第三話 マック・フランキー

 俺は少し迷いながらも、ここで乗らないのはさすがに気まずいと思い、座席に座ってドアを閉めた。

 

「どちらまで?」


 後部座席を振り向きながら、威勢の良い声で運転手が俺に問いかける。

 

「えっと……七番住宅区の狐公園までお願いします」


「お、狐公園か。いいよなぁあそこは」


 とにかく強面な風貌とは裏腹に、声の感じはとてもフランクでノリがいい。年齢は中年くらいだろうか? もう少し若いようにも見える。

 

 しかし、俺はこういう場所で会話を続けるのがとても苦手だ。「ずっと黙ってろ」と言われれば恐らく世界中の誰よりも長く黙り続けられる自信はあるけど、会話っていうのはあまりにも難しすぎる。

 

「それにしても、にいちゃん随分若いな。中学生くらいか?」

 

「えっ、あ、はい。中学二年です……」

 

 人見知りをさせたら世界一。これも付け加えておく事にしよう。

 

「だはははは! そんな縮こまんなって。お喋りは嫌いか?」

 

「嫌い……ではないですけど、苦手ではあります」

 

 嫌いです。本当はそうきっぱり答えたかったが、悪い癖のせいか相手に合わせようとして曖昧な返事になってしまった。

 

「ほら、これでも舐めて落ち着きな」

 

 陽気なおじさんはそう言いながら、ハンドル片手に棒の付いた飴が沢山入った容器を差し出した。

 

「三本まで選んでいいぜ? 三ってのは俺のラッキーナンバーなのさ」

 

 何故三本なのかはよく分からなかったが、有り難く飴を受け取ることにした。

 

 俺はそのうちの一本から適当に味を選ぶと、包み紙を剥がして無造作に口に咥え込む。飴の味は普通のものだったが、何故か今まで食べた飴の中では間違いなく一番美味しく感じた。

 

 どうでもいい話だけど、飴を舐めるときに、舌に乗せた飴から溶け出た味が口いっぱいに広がると、何故か頬の裏側から下顎あたりにかけてツンと痛む事がある。原理はよく分からないが、今の俺にはこういう何気ない日常的な事がとても嬉しく感じた。

 

「お、やっと笑ったな?」


 運転席の隣に備え付けられたルームミラー越しに、ニヤリと笑うおじさんと目が合った。顔を見られていた事に全く気づいていなかった俺は恥ずかしくなって目線を下へ向けた。

 

「にいちゃん、なんかあったろ?」


 あまりに鋭い問いかけに、首と背骨の付け根あたりから腰にかけてを貫くような、まさに雷の如き衝撃が体に走った。

 

「なげぇ事この仕事をやってると、乗っけた人の顔を見るだけでなんとなーく色んな事が分かっちまうのさ。別に深くは聞かねぇ。ただ、まだちっちぇえチビっ子が、そんな死に際の爺さんみたいに据わった目しちゃいけねぇ」


 たった数分の短いやり取りだけで、このおじさんが只者では無い事は経験の浅い俺にでも分かった。

 

 死に際と言われれば確かにそうだ。今日だってイロハさんが助けてくれなければ今頃死んでいた。そして、その脅威は一ヶ月後にまたやってくる。

 

 俺がイロハさんを疑った目で見てしまっていたのも、結局は俺自信を守りたかっただけなんだ。イロハさんが嘘をついていたのだとすれば、一ヶ月後に殺されるというのも本当は出任せかもしれない。そうなれば、今こんなに追い詰められた思いをしなくて済む。

 

 そこまで思考を巡らせた辺りで、俺は結局また逃げたかっただけなんだと納得する。

 

 逃げたって良いじゃねぇか……。逃げる事の何が悪い。俺はまだ中学生だ。まだ子供なんだ。なのになんで、なんでこんな……。

 

「さ、着いたぜ坊主」


 おじさんの声に促され、窓の外を見ると見慣れた景色が広がっていた。雨もいつの間にか止んでいて、つい半日前にこの近くで死にかけたとは思えないほどに穏やかな時間が流れていた

 

 俺は飴のお礼を言った後に財布からお金を出そうとしたが、おじさんは首を横に振ってそのまま車を降ろされた。

 

「あ! そうだ。 ちょっと待ってろ」


 何かを思い出したかのようにおじさんも車から降りると、黄色い車体のルーフを使ってペンでメモに何かを書くと、身長差のある俺に合わせてすこし屈んでメモを差し出した。

 

 そこにはこう書かれていた。

 

 

   マック・フランキーのコンコンタクシー

    33-3333

 

 

「実はよ。俺にもおまえさんくらいの息子が居たんだけどな。五年前に列車事故で亡くしちまってよ。だからってわけじゃねぇが、何となく放っとけなくてな」


 おじさんの言葉に俺はギョッとした。こんなに何処までも明るく人当たりのいいおじさんに、そんな過去があったなんて思いもしなかったからだ。

 

 さっきはおじさんの観察眼に驚かされはしたが、結局言うだけなら誰にだって出来てしまう。

 そんなのは、安全地帯に居るから言えるんだろうと、おじさんに対して勝手なイメージを押し付けてしまっていた。

 

 俺はまた少し涙腺が緩みそうになりながらメモを受け取ると、おじさんは笑顔で車へと戻っていった。

 

「じゃ、家まで気をつけて帰れよー」


 最後まで元気に声をあげ、軽やかにクラクションを二回ほど鳴らして車は走り去ってしまった。

 コンコンタクシーって書いてあったけど、その名の通り、クラクションは狐の鳴き声のような可愛らしい音色だった。

 


 公園から家までは歩いて数分もかからなかった。ほんの半日空けただけなのに、まるで数年ぶりに家に帰ってきたような、そんな気さえするほどに家の中はいつも通りで、何処もかしこも安心感に満ち溢れていた。

 

 彩音を病院へ連れて行く時、イロハさんに頼んで一度家へ帰らせてもらったんだけど、頭が真っ白な状態で色々支度をしたおかげで、家の中はまるで空き巣にでも入られたかのように散らかっていた。

 

 とりあえず片付けは明日にする事にした俺は、そのまま階段を登って自分の部屋へ行くと、上着とズボンを脱ぎ捨ててベッドに沈み込んだ。

 

 今日一日で色んな事がありすぎた。本当に、色んな事が……。

 

 …………――。

 

先天性せんてんせい魔導廻廊まどうかいろう欠損症けっそんしょう……?」


 俺の隣りに座る母親が、目の前の白衣を着た女性が告げた言葉を復唱する。

 恐らく医者であろう白衣の女性はそれを聞いて軽く頷くと、この病についての説明を始めた。

 

「と言っても、そう診断するしか無い、というのが本当のところです。先天的に魔導廻廊が存在しない患者さんは、恐らく世界中でも息子さんが初めての例かと思われます」


 なんだ、いつもの夢か。

 度々俺はこの夢を見る事がある。始まりは決まってこの場面からで、この後母親が隣で泣き崩れる。俺はこの時、何がそんなに悲しいのか全く理解していなかったが、その涙に込められていた想いを知ったのは、俺が両親を亡くした後の事だった。

 

 先天性魔導廻廊欠損症。それは魔術が全てのこの世界で唯一、魔法の一切を扱えない体で産まれてきてしまった、俺の体だけに与えられた病名だった。

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