第5話 ミスター、お手をどうぞ

 ウェッジヒル邸は煌々と明かりが灯っていた。着飾った女性たちが入口で待っている。息急き切って階段を上り、メアリとその姉夫婦の元にたどり着き、言葉を失った。


 栗色の髪、榛色の瞳。そう、目の前にいるのは間違いなくメアリだ。

けれど、結い上げられた髪を支えるほっそりした首も、白い項も、控えめな胸の開きから覗く華奢な鎖骨も、クリーム色のドレスが隠し強調する女らしい体の線も、光を映す潤んだ瞳も、本好きおチビ少女だった頃とは何もかも違っていた。いつの間にか、メアリは大人の女性へと変貌していた。

目を逸らせず暫し見とれてしまい、動揺をごまかすように咳払いする。

「とても綺麗だ、メアリ。エスコートできて叔父さんは光栄だよ。キャロルもトレヴァ―氏もどうぞよろしく」

メアリの姉夫婦に急ぎ挨拶する。

馬車の中では弁護士であるトレヴァ―氏と世間話に花を咲かせた。メアリが手持ち無沙汰にしていることは気づいていたが。


 ラウリッジ邸にメアリをエスコートして入場すると、探すまでもなくトーマスはすぐ見つかった。

というか明らかにソワソワ、キョロキョロして挙動不審なのと、姿勢のいい紳士たちの間で猫背なので嫌でも目立つ。

「トーマス、来てくれてありがとう。こちら姪のミス・メアリ・ウェッジヒル。メアリ、私の友人で地質学会の同僚、ミスター・トーマス・ライエルだ。トーマス、公の場ではもっと背筋を伸ばして……」

返事はない。忠告は彼の耳に届いていなかった。


 トーマスがメアリに特別な感情を抱いたことは誰の眼にも明らかだった。

不躾だと咎められても文句は言えないほど、彼の眼は榛色の瞳に釘付けになっている。

唇が開いて閉じ、喉がごくりと動く。金縛りにあったように身動きもせず、一言も発さない。

見かねてメアリが年上の青年に助け船を出した。

「チャールズ叔父様からお名前は伺っていますわ、ミスター・ライエル。地質の研究をしていらっしゃるんでしょう?お会いできるのを楽しみにしておりました。どうかご一緒していただけますか?」

手を差し出し、ふわりと微笑む。トーマスの耳が真っ赤に染まった。


 落ち着いたメアリにぎこちないトーマス、対照的な組み合わせの二人がダンスを終え、グラス片手に会話を始める。前のめりに話しこむ姿を見る限り、トーマスは普段の調子を取り戻したようだ。

声は聞こえないが、メアリの表情を窺う限り、彼の印象は悪くなさそうだ。

周囲でメアリの相手について詮索する囁き声が耳に入る。彼は貴族や豪商の出身ではないから、予備知識を持つ人間はここにはいない。良い評判も悪い噂も出るはずがない。

となれば、メアリ本人とその両親が彼を受容するかどうかが全てを決める。

思惑通り事が運んでいるのに、何となく面白くない自分に首を傾げた。


 親族3人を屋敷へ送り届けて暇を告げ、トーマスが泊っている宿屋に併設されているパブに向かった。

トーマスは着替えもせず、燕尾服のままエールを前に呆然と座っていた。手つかずの酒はすっかり気が抜けている。


 「どうだい、メアリの印象は?」

「ドーヴァーの崖よりも白い手、茶色苦土橄欖石シンハライトのような輝く瞳、ファウンテンズ僧院遺跡アビーのせせらぎのような優しい声!」

トーマスが出し抜けに叫ぶ。それから急に勢いを無くし、ボソボソと呟く。

「どう考えても僕じゃ不釣り合いですよ。なんで紹介しようなんて思ったんです……?」

頭を抱えて項垂れる。


 「おう……。ここまで残念な奴がこの世にいたとは。語彙が特殊過ぎて、褒め言葉なのか何なのかさっぱりわからん。女性相手に使うなら、もっと一般的な単語へ脳内変換してから口に出せ。しかし話は弾んでいたみたいじゃないか」

「僕の研究を尋ねてくれたので、浮かれて一方的に喋っていただけです。目を輝かせて話を聞いてくれるから夢見心地で。とんでもなく空気読めない男じゃないですか!」

「大丈夫、メアリは研究馬鹿の唐変木には私で慣れてる。地質変化の連続性の話かい?」

「そうですけど」

「本当に興味があったんだと思うぞ。あの娘は好奇心の塊だから。そういえば、スケッチも上手で庭の草木や石をよく観察して描いていたな。他にはどんな話を?」

「子どもの頃のロビンソン・クルーソーごっこの話とか……?うう、だめだ自分の事ばかり」

「なら大丈夫だ。きっとお眼鏡に適ってるよ。懲りずに誘え」

「なんで言い切れるんです?」

「生まれた時から知ってるからな。メアリを本から遠ざけたりしないだろ、君は」

「当たり前じゃないですか!」

「それが肝心なんだ。これからも自分の話を聞いてほしいなら、メアリがする本の話にも関心を寄せ続けろ」





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