告白する先輩

 冬休みが間近に迫ってきた十二月の中旬。一限目にある必須科目の授業が終わった。大教室から出て行こうとする周りの学生は、聞こえてくる会話の内容からサークルの冬合宿やら遊びの予定やらで浮き足立っているのが伝わって来た。


 あの夜から、僕と透子さんの関係性は少しだけ変化した。


 バイト先で会う度に、またいつものように一緒に帰るのだが、今までより距離が近づいた気がするのだ。


 例えば、一緒に帰りの電車に乗る時。隣同士で席に座った時に、透子さんは僕の肩にこつんと頭を乗せてもたれかかる時がある。


 僕は気恥ずかしさと彼女の可愛らしさでどうにかなりそうだったが、何とか「どうしたんですか」と聞いてみると、彼女は「何でもない」と答えた。


 そして、そういう時の向かいの車窓に映る彼女の顔は、決まって寂しげであった。


「また君を利用して、ごめんね」


 そう謝られる日もあった。


 透子さんの意図はわからなかったが、僕は素直に嬉しかった。彼女は僕を頼ってくれている、という実感があったのだ。


 そういうことが続いていたから、僕は一人で浮かれていたのだと思う。


 一限目に配られた、分子遺伝学の参考書のプリントをのんびりとファイリングしていた時だった。


 ジーンズのポケットに入れていた携帯が振動した。何かメッセージが来たのかと思ったら、その振動は長く続いていた。僕の携帯には珍しく、電話がかかってきたのだ。


 休み時間であったので、僕は急いで電話に出た。相手は京香さんだった。


『いきなり電話してごめんね』


「いえ、今は時間があるので大丈夫ですよ」


『そっか。よかった。大事な話があるから、なるべく早く会いたいんだけど……』


 電話ではできないような話なのだろうか。


「次の時間は空きコマなので、そこで時間を作れると思います」


『わかった。場所は部室棟の3階の談話スペースでいいかな』


「了解しました」


 そうして電話は終わった。京香さんから電話が来るのはこれが初めてだった。


 何となく嫌な予感がしていた。僕は手早く荷物をまとめ、部室棟に向かった。


 談話スペースは部室棟内の階段を上ってすぐの所にある。二限の時間だからか、学生はほとんどおらず静かであった。


 広々とした白い内装の空間には細長い机が五脚並べてあり、部屋の端には学生が使える共用のパソコンが何台か設置されていた。ホワイトボードが置いてあるのは、部活やサークル内の会議で使われるものなのだろうか。


 京香さんは先に来ていた。談話スペースの一番奥の机の端の席で待っていた。僕は彼女の前に、階段側に背中を向けるような形で座った。


「遅くなってすみません」


「ううん、そんなに待ってないよ」


 京香さんは少しかすれた声で答えた。おどけて笑っていることが多い彼女だが、今日は顔に血の気がなく、表情も暗かった。普段は内巻きに整えられている金髪のボブヘアも所々はねており、着ている服もシンプルな白のパーカーにジーンズと、派手な格好が好きな京香さんにしては落ち着いた服装であった。


「それで、大事な話ってなんでしょうか」


「うん、そうだね…… まずどこから話そうか」


 京香さんは俯き、何かを考え込みながら話しているといった風で、少し歯切れが悪かった。


 彼女は目を瞑り、しばらく黙っていた。そして目を開くと、彼女はこう言った。


「透子が、死んじゃったの」


 京香さんの言ったことが、すぐには理解できなかった。透子が、死んじゃったの。言葉の意味は分かっても、それが意味のある文章として僕の頭に入ってくるまでには時間を要した。


「……いきなりこんなことを話してごめん。でも、君はちゃんと知っておく必要があると思ったんだ」


 京香さんはそういうと、また俯いた。


「透子と連絡がつかなくなったのが4日前からで、サークルにも来ないから電話もしたんだけど全然出なくて。わたし、一度旅行のついでに透子の実家に泊まったことがあったから、透子のお母さんの連絡先もってて、昨日電話したんだ。そしたら、透子は一昨日の夜に自分の部屋で死んじゃったって」


 最後の方は声が震えていた。京香さんの表情は固くこわばっていた。瞬きをせず、僕の方を真っすぐ見る。


「遺書は、特になかったみたい。あいつ、前に会った時は何にも言ってなかったのに……」


 話をしている間、京香さんは瞬きを全然しなかった。その目元は赤く腫れぼったかった。


「それでね、これだけは覚えていて欲しいんだけど、こうなっちゃったのは君のせいではないからね。絶対に自分を責めちゃ駄目」


 京香さんはそれから、透子さんが死んだのは僕のせいではない、誰にも止められないことだった、といったことを繰り返した。恐らく、京香さん自身にも言い聞かせていたのだろう。


 京香さんは途中でつっかえつっかえになりながらも、何分も話し続けた。その中で、透子さんが同じサークルの4年生の男子学生に好意を抱いていたことを初めて知らされた。


 時間やお金、心や彼女の体など、彼女の持ちうる限りのものの大半を彼に尽くしていたが、その男性は透子さんを何とも思っていなかったようで、彼女を自分の都合のいいようにしか使っていなかったらしい。京香さんはその男性と関わるのを止めた方がいいと何度も説得したが、透子さんは聞く耳を持たなかったそうだ。


 透子さんに好きな人がいることを、京香さんは僕に何度か伝えようとしていたらしい。だが、透子さんのことを想っている僕の姿を見ているとそれはあまりにも酷だと思い、中々言えなかったそうだ。思えば、十月に透子さんの持っているカレー屋に行く途中の踏切で、彼女は何かを言おうとしていた。もしかするとあの時に、透子さんには意中の人がいるのだと伝えたかったのかもしれない。


 透子さんが死んだ理由を挙げるとすればきっとそいつのせいで、君のせいでは絶対ない、とも言った。最後の方は、透子さんが死を選ぶまで追い詰められていたことに気付けなかった自分のせいだ、ということばかりを言っていた。僕には自分を責めちゃ駄目、と言っていたのに京香さんは自分を激しく責めていた。その間、涙は一度も見せなかった。


 二限の終わりを知らせるチャイムが鳴った。京香さんはそれを聞いてハッとしたのか、そこで話を終えた。


「……ごめん。それじゃあね」


 京香さんは席を立つと、階段へと歩いて行った。


 僕は振り返り、彼女が歩いていくのを見た。肩はふるふると震えており、去る姿はとても弱々しかった。僕はその背中に何一つ言葉をかけられなかった。


 僕は一人になった。昼休みになったので、学生たちが談話スペースにどんどんやってきて、大声で何やら話していたが、その喧騒がどこか遠くのもののように思えた。僕もここから離れようと思い、力の入らない体を何とか動かし、階段を下りた。

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