第十四話 憧れ
トン、カン、トン、カン。
金属を
辺りにはビルのように背の高い木々が生い茂り、優しく滑らかな暗闇を身に纏って、俺達をジッと見守ってくれていた。
そんな中、俺は工房の裏庭に置かれていた、木造りの古い打ち込み台を使わせてもらって、
イロハさんとの修行のお陰もあって、基礎体力はかなり戻ってきている。
それでも、剣を握っていなかった一年間のブランクは、重苦しく残酷に俺の腕にのしかかっていた。
最初の一時間くらいは、マッさんも俺の打ち込みに触発されてか、試しにと木刀を
今では疲れ果てて、傍らに置かれている自販機の隣で、ベンチに横たわって爆睡している。
「ングガァァァァァアアア! ……ンムニャムニャ」
声もデカけりゃいびきだってデカい。
マッさんはとにかく背が高いせいで、なんとなくベンチから微妙にはみ出していて、落ちそうになるとたまに目を覚ましては、体制を変えて引き続き眠りにつく。
「別に、わざわざそんな所で寝なくたってっ……!」
八つ当たりをするように俺が一つ打ち込むと、ターンッ! と、木がぶつかり合ういい音がそこら中を駆け巡った。
「さっすが、いい音させてるじゃん」
声の方へ振り返ると、頭に手ぬぐいを巻いた
「さすがって、そんな大層なもんじゃ……」
「はいはい、謙遜はいいから。小学五年生の若さで王都の大会まで三島道場を引っ張ってって、大人達相手にやりたい放題してた人が、何言ってんだか……」
――え? なんでさっき知り合ったばっかりの奴が、昔の俺のことまで知ってるんだ……?
少しの間ポカンと口を開けていると、「はい、これっ」と、彼女は俺にスポーツ飲料を手渡してくれた。
「ありがと……。じゃなくて、なんで
「
悪態をつきながら、マッさんが眠る反対側に横倒しになっていた丸太の上に座って悠世は続けた。
「三島道場で使ってる武具は、ぜーんぶウチでメンテナンスしてるの。その
「全然知らなかった……」
すると汗だくの俺を見て、自分の隣に座るように手で催促した。
「ちょっと休憩にしない? せっかくなんだし、昔話でも。ね?」
俺は言われるままに隣へ座った。
「いやぁ、でもビックリだなぁ。あの時畳の上で竹刀を振るってた人と、こうやって並んで座ってるなんてさ」
「だから、本当にそんな大層なもんじゃ……」
一人ではしゃぐ彼女は、頭に巻いた手ぬぐいを解きながらそのまま続けた。
「いいや、少なくともあの会場に居た全員があなたの
語りながら、俺なんてお構いなしに感傷に浸る悠世。
確かにあの時は剣のことしか頭になかったけど、俺にとってはその直後に両親を亡くしたせいで、苦い思い出でもあった。
「今回の仕事だって、私、君のお願いじゃなかったら断ってたよ?」
「……そりゃ光栄なこって」
やりにくさに打ちひしがれながらも、俺はなるべく適当にお礼を言うと、ふとさっき頭に
「そういえば、研ぎ直すのになんで火が必要なんだ? 別に打ち直さないといけないほどボロボロじゃなかったろ?」
「あぁ、あれね」
悠世は作業着のポケットから手のひらサイズの魔石を取り出すと、それを空に透かしながら続ける。
「魔石って炎に敏感なのは知ってる? 中に溜め込んだアーキの性質に応じて、色んな色に光るんだけど、魔剣を構成する
「要するに、性格診断のためって訳か?」
悠世は軽くウィンクをして
「それに、研磨って言っても、魔剣は魔導を流すために特殊な加工が刃に施されてるの。考えなしにヤスリでガリガリ磨いたりなんかしたら、せっかくの名刀を台無しにしちゃうからね。あの子を直すには、ほとんど打ち直しと同じくらいの手間がかかるってわけ」
それを聞いて、昔母親が同じようなことを言っていたのを思い出して、俺は少しだけ懐かしい気持ちになった。
「多分、あの子を手入れしてたのは親父だったんじゃないかな。ここらへんで魔剣が打てるのは親父だけだし、刀の癖とかも何となく似てる」
「……修復できそうか?」
恐る恐る尋ねると、悠世は少し溜めを作った後で、自信に満ちた表情になって口を開いた。
「必ず直すよ。なんたって、名匠
俺は安心して少し肩が軽くなったが、そんないい雰囲気を壊しにかかるかのように、彼女は悪戯な笑みを浮かべながら更に続けた。
「そういえば……お代の話、してなかったよね? 魔剣の手入れともなると、まあまあいいお値段するんだけど……大丈夫?」
「うっ……」
両親が残してくれた遺産のお陰で、金銭にはほとんど困ってはいなかったけれど、武具の代金ともなると話は別だ。
魔石でさえ貴重な物になると、その金額で一等地に家が一つ買えてしまう。
ましてや魔鉄鋼なんて、そもそも市場に流れているのかすら怪しい代物だ。
俺はスポーツ飲料を無理やり喉に流し込んで、緊張で乾く喉を必死にごまかした。
「……ふふ、ふふふ」
すると、突然悠世がお腹を抱えながら笑い始める。
「……は?」
「いやごめん、そんな青い顔しなくてもと思ってつい……。心配しなくてもお金なんて取らないよ。ただ……その……」
彼女は一度立ち上がると、上の空で少しもったいぶった後に沈黙を破った。
「私さ、実は、あの大会で剣を振るう君の背中を見て、刀鍛冶になろうって決意したの」
もう
「それまでは、こう……なんとなく、親父に言われるがままに勉強してたんだけどさ、そうじゃなくて、自分からやりたいって心の底から思えたのは、君のお陰なんだ」
少し距離をとった悠世は、俺の方へ向き直って続けた。
「だから、その……。刀のメンテナンスに限らずに、ちょこちょこ工房へ遊びに来てくれたら嬉しいなーなんて。……ダメ、かな?」
傍らに建つ魔石灯の光に照らされながら、ほんのり顔を赤らめた彼女はやりにくそうに俺の返事を待っていた。
すると――。
「悠世、俺の後ろへ下がってろ」
「……え? 急にどうしたの?」
「いいから早く!」
大声で彼女にそう促すと、悠世は急いで言われた通りに俺の背後へ立った。
「イヒ、イヒヒヒヒ、コンバンハ」
「え、な、何⁉️ なんなのこの声」
驚いた。どうやら姿までは見えなくとも、眼前に現れたソレの声は悠世にも聞こえているみたいだ。
「いいか? 俺から絶対離れるなよ」
「……うん」
弱々しく返事をした彼女は、恐らく見えていないであろう虚空の先を見つめながら俺の背中にしがみついた。
「ネエネエ、ワタシトゲームシナイ?」
「……ゲーム?」
「イヒヒ、ソンナコワイカオシナイデヨ。カンタンナアソビダヨ」
オブザーバーは言葉の後に人差し指を空へ向かって立てると、まるで空を巨大なモニター代わりのように使って、大きな時計を夜空に投影した。
「な……⁉️」
「アシタノアサゴジマデニ、アノトキトオナジヤマノテッペンマデ、キミヒトリダケデオイデ。ブジニタドリツケタラ、キミノカチ。ワタシハイッサイジャマシナイ。カンタンデショ? イヒヒヒヒ!」
――裏山の頂上まで? どう考えたって罠だろ。
腕時計を見ると、夜の十時四十分を過ぎたところだった。となると、俺には後六時間程の猶予がある。
それに、邪魔しないだって?
仮にマッさんがこのまま朝まで起きなかったとして、此処から歩いて帰ったって余裕で間に合ってしまう距離だ。
「もし俺が勝ったら?」
相変わらず訳の分からないその身体をグニャグニャと
「アヤネヲカイホウシテ、キミタチカラハ、テヲヒクッテヤクソクスルヨ」
オブザーバーの言葉の後に、俺は息を飲みながらもう一つ質問を投げかける。
「……じゃあ、俺がもし負けたら?」
眼前の闇は更に笑みを強調して問いに答えた。
「キミモ、ウシロニイルダイジナヒトモ、トモダチモ、ミーンナミーンナイナクナル」
俺は背筋が凍りついた。
最悪、もしどうにもならなかったとしても、心の何処かで「自分が犠牲になれば」なんて考えてしまっていたからだ。
なのに、みんな居なくなるだって? 冗談じゃない。それだけは何としても止めないと……。
「ダイジョウブ、イクラカンガエタッテ、キミハ、ヒトリジャナーンニモデキヤシナイ」
「誰が……!」
頭に血がのぼり、気付けば上段からオブザーバーめがけて木刀を振りかぶっていた。咄嗟に我に返ったが、成るようになれとそのまま真っ直ぐに振り下ろす。
しかし、木刀は得体のしれないその身体を見事に通り抜け、ただ地面へ刃先を打ち付けただけになってしまった。
「アタラナイ、アタラナイ、イヒヒヒヒ!」
――落ち着け。安い挑発に乗るな。
今は後ろに悠世だって居る。仮に今の状態で戦えたとしても、彼女やマッさんまで巻き込みたくはない。
一旦俺は悠世のところまで
「イモウト、タスケタイデショ? タスケタイヨネ? イヒヒヒヒ!」
黒塗りは尚も挑発を続けながら奇抜に笑って見せる。
――耳をかすな。深呼吸しろ。
赤髪の師に教わった通り、ゆっくりと息を吸い、また同じように吐いた。
「ジャ、マッテルヨ。イヒヒヒヒヒ!!」
オブザーバーはそう言って、満足げに夜の闇に溶けていった。
「……居なくなった。もう大丈夫」
「い、一体何だったの⁉️ それに、アヤネって、妹さんの事だよね? 助けるって、もしかしてさっきの声の奴に
俺は返しに困る。
今までは俺と彩音か、イロハさんの前にしか現れなかったアイツが、ここに来て関係のない人の前にまで姿を見せるようになってしまった。
それに、ヤツの言ってることが本当だとすると、危ないのは俺や彩音に限った話じゃなさそうだ。
――誘いに乗る意外に道は無さそうだ。けど、一体俺一人でどうやって……。
「……いや、やっぱり今はいい」
手ぬぐいをもう一度きつく結びなおすと、悠世は俺の胸元に拳を突き出して続けた。
「朝五時までにって言ってたよね? それまでにあの子を完璧な状態に仕上げて見せる。だから約束して。必ず無事で帰って来るって」
こういう時、しっかりと返事が返せないのが俺の悪いところだ。
――でも、今日だけは。
「……わかった。約束するよ」
軽く拳を打ち合わせた俺達は、残りわずかな時間の流れへと飛び込んでいった。
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