第42話 生意気な猫は生イキさせろ

 四メートル強はあろうかという魔物じみた熊は極端に太い前腕とナマケモノのように長い爪を有しており、全身がこげ茶な体毛に対して首だけは白い襞襟ひだえりのような毛皮に覆われている。

 特徴的過ぎる個性の塊のような熊が魔物ではないと考える方が不自然である。体重を考えれば爪は木登りに特化したものではなく獲物を狩るために効率化した自前の武器であり、首のマフラーは弱点を守るために発達した防御システムだろう。


 手のひらを熊へ向けて魔力を練る。想像するのは水の魔術。ダイヤモンドを削るような高水圧のカッター。ただの水鉄砲では倒せまい。円状に平たく伸ばして気円斬を彷彿とさせる形状を意識し、手のひらに集まった熱を魔術に変換して解き放つ。


「ハァッ!」


 熊の魔物、クマモノの首を撥ね飛ばし一瞬で決着をつける……つもりだったのだが分厚い脂肪と天然物の毛皮のマフラーを貫くことは叶わなかった。

 掛け声はノリだった。声を出した方がかっこいいと思って出しただけだ。しかしこうなってはかっこうがつかない。


「へぇ、やるじゃん。一割程度の出力じゃあさすがに効かないか」


 嘘である。虚勢である。一割どころか殺意を持って一撃で仕留める所存で魔力を練っていた。初対面の女の子の手前見栄を張りたかったのである。


「ユノ様、俺がおとりになっているうちにあの娘を」


 ベルのイケメン過ぎる提案に即答しかける。


「待て、早まっちゃだめだ。あの熊は多分魔物だ。速さもわからない相手におとりは危険すぎる。それにもう、僕に狙いを定めている様だよ」


 フスフスと荒い鼻息をもらしながら体をこちら側に向けて、黒目が小さくて充血した不気味な瞳が俺だけを映している。


「では――」


 ベルが言葉を紡ぐより先に袈裟懸けに振り下ろされる熊の爪。

 ありったけの魔力を眼球に流し込むと、目玉が蒸発してしまうのではないかというほど熱される。即座に余剰分をチェリーに食べてもらい調整してもらうことで熱は幾分も抑えられる。以前よりもスムーズに身体強化をかけられるようになったのはチェリーが精霊としての格をあげたから。多少雑に魔力を練ってもチェリーが嬉々として、速やかに魔力を食べてくれるお陰だ。


 人の子供を切り裂くはずだった爪は空をきり、衣服にすらかすりもせず通過していく。クマモノの動きがスローに見えるのは眼球に魔力を込めたからで。エルナトに教わった身体強化もどきを使い足を中心に下半身を強化して素早くバックステップで躱していた。

 躱した直後に再度土を蹴って懐に飛び込む。強化された拳で襟首付近を強打するがやはり手ごたえがない。最初から期待はしていなかったが素手で倒すのはほぼ不可能だと理解し、腹を蹴って距離を離す。その際にも腕を一振りされていたが空をきらせた。

 触った感触から、クマモノの体毛は一本一本が硬く非常に脂っぽい。他の魔物や猛獣の牙をこの体毛で防いでいるのだろうか。こんな巨躯の化け物の首を狙う相手とはいったいどれほどの化け物なのだろう。


「硬い、打撃じゃ無理だ!」

「燃やしますか!」

「ここで火は使えない!! 全力で行く!」

「ッ――し、承知しました!」


 短いやり取りをしてすぐに離れるベル。念のため意思疎通ができていなかった時のことも考えて、予め用意しておいた二人だけのハンドサインも送っておく。手のひらを見せるギャルピースである。ギャルピースを出した時は強めの魔術を撃つから離れてねという意味が込められているのだが、ギャルピースであることに深い意味はなく、たんに前世では一度も経験がなかったのでやってみたかっただけだ。


 俺が全力で攻撃的な魔術行使をするのは周辺に人がいないことを前提としている。チェリーの調整が入っても瞬間的な爆発力をどこまで抑えられるかはわからない。少なくとも先ほどの水魔術のように加減を入れた生半可な攻撃力では足らないのだから、それ以上の魔力を込めなければならない。危険度の高い魔術を使用しなければならないというのに、女の子は以前座り込んでいて戦いの妨げになっており巻き添えにあう危険があった。現状派手な魔術は実質封じられているようなもので、もう少し離れてくれたら岩の壁で守るのにと歯噛みする。

 

 当たったはずの爪が空振りに終わって重心を崩すクマモノ。大量の涎を垂らし崩れた体制のまま左手を振り上げて振りあげて、続けざまに右手を振り下ろす。振り上げる腕はそのままでよかった。その軌道は俺を狙ったものだったからだ。しかし右手の振り下ろしは闇雲に振られており、座り込んでいる少女の首を跳ね飛ばすのは明らかな軌道であった。

 

「南無ぅッ!」


 それなりの痛みを覚悟し、やや前進してクマモノの腕を蹴り上げる。爪が刺さらぬよう角度を選んだが、勢い自体は殺せなかったために左足がへし折られる。泣き叫びたくなるような激痛が走り、経験したことのない吹き飛び方をした。クマモノの腕は軌道を変えて地面を突き刺し少女には届かなかったのを確認する。ひと一人の命が守れたなら折れた足の対価としては十分な働きをしただろう。


「きみに怪我はないかね?」


 妙な口調になってしまった。博士キャラかよ。


「――――」


 言葉を失っているのか口は開いていても返事ができていない。

 俺のへし折れた足から噴出した血しぶきが女の子にもわずかにかかっていたようだが、本人の血ではなくてよかった。俺が女子に流させる血は破瓜の血だけで十分なのだ。


 片足立ちでけんけんと後ろに下がると、クマモノは勝利を確信したのかおもむろに上体を起こし天に向かって咆哮をあげる。それはさきほどのような威嚇行動ではなく、勝利の雄たけびの様であった。

 

 ベルはどこへいったのだろう。確認をしたいがこの状況でよそ見はできない。あの位置から右に走ったということは……。視界の隅に罠を仕掛けてある合図が吊るされていた。俺たちの物ではなく別のグループが仕掛けたものだった。どうやらベルはこのタイミングで他人の罠を利用する算段のようだ。


「ユノ様!」


 叫ぶベル。だが俺はベルの方を見なかった。罠は猪や鹿用のものであって、このレベルの巨体に通用するほど強力な罠ではない。

 足の怪我はチェリーが治癒してくれており既に完治していたが、血が抜けた分だけ貧血を起こしているような気がした。そうやって弱気になることが戦闘においては最も危険な行為ではあるものの、今この瞬間はそれでよかった。威勢をなくした情けない姿はクマモノにも十分に伝わっている。生意気にも抵抗してきた獲物が弱って後ずさりをしているのがクマモノに興奮を生じさせているのか、どこか嬉しそうに見える。余裕を示すように低いうなり声をあげて四つん這いで歩み寄ってきているが、それは油断というものだ。少女から距離を離すことが目的であり、俺の役目はおとりなのだから。


「オォオオオオオオンッ!!」

 

 ベルが遠吠えをあげる。連絡用のものではなく威嚇を込めたウォークライじみた叫び。クマモノの癇に障る叫びが俺から気をそらさせてくれた。瞬時にベルの方へと向いて立ち上がる。


 俺を追った数歩とベルに向かって立ち上がるための前進。その距離だけ離れてくれたら十分だった。

 出会い頭に水魔術を放ったのと同じ、首元へ向けて手のひらを向ける。確度は八十度よりも上。愛棒の勃起した際の角度に近い。後ずさりをしている間に練り上げていた魔力を一挙に魔術へと変換して渾身の岩の拳を放つ。


「ホァタ!」

「ガッ――」


 想像よりもさらに極太の拳が魔力で強化されている眼でもなお追えぬ速さで放たれると、クマモノの最後の声は岩の拳が風を切る音と自身の頭蓋の破砕音によって妨げた。首から上の消えたクマモノが森の葉に血しぶきをまき散らしながら数歩歩く。やがて膝を追って前のめりに倒れ絶命した。 


「立ち上がってくれて助かったよ。無駄に傷つけて食べれる部分を駄目にしたくないからね」

「お見事でした」

「ベルの誘導ありきだよ。僕の未熟な魔術だけじゃ周りを巻き込んでしまっていたかもしれない」


 ベルが素直に褒めてくれるので少しくすぐったい。お返しとばかりベルを称賛すると、ベルもくすぐったそうにしている。なんで男とイチャコラしないといけないのか。不愉快だからもうやめてくれ。


「熊の肉は癖が強いが、鍋で煮込めば頬が落ちるほど美味くなる。これだけでかいと血抜きも大変ですね」

「罠は不発に終わっちゃったけど今日の狩りはこれで終えてしまっても良いぐらいの大収穫だよ――――さてと」


 楽しい楽しいとった狸の皮算用はさておきだ。

 ちらりと座ったままの少女を見やる。少女といっても俺よりは幾つか歳は上だろうか。片目を隠すように前髪を伸ばし、後ろに髪をまとめお団子を作っている。

 正直その髪型はツボだ。是非レイにもやってもらおう。いや、レイは毛量が多いからこれとは雰囲気が変わってしまいギャルよりの盛り付けになってしまうか。だがそれはそれでいい。レイにはレイのよさがあって、何者かになろうとせずレイのままでいいのだ。


 服は髪色よりは薄い黒を基調としたもので紺色に近い黒。どこか狼人族の着物風着物に似ている気もするがこちらはノースリーブである。俺の股間をくすぐる良いカスタムだ。褒美に愛棒をくすぐる権利をやろう。

 露出した肩が実に美味そうではないか。鎖骨の窪みに水を注して啜ればさぞ甘美だろうに。歳のわりに主張の強い胸の谷間を花瓶代わりにして花を活けるのも悪くない。この少女を食器や花瓶などダイニングを彩る味付けとして使えば食事が捗ること間違いなしだ。デザートはそうだな……その薄い唇にハチミツを塗って直接舐めさせてもらうとしよう。この子は是非俺専用のマルチ肉陶器にしたい。それほどまでにメリハリのある素晴らしい肉体をしている。


 ケモミミがピンと立ったままでいるのは、矯めつ眇めつその体を視姦していたからか。警戒しているのが視線から伝わってくるように、俺が純度100%の性目的で観察して姦察しているのもバレているのだろう。ついつい美食家の血が騒いで我を忘れてしまっていたがもう大丈夫だ。

 俺は怖くないよ。だって童貞だからね。童貞ということは前科がないのと同義なんだ。だからほら、こっちにおいで、何にもしないよー。何にもしないからホテルにいこうねー。君が俺の初犯だよー。


「怪我はないかい」


 極力労わるような優しい口調を意識する。今更感は拭えないが視姦して姦察しすぎた失点をここで取り返そうという采配である。


「寄るな。寄らば死ぬ」


 俺が寄ったら死ぬってあんた。俺がイケメンじゃないからそんなことを言うのかい? ベルだったらよかったのかい? 寄らばイクだったのかい?

 駄目、コミュニケーションの第一歩目で既に心が折れそう。クマモノに折られた足の方がまだ痛くなかった。


「貴様っ」


 ベルが敵意剥き出しな感情を露わにする。

 こういうときは感情を表情に出すのな。


「まぁまぁ落ち着いて。あんな化け物に遭遇したんだ、この子もきっと混乱しているんだよ。だから一旦落ち着こう」

「フゥー……ユノ様がそういうならば」


 今にも飛びかからんとしているベルの体を手で制す。

 イケメンはどんなときでも性に貪欲だから、生意気な少女に性的折檻を行うつもりだったのだろう。童貞おれの目の前で女の子に飛びかかろうとは大した度胸である。お前がその少女に飛びかかって尻を見せたが最後。お前は童貞よりも先に処女を失う事になるだろう。


「彼女は怯えているんだよ。同じ状況に立って考えればどうだい。見知らぬ男二人に囲まれて見下ろされていたら警戒するだろ?」

「確かに……そうですね」


 だって俺のせいだもん。俺が目線で試食したのがいけなかったのだ。それと飛びかかる役目なら俺に任せろ。俺にやらせろ。飛び込みながら服を脱いで、不二子ちゃんしてやる。


「僕の名はユノです。こちらは僕の友人のベル」

「フッ」


 なんか嬉しそうな顔をしているな。尻尾なんて頭を撫でられた時のレイよりも激しく振られている。


「君に危害を加えるつもりはありません。この通り武器もないし道具もないですよ。魔術はあるけど」

「……」


 黙ってしまった。これは信じてないな。主に俺のせいで信じてないな。やはり胸をみながら話すのはよくなかったか。

 ならばもう少し砕けた口調でフレンドリーさを前面に出してみよう。


「熊に襲われているように見えたから。君が危ないと思ったから助けたんだ。助ておいてその人を襲うような真似はしないよ」


 時と場合によるけどな。たとえば夜の公園で変質者に襲われていた少女を救ったら「怖いからまだ一緒にいてください……」と公衆トイレに手を引かれて連れていかれたら――それはまぁ襲うでしょ。合意の上なら仕方ないっしょ。


「だからあの、そんなに警戒しないでくれると……駄目かな?」

「…………」


 まったく警戒を解こうとしない。もういっそのこと一発しませんかとか聞いてやろうか。元がマイナスならどんだけ下がってもかわらないわ。


「そうやっていつまでも何も答えないつもりか。無礼な奴だとは思っていたが、礼の一つも言えないとはな」


 珍しくベルが怒っている。

 待て、待てだぞベル。とびかかるなら俺が先だぞ。


「待ってベル、そんなのはいいんだって。僕達だって感謝してほしくて助けたんじゃないだろ。無理矢理言わせるような真似はよくないよ」


 無理矢理言わせるならレイに「ご主人様のお大事様でレイのいやらしいメス穴に蓋をしてください――」みたいなセリフが良い。勿論堂々と言われるのはダメだ。恥じらいつつ、でも我慢できずに言ってしまう……そういうのがいいのだ。


「……助かった。あり、感謝……する」

「あっ、どういたしまして」


 やっと信じてくれたのか、それともイケメンのベルが話しかけたから心を開いたのか。心がベルなら、股を開くのは俺の仕事だ。ベル、先に帰ってなさい。あとは俺に任せてくれ。大丈夫一人で帰れるし、二人でできるから。


「貴様、やはり猫人族か」


 黒髪肉陶器の肩がわずかに揺れるのを見逃さなかったし、上乳が揺れるのも見逃さない。上半身をじっくり視姦していたおかげだ。この記憶、脳内メモリーにしかと焼き付けたぞ。


「そうだ。殺せ」


 女騎士かよ、殺さねーよ。なんでいきなりそうなるんだよ。俺がオークにでも見えたのか? 俺は人間だよ。信じるまで種付けパワーボムするぞ。 


「お前を殺す理由は無い。ハミコ様は狼人族と猫人族とで手を取り合えと言っていた。違うか」

「それは、その通りだが……」


 猫人族はハミコ様に無双されて悪感情を持ってるんじゃないのか?

 勝手にそう解釈していたんだけど、どうやら違うような雰囲気だ。


「だがその人族はどうだ……」


 え? 俺? 俺は君を皿にしたいだけだよ。君に料理を盛り付けて皿まで綺麗に舐める者だよ。


「ユノ様はハミコ様の伝承に言われる魔法使い様だ。貴様に危害を加えるわけがない」


 様様言い過ぎ。友達なんだからもっと軽くユノっちとか呼んでほしいな、ベルっち。


「にゃ!?」


 にゃ!?


「先程も間近で魔術を見たばかりだろうに。それでもまだ疑うか」

「フンっ、魔術を使う人族などいくらでもいるのだろ。あれだけで信じられるものか」

「ではユノ様に懐いている大精霊がいてもか。ユノ様、大精霊をお見せ願えますでしょうか」

「まあいいけど。チェリーでてこれるー?」

「――ハイ! チェリーデス!」


 元精霊おっぱいが俺の胸から飛び出して元気に挨拶をする。


「こ、これは! ……本物の精霊なの?」

「ワタシ、チェリーデス!」


 オレ、童貞(チェリー)デス。


「これでもまだ足りないか、信じられぬか猫人族の娘」

「十分だ。十分すぎる……ます」


 チェリーは俺のなかに潜ってしまう。周りに人がいるとあまり喋らないのは精霊おっぱいだったときと変わらない。チェリーが喋るのは俺と二人っきりの時か、呼ばれた時だけだ。


「私の名はネネネ。今までの非礼無礼の数々、どうかお許しください」

「やや、僕は全然気にしてないですから頭をあげてください」

 

 愛棒の頭を舐めてください。


「えーっとじゃあ、これからよろしくお願いします。ネネネ」

「勿体ないお言葉…………」

「ところでお前はいつまでそうしているつもりなんだ」


 先程からマイ陶器は地べたに座ったままだ。

 瑞々しい生足はよく鍛えられており、引き締まった筋肉が愛棒に何かを訴えかけている。そうだ、愛棒を使ってダンベルトレーニングしてみないかい?


「先程の大熊との戦闘で足をやってしまったんだ」

「身軽な猫人にしては珍しい」

「罠があるのに気付かなかった。仕掛けもそうだが、合図も巧妙に隠されていたんだ。反応が間に合って辛うじて避けたがこのざまだ。なんとかここまで逃げたがもう足が動かず死を覚悟していた」

「むぅ……」

「むぅ……」


 ベルが唸り、途端に気まずそうに遠くをみはじめた。

 俺は美味しそうな胸の谷間を見て唸った。


「えーっと、ちなみにその罠はどの辺に?」

「ユノ様たちが飛び出してきた茂みの辺りに」

「…………」

「…………」




 それ俺らがしかけた罠だね。

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