


 滲む涙を袖で拭い、しっかり前を向いて大きな坂を登りきると、頂上へ向けての最後の休憩地点に差し掛かる。

 

 すると――。

 

「……へっ⁉️」


 広場の中央からはぼんやりと魔術の光が周囲へ放たれ、その先に、どう考えても見覚えのある影が映り込む。

 

 いつも宙へ流していた長い髪は後頭部で綺麗に束ねられ、ふうの葉が描かれた黒い羽織を纏ったその姿はまさに……。

 

「イロハさん!!!」


 俺が叫んだその瞬間、一拍の無音が俺の耳を貫くと、赤く激しい閃光が視界の左側の木々を根こそぎ薙ぎ払った。

 

 あまりの威力と轟音に、俺はその場に凍りつく。

 

 すると、彼女はゆっくりと俺のほうへと歩みを寄せながら口を開いた。

 

「やっと来たね。待ってたよ」


「イロハさん……。俺、ずっと……ずっとあなたのこと!」


 駆け寄ろうとすると、眼前の地面から青白い炎が吹き上がり、俺とイロハさんの間に立ちはだかる。

 

 まるでそれは――彼女が俺のことを拒んでいるかのように。

 

「イロハ……さん……?」


「……本当は、もうとっくに気付いてるんでしょ?」






「私とオブザーバーは、初めからずっとグルだったって事」

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