31、ハナは桜一族のお花見会に行く

 ポタンッピチャンッと不規則な音を立てながら雪が溶けていく。山々を白く塗り替えた雪は消え、芽吹きの春がやって来た。

 輪野村に植えられた桜の蕾が開き始める。すると桜一族のお屋敷からは、毎日のようににぎやかな声が聞こえてくるようになった。一族の名である桜が咲く春は、桜一族にとってとても大切な季節なのだ。


「今度日曜、うちで大規模なお花見をやるんだ」

「へえ、素敵だね! 桜のお屋敷って、おっきな桜の木があるって言ってたもんね」

 放課後、ハナとセイは学校に植えられた大きな桜の木の下で二人きりのお花見をした。とはいっても食べ物も飲み物もなく、ハナの風呂敷を敷いて桜を見るだけだ。

 箒競争以来、二人は小川で会うのをやめて、こうして学校の中や村の広場で会うようになった。時々、理仁をはじめとしたクラスメイトも加わった。

「毎年村の人も来られるようにして、団子とか饅頭とかふるまうんだけど、今年は、三日月の人も呼んでいいことになったんだ」

 ハナが「えっ」と叫んで目を輝かせると、セイは笑顔でうなずいた。

「それって行っても良いってこと?」

「うん。来てくれるか?」

「もちろん! 小糸姉さんたちも連れて行っていい?」

「むしろたくさん連れてきてくれたら嬉しいよ」

 箒競争の後、三日月一族と桜一族の大人たちは、互いを理解しあうための懇親会を定期的に開くようになった。初めはケンカや魔術争いが起き、村人たちに迷惑をかけていたが、一か月前のある出来事をきっかけに、二つの一族の様子は軟化していた。



『――今日の懇親会で、おもしろいことが分かったんだ』

 まだ寒さが残る二月の夕食の席で、寿郎がニマニマしながら言った。ハナもニマニマしながら聞き返す。

『なあに、父さん。早く教えて』

『ああ。三日月一族と桜一族は、千百年も前から仲が悪かったと言われているだろう』

『よっぽどのことがあって、お互いを恨み合ってるんでしょう?』と小糸。

『父さんもそう思っていたんだ。でもな、今週一週間をかけてそれぞれの蔵を調べたところ、その中から出てきた日記で驚くべきことが分かったんだ』

 短く言うと、三代目の三日月一族と桜一族の当主の仲がとても悪く、また性格も横暴だった。この二人によって、一族の人間たちは相手一族のことを悪い存在だと刷り込まれてしまったというのだ。「それは洗脳にも近かった」と、当時当主補佐をしていた者の鍵付きの日記に書かれていた。

『強欲でもあったらしく、依頼を独り占めする目的もあったらしい。今も妖怪退治や薬草薬の依頼は取り合いだろう』

『……つまり、たった二人のご先祖様のわがままで、長い間、たっくさんの人が恨み合っちゃったってこと?』

 ハナが両手を広げて「たくさん」を表現すると、寿郎は苦笑いをしながら『そういうことになるな』と気まずそうに答えた。

『拍子抜けちゃう! わたしもセイも、仲良しだってことを隠すの、大変だったのに! ……でも、もう嫌い合わなくていいってこと?』

『ああ。両一族の当主が、自分の代でそんな愚かなことは食い止めると、宣言したよ。村の人も証人になってくれた。むしろこれからは、魔術師の一族として高め合う存在でいることになったよ――』



「うわあ、楽しみ! お呼ばれなら、何かお土産を持って行かなきゃ!」

 ハナが興奮して立ち上がると、同時に桜色の波が風で揺れた。ハナの髪に桜がいくつも落ちてくる。セイはクスッと笑って立ち上がり、その花びらをそっと手で取った。

「ただ来てくれるだけでいいのに」

「だめだよ! あ、考えてみたら、初めてセイのお家に行けるんだね。とびきりおしゃれしなきゃ」

 セイは大きな瞳を三日月型にして、「それはちょっと楽しみだ」と笑った。

 残りの三日間の学校はまるで身に入らなかった。ハナは授業中も終始、何をお土産にしようか、髪型はどうしようか、着物はどれを着ようか考えていた。


 そして待ちに待った日曜日、ハナは紅からもらった桜の帯飾りをつけ、着物は淡い水色の鞠柄で、帯は黄色を選んだ。

「どう、黒豆。似合う?」

 黒豆は元気よく「わんっ」と答えた。


 鼻歌を歌いながらリビングルームに入ると、家族みんながそろっていた。

「みんな支度が済むの早いね」

「ハナはいくらだって準備してていいのよ。今日を誰よりも楽しみにしてたんだから」

 小糸は「かわいいっ」と声を弾ませて、ハナを抱きしめた。

「お土産の準備もできてるぞ。昨日みんなで作ったヨモギ饅頭だ」

 寿郎は三日月柄の風呂敷包みをテーブルから持ち上げた。風呂敷はずっしりとしていて重そうだ。

「これだけあれば、三日月の人も桜の人もみんな食べられるね」

「そうだな。それじゃあ行くか。母さんは足元、気を付けて」

「ありがとう、蒼志。結がどんどん大きくなるから助かるわあ」

 蒼志は結を抱いている小春に肩を貸して、先に玄関へ歩き出した。


 大学にいる紅を除いた寿郎一家全員と、数十人の三日月一族は、そろって門を出た。守路や顕真と瑠璃子も一緒だ。お隣の門の前まで来ると、爽やかな若草色の袴を着たセイが出てきた。

「今日は来てくださってありがとうございます。もう村の人も来てくださってますよ」

「ご丁寧にありがとう、セイ。では、案内してくれるかな?」

 セイは元気よく「はいっ」と答え、黒豆を抱き上げて寿郎を先頭に中へ案内した。黒豆はすっかりセイに懐いたのだ。

 桜一族の腕木門をくぐるのは、これが初めてだ。ハナはお土産の包みをギュッと抱きしめた。そうでなければ、胸が期待と不安で弾けてしまいそうだ。すると、小糸がそっと「楽しみね」とささやいてくれた。

「……うん。すごく!」

 門をくぐると、鐘が鳴り、続けて人々が通る度に鐘がカンカンカンカンとやかましく鳴った。すると、桜一族のお屋敷にいた人々が一斉に門の方に注目した。

 セイはすうっと息を吸い込み、明るい声を張り上げた。

「三日月一族の皆さんです!」

「おお、寿郎!」

 駆け寄ってきたのは裕次郎だ。裕次郎は、宋生の弟である寿郎のことを、子どもの頃から可愛がってくれていたのだ。

「来たんだな。……でも宋生は来ないか」

「一緒には行かないと言っていました。でも、夜になれば酒が入るので、酔った勢いで来ると思います」

 裕次郎は「世話が焼ける奴だ」と笑った。

「……ようこそ、三日月一族の皆さん」

 裕次郎の後ろから現れた義雄は、大きな桜が描かれた羽織を肩にかけ、腕を組んで、首をクイッと上げている。その目からしても、まだ素直にはなりきれていないらしい。

「お招きいただきありがとうございます。こちら、我々からのお返しです」

 寿郎がチラッとハナを見ると、ハナはサッと義雄の前まで走っていった。義雄は寿郎や宋生よりも遙かに背が高く、横にも大きい。その威圧感に、ハナはゴクッとツバを飲みこんだ。

「ご招待、ありがとうございます。うちで採れたヨモギを使ったヨモギ饅頭です」

 風呂敷に手汗がじわじわと染みていく。セイは押し黙ってその光景を見つめた。

 義雄は数秒間、ハナの目をジッと見つめた。ドキドキしながら見つめ返しているうちに、目元はセイと似ていることに気が付いた。すると、ウソのように緊張は消えた。

「ありがたく頂戴する。庭にある団子や饅頭、汁粉や昼食などは好きに食べなさい」

「あ、ありがとうございます」

 役目を果たしたハナはぺこっと頭を下げて、寿郎の後ろに戻った。

「では、好きに見て行ってください」

 そう言うと、義雄はくるりと翻って、庭の方へ歩いて行った。

 その後姿を見送ったハナは「うわあ!」と大きな声を上げた。この瞬間まで気がつかなかったが、桜一族のお屋敷の中央、桜型の池の後ろには、池を覆い隠すほど大きく太い立派な桜の木が生えていたのだ。桜の木は枝を縦にも横にもグングン伸ばし、庭を囲うように建っている家々の窓にも届きそうだ。

「あんな大きな桜、見たことない!」

 目を輝かせ、今にも飛び出しそうなハナを見て、寿郎はクスッと笑った。

「立派だな。ぜひ近くで見せてもらおう」

 寿郎の言葉を合図に、三日月一族の子どもたちは桜の木に駆けて行った。




「――なあ、お前のこと、なんて呼べばいい?」

 池の傍のテーブルに並ぶ三色団子に手を伸ばしていた蒼志は、パッと顔を上げた。立っているのは、同い年の桜二郎と桜宗明だ。学校では顔を合わせるだけで、話をしたことはない。

「ふつうに蒼志でいいよ。そっちこそ、なんて呼べばいい?」

 二郎と宗明は嬉しそうに顔を見合わせ、蒼志に一歩歩み寄った。

「俺はジローで!」

「僕はソウとか宗明とか呼ばれることが多いかな」

「それじゃあ、ジローとソウだな」

 三人は照れくさそうに微笑みあい、三色団子を持って、竹製の長椅子に並んで座った。

「実は、俺とソウ、ずっと蒼志と話してみたかったんだ」とジロー。

「俺と?」

「ああ。だって蒼志ってすごく頭が良いだろ。どんなに勉強しても勝てないから、嫌でも興味わいたよ」

「……あと、蒼志は女子にも人気があるし」

 ジローの言葉に、ソウは「おいっ」と恥ずかしそうに小突いた。

 蒼志が通う男子校と、小糸が通う女子高は隣り合って建っている。そのため、窓から相手が教室の様子が見えたり、登下校ですれ違ったりすることはよくある。そして蒼志は、女子高の生徒から頻繁に声をかけられているのだ。

「あ、別に勉強のことも女子のことも、利用してやろうと思ってるわけじゃねえんだ。ただ、蒼志みたいな男になりたいなと思って……」

「仲良くしてくれたら嬉しい」

 ジローとソウの言葉に、蒼志は胸がうずうずした。

 姉妹に囲まれて育ったため、無意識のうちに少しでも早く自立しなければ、と思っていたことは事実だ。勉強も魔術も、見た目に気を遣うのも、自分から進んでやっていたことだ。

 それを外から見た他人に、こんなにも褒められるとは思いもしなかった。ただし、女子学生の人気を得ようとしてした努力は一つもないが……。

「俺こそ、仲良くしてくれよ。三日月の屋敷には七人男子がいるんだけど、半分は大学に行ってて、いないことの方が多いんだ。だから、身近に同い年の同性がいたら、かなり嬉しい」

 蒼志がにっこりと笑うと、ジローは「なるほど、この笑顔か……」とつぶやいた。すかさずソウが小突く。

「それじゃあ、これからは友達ってことで。よろしくな、蒼志」

 三人は固く握手を交わした。




「――あの、小糸さん」

「あら。あなたは蒼志と同じ学校の……」

「うん、桜佑真」

 小糸は手近なテーブルに置かれた汁粉を二人分取って、一つを佑真に渡した。

「ありがとう。それから、今日は、来てくれたことも、ありがとう」

「ふふ、お礼を言われるようなことじゃないわ」

 二人は佑真が用意した風呂敷の上に座り、桜を見上げた。この二人も、これまでは学校までの道のりで何度か顔を合わせただけだった。

「立派な桜で驚いたわ。これを十年以上も見逃してたなんて、もったいないわね」

 小糸はさじで白玉を掬い、口に運んだ。佑真は返事をせずに、同じように白玉を食べた。

 白玉のもちりとした食感と、小豆の甘い味に、小糸は「うーんっ」と歓喜の声を上げた。その横顔を見つめながら、佑真はゴクッと白玉を飲み込み、自分を奮い立たせた。

「……これからは毎年見られるよ。当主様、あんな感じだけど、今日のこと、そわそわして待ってたから」

「あら、そうなの。春の楽しみができちゃったわ」

 小糸がにっこりと笑うと、佑真も頬を赤くしながら微笑んだ。




「セイ! すごいね! 本当に桜の形!」

 ハナは桜型の池に掛けられた反り橋の上で、ぴょこぴょこと跳ねた。

 橋の上は桜色の敷物が敷かれたように、美しい花びらで満たされている。池にも花びらがいくつも浮かんでいる。桜色の小船のようだ。

「ハナの方は三日月型だもんな」

「うん。どっちもすごく素敵だね! あ、カメがいる!」

「ああ、三匹いるんだけど、あんまり顔を出さないんだよ。甲羅干ししてるところもあんまり見ないし、大丈夫かな」

「わんわんっ」

 二人と一匹が屈みこんで川の方に手を伸ばすと、顔を出しているカメがニヤリと笑った。

「本当に人間は鈍いなあ」

「えっ! カメさん話せるの!」

 カメはクツクツ笑いながら「やっぱり鈍いね」と言った。

「滅多に会えないんだから、知れるはずないだろ」

「ちがちがう。ぼくらカメが、三日月と桜の池を行ったり来たりしてることも知らないだろう?」

「「ええっ!」」

 ハナとセイの叫び声に、北の裏山のやまびこが「ええ!」と答えた。

 カメはまたクツクツと笑い、池に落ちた桜の花びらを食んだ。

「どうした、セイ」

 橋を登って来たのは、セイの兄弟の四男である澄史郎だ。手には三人分の炊き込みご飯のおにぎりが乗ったお盆を持っている。

「あ、に、兄さん。カメが喋ったんだよ。知ってた?」

「へえ、知らなかった。これからは水の中のことは聞き放題だな」

 澄史郎はのんびりとそう言い、橋に座って足をぶらつかせながらおにぎりを食べ始めた。

「二人も食べなよ。無くなる前にもらって来たから。あとそのわんこには素の食パン」

「わあ、ありがとう、澄史郎兄さん!」

 ハナも澄史郎と同じように橋に座り、おにぎりを食べ始めた。

 澄史郎は箒競争以降、最初にセイへの態度を変えてくれた人物だった。もともと、セイをいじめることは無かったが、特別味方をすることなく、いつもどこかぼんやりと過ごしていた。しかし、危険に飛び込んでいった弟に、言葉では言い表せないほどの尊敬の念を感じたらしい。

 それからはセイと共に三日月一族のお屋敷に遊びに来るようになり、ハナもすっかり仲良くなっていた。

「兄さんはどんなことにも動じないなあ」

 セイは少し恥ずかしそうに頬を掻きながら、ハナの隣に座った。

「お前が飛んだ時が、人生で一番興奮したよ。たぶんあれを超える出来事は無いな」

「またその話? 恥ずかしいからいいよ……」

 澄史郎は眠たげな目を一層細めて笑い、三つ年が離れた勇敢な弟の頭をなでた。

話をしている間に、いつの間にかカメはいなくなっていた。

「今日はうちの方が静かだから、カメはみんなあっちにいるかもね」

「というか、うちは桜が咲いてる間はずっとうるさいから、ほとんどこっちにはいない気がするな。二人のこと、からかいに来たのかもよ」

「えー、まんまとのせられたよ」

 三人がクスクスと笑い合ったところで、「豚汁ができましたよお」とおっとりした声が上がった。セイの母親である鶴乃だ。

 鶴乃は澄史郎とは違い、義雄や兄たちに圧倒されて、セイを庇うことができなかった気の弱い性格の人物だった。しかし、自分の知らないところでたくましくなったセイを見て、この頃は明るく前向きになった。

「あ、俺、もらってくるよ!」

 セイは「母さん、三人分もらえる?」と言いながら、大きな鍋を抱えた鶴乃の方に走っていった。

「ハナと澄史郎兄さんの分」

「はいはーい、ちょっと待ってねえ」

 鶴乃は鍋を置き、澄史郎兄さんと同じように、セイの頭を愛しそうになでた。

 

 ハナはぐるりと辺りを見回した。


 小春は、義雄に結を紹介している。いつもはつり上がった眉をハの字にして義雄がのぞき込むと、結はきゃっきゃっと可愛らしい声を上げた。


 ハナのいとこの三日月美恵と同い年の桜一子は、長椅子に座って一緒にヨモギ饅頭を食べている。二人の頬は赤く染まり、どちらもとめどなく話をしている。


 寿郎と守路は薬草園の方に歩いて行きながら、桜一族で薬草園を管理している正雄と、薬草の話で盛り上がっている。途中で正雄の娘である円も加わった。

 セイの話によれば、円はハナとセイと一歳しか変わらず、気さくな性格をしているそうだ。同じ薬草を育てる者として仲良くなれるかもしれない、とハナは思った。


 柔らかい桃色に染まった景色が歪み、鼻の奥と頭がジンジンした。

「お待たせ! はい、ハナの分」

 並々注がれた具沢山の豚汁を差し出したセイは、驚いて「えっ」と声を上げた。

「なんで泣いてるんだよ、ハナ」

 澄史郎は「ほんとだ、気付かなかった」とのんびり言った。

 黒豆はキュンキュン鳴きながら、ハナの着物をひっかく。

「大丈夫か?」

 ハナは着物の袖で目元をサッとなで、豚汁のお椀を手に取った。

「……楽しいから、うれし涙だよ!」

 ハナは目と口を三日月型にして、にっこりと笑った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る