第3話 義兄弟のはかりごと

 1844年初秋、ストーク・オン・トレント、ウェッジヒル邸。

「お久しぶりです、義兄さん。どうしました?急に呼び出しなんて」

「ああ、ちょっとな。どれ、まずは一杯やろう」

ジョサイアが蒸留酒の瓶とグラスを棚から取り出す。

チャールズは正直酒があまり好きではない。だが、義兄が素面しらふでは話し辛いなら付き合うより外なかった。

最初の一杯をゆっくり飲み干し、大きく分厚い手でグラスを弄びながら、ジョサイアは重たい口を開く。


 「メアリのことなんだが」

「はい」

「あの二十歳はたちになった。そろそろ売れ残り扱いだ」

「僕は36で独身ですよ?」

「わかっとるだろう、女と男では独身者の扱いが違う」

「ええ、それはまあ」

「俺は無理に嫁がんでもいいと思ってる。この家は広いし、部屋数に余裕もある。

祖父じいさんが残した遺産が相当あるしな、お前も分かっとるだろうが」

「ええ」


 チャールズから見て母の父に当たるメアリの曾祖父は、徒弟から出発し英国で一、二を争う製陶業を一代で築き上げた立志伝中の人物だ。その製品の販路は遠くロシアやアメリカにも及ぶ。

事業は叔父、義兄が継承し発展させているが、その遺産を亡き母を通じて受け継いでいればこそ、チャールズは無報酬で5年もの長期航海に同行できたのだ。恵まれた境遇だという自覚はある。三十路みそじで呑気な独身なれば尚更。


 「しかしメアリが天寿を全うするまで俺も生きられはせん。やはり心配は心配だ。娘が生涯独身を通す、というのは妻が神経衰弱になりそうだし」

言葉尻を濁したところを見ると、メアリの結婚問題を巡る家庭内戦は既に勃発しているのだろう。

「嫁ぎ先の当てがないというなら、妻も他の子どもたちも納得するかもしれんが、あの娘は男性に人気があるんだ。莫大な持参金がある上に、親の欲目抜きでも愛らしいからな。目を見張る美人ではないにしても」

「そうでしょうね」

チャールズは一年前に会った頃のメアリの姿を思い浮かべる。淡い色合いのデイドレス、マグノリアの花のような可憐な姿。

論文や著書の執筆で忙しく、最近彼女と顔を合わせていなかった。

「適齢期の男性に求婚されても浮かない顔をするばかり。あれと仲のいい姉のキャロルが聞き出したところによると『本に興味がない、むしろ話題にすると賢しらな女、と眉を顰める殿方ばかりで、結婚したら読書を失うかもしれないと思うとどうしても頷けない』ということだった」

「ああ……」

メアリらしい答えに得心が行く。


 「そこで、だ。お前とメアリは昔から気が合っただろう。お前の友人で、妻の読書癖を気にせず、難しい話も一緒に語り合えるような男に心当たりはないか?女遊びや酒、賭博、ややこしい親族といった類の難がないなら、家柄や財産の釣り合いなぞ気にせんでいい。どうせ我が家も成り上がり三代目だ」

「紹介してくれるなら、メアリの社交予定を後で妻から渡す。会場へそいつを連れてこい。直近は来月のスミス家、次が11月のラウリッジ家だ」

「いくらなんでも来月は無理ですよ。鳥撃ちに招待するわけじゃなし。まあ、心当たりを探してみます。他ならぬメアリと義兄さんの為ですし」


 コンコン、と小さくノックの音がした。

「お父様、叔父様、お話は済んだかしら?」

メアリがドアを小さく開け、顔を覗かせる。

「ああ、済んだぞ。ほら、入っておいで」

ジョサイアが目尻を下げる。巨漢の家長は娘に甘い父親なのだ。


 「チャールズ叔父様はロンドンに行ったことあるんでしょう?」

「ああ、時々学会でね。どうして?」

「チャールズ・ディケンズの『オリバー・ツィスト』を読み終わったばかりなの。ロンドンの群衆って本当にあんなに凄いのかしら?想像もつかないわ!他人ひとを舐めていた小悪党が人波に追い詰められるところ、息を止めてページを繰ってしまったの。あんなに見渡す限り人、人、人、叫び、叫び、なんてことがあるのかしら!」

「ああ、その本は僕も読んだ。鬼気迫る描写だったね。起こり得る、と思うよ。集団は……一方向に動き始めたら抑えるのは難しい」

大陸で遭遇した幾つかの出来事を思い出し、押し黙る。


 チャールズは姪を見つめながら、内心である青年の顔を思い浮かべていた。

(そうか、彼ならどうだろう?)


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