第4話 ロンドンの二紳士

 ロンドン、サマセット・ハウス。

今朝の首都は珍しく空気がひんやりと澄んでいて過ごしやすい。

チャールズは地質学会の談話室で論文を読んでいた。


 「サー・ベントレー。火山島についての著作、素晴らしかったです」

顔を上げる。声をかけてきたのがお目当ての人物であることを確認し、チャールズの顔が綻ぶ。

「読んでくれたのか、ライエル君」

「もちろんです。特に火山ごとの特徴の記述、その差異の考察が非常に説得力がありました。感服しました!」


 チャールズより更に長身、寝癖がついた髪に剃り残した頬髭、擦り切れたモーニングコート、微妙に傾いたタイ。身なりに無頓着な人間であることは誰でも一目で察するだろう。意志の強そうな眉、鼻、顎の線の太さが一見取り付きにくそうな印象を人に与える。

ライエルは灰色の目を細め、歯をのぞかせて屈託なく笑う。急に年相応、二十代の青年らしく見えるようになった。


 後輩をじっと見つめてから、チャールズは尋ねる。

「突然だが、君のことをトーマスと呼んでもいいかい?」

「光栄です!僕もチャールズと呼んでも?」

「ああ、もちろん。ところで、以前君はお話好きな妹さんの話をしてくれたな」

「ええ、妹は病弱で外へ出られず、物語が唯一の楽しみでした。いつも青白い顔をしているのに、本を読み聞かせる時だけバラ色に染まる頬を見るのが嬉しくて。10歳で天に召されてしまいましたが……。今だったらもっと、本を買ったり借りたりしてやれたでしょうに」

力なく肩を落とす青年の姿をしばし観察し、チャールズは徐に口を開く。


 「トーマス、君に折り入って頼みがある。11月にスタッフォードシャー、ラウリッジ邸で開かれる舞踏会ボールに参加してほしい。招待状、服や馬車の手配はこちらでする」

「はい⁉えーと、クリケットのような球技ボールに出ろ、ということでしょうか……?」

頓珍漢な返事に苦笑しながら、チャールズは言葉を重ねる。

「そんなわけないだろう。女性と踊る夜の舞踏会ボールだ。私の二十歳になる姪の相手パートナーを務めてほしい」

「ええ⁉突然幻聴が……女性と、踊る?この僕が?あなたの姪ですって⁉」

頓狂な声とともに、トーマスの眼がこれ以上ないほど見開かれた。



 1844年11月、スタッフォードシャー。

街道に近いとある宿の玄関ホールでチャールズとトーマスは押し問答する。

「やっぱり僕には荷が勝ち過ぎます!深窓のご令嬢とダンスなんて!!一度も舞踏会に参加したこともないのに。付け焼き刃の練習じゃ絶対ボロ出ますって。ご自分が姪御さんと踊ればいいじゃないですか!」

「私は地元で独身道楽者として敬遠されているんだ。エスコートはまだしも、ダンスはメアリの評判に響く。それに南方で足を痛めたのは君も知っているだろう。大丈夫、指導してくれたダンスの名手と名高いフォントルロイ卿も君のリズム感を褒めていたじゃないか。何とかなるさ」

「そう、それです!なんで平民にダンスを教えるために、いきなり伯爵が現れるんですか⁉どう考えてもおかしいでしょ!一体どうやって誑し込んだんです?」

「人聞きの悪い。あのな、フォントルロイ卿はお父上の代から筋金入りの壺狂いマニアなんだ」

「へ⁉」

「義兄が発表予定の壺を世間に先駆けてお目にかけ、お望みなら格安で譲ると言ったら、二つ返事でレッスンを引き受けてくれた」

「もう嫌だ、これだから平民名家は!色々感覚がおかしい!!」

慣れない状況に混乱しているせいか、トーマスの口調はいつになく砕けている。


 「与太話してたら、もう時間がない!皆を迎えに行かないと!!いいか、必ず招待状を持って9時半までにラウリッジ邸に来るんだ!」

舞踏会の会場は事前に御者に伝えてある。返事も聞かず、チャールズは大慌てで四輪馬車に乗りこむ。メアリたちの迎えに遅れてしまう。






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