第28話 それぞれの進み方⑰
風呂を沸かし終えた俺は、リリィと一緒に脱衣所に入った。
よく見ると、リリィ自身も汚れてしまっているが、着ているローブの汚れの方が酷いようだ。
例えば裾の染みである。何かの薬品の染みだろうか、元は緑の染みのようなものが、土や様々な汚れによって黒ずんでいる。
それ以外も様々な汚れが付着しており、思えばこのローブを与えてから、一度も洗濯をしていないのだ。これは、寧ろ新調したほうがよいだろう。
そんなことを考えながらリリィのローブを脱がそうと手を伸ばしたところ、リリィはビクリと震えて半歩身を引き、自分の身を抱く仕草で拒絶の恰好をする。
その姿に、それはそうか、と俺は自分の軽率さと認識の甘さを反省した。
リリィにとって、身につける事が許されている防具はこのローブのみなのだ。
その防具を、憎い相手が奪おうとする。それは得も言われぬ恐怖であろう。
けれど、少しだけでも信用してもらいたい。リリィを散々道具扱いし、意識がなかったとはいえ暴力で傷つけた俺が言える事でもないのかもしれないが、それでも。
「リリィ、少しだけでいい、俺を信用してくれないか?」
その言葉に、うつむいてしまったリリィ。そして、おずおずと顔を上げて、こちらと視線が合ったと思ったら、慌てたように後ろを向いてしまった。
もしかすると、俺に暴力の兆しがない事に本心では気付いているのかもしれない。
けれど、体に染みついた今までの経験が、どうしても俺に警戒をしてしまうという結果になっているのではないだろうか。
そう考えた俺は、改めて自己嫌悪に陥った。
なんて最低な人間なんだ俺は。勝手に生み出し、道具のように好きに使って、暴力衝動の捌け口にして。こんな事が許されるはずがない。だから、俺は自分を許してはいけない。
「わかった。強引な事を言ってすまない。服を着たままでいいから、用意ができたら入ってくれ」
そう言って、俺は風呂場に入った。
ひとしきり体を洗った俺は、今は湯舟に浸かっている。
この風呂は、俺がかなりこだわって設計し作ったものだ。
広さは三人で風呂に入っても十分に広いと感じる程で、浴場と言っていいほどの広さを誇っている。
水はかなり遠くから地下水を引いており、貯水タンク、浄水タンクも地下に設置してある。つまり、俺はこの世界にある魔道具を改良して自家製の水道を作っているのだ。
この世界は一応、町に行けば大雑把な水道があるにはあるが、それは各家庭に引かれているわけではなく、水場という場所にポンプ式の水道が設置されていて、それを町民たちが誰でも使える、という仕組みだ。
俺の家のように蛇口を捻れば水が出る、なんて家は存在しない。
そして風呂である。そういった事情もあって、水を大量に手に入れるのであれば、大量にくみ取って運ばなくてはならない。
それに、その水を温めるには手間暇がかかる。必然的にお湯に浸かる、という風習はこの世界に生まれなかったようだ。皆基本的に桶を使って冷水をかぶったり、濡らしたタオルで体を拭いたりといった具合だ。
そもそも、火山地帯を除いて自然界に温水は殆どない。
つまり何が言いたいのかというと、こうして湯舟に浸かって幸せな気分になる俺は、この世界では異端という事だ。
と、考え事をしながら風呂を堪能しているが、もう一つの考え事を進めよう。
リリィだ。
彼女は依然風呂に入ってこない。警戒する気持ちはわかるが、こちらも字のごとく丸腰になっているのだ、そこまでの脅威ではあるまい。
彼女を人間に戻すまで一緒に生活するのだから、もう少しだけでも警戒を解く方法は無いものか。
そんなことを考えてうんうん唸っていると、浴場の扉が開く音がした。
リリィだ。
彼女はローブを脱いでおり、白い骸骨の肢体が顕わになっている。
それを隠すように胸の辺りで体を抱くようにして、下を向きながらおずおずと浴場に入ってきた。
少しは信用してくれたのか、と思って嬉しくなった俺は、彼女の名前を呼びながら勢いよく立ち上がる。
彼女はお湯の跳ねる音と共に、ビクリと身を震わせて立ち止まってしまった。
俺は、軽く頭を掻きながらこう切り出した。
「……風呂にはいくつかルールがあってな。お湯に浸かる前に体を洗って清めるってルールがあるんだ」
もちろん、それは俺の前世の世界でのルールだ。だけれど、納得してくれたのか、彼女は立ち止まったまま上目遣いにこちらの様子を見ている。
俺はシャワーの前に風呂桶の一つを逆さに置いて椅子替わりにして、リリィに座るように促した。
素直に従うリリィの後ろに回り。洗髪から始めようと、頭にこの世界の植物から界面活性剤となる成分を抽出して作ったシャンプーを垂らして、お湯を少しかけて泡立てる。
シャンプーの役割は、水と油を馴染ませて混合することだ。そしてその混合されたシャンプーを洗い落とせば、頭髪の油は汚れと共に綺麗に落ちるのである。
だが、果たして非生物であるスケルトンに有効なのだろうか。少し自信はないが、それでもやらないよりはいいだろう。
念入りに泡立てて、その後シャワーでお湯をかけて汚れを落とす。
すると、少しくすんでいた頭髪が、綺麗な白い頭髪へと変化した。
俺は、自分の頭髪も白くなっていた事を思い出し、軽口をたたく。
「お揃いだな」
すると、凄まじいスピードでリリィがこちらを振り向いた。効果音があるなら、「グリン」だろうか。
何かまずい事を言ったかと思ってどぎまぎしてしまう。
「あ、いや、なんだ。ほら、俺の髪と一緒だなと思って。嫌、だったか?」
言い訳している間も、リリィはじっとこちらを見ていた。もしかしたら何か言っているのかもしれない。だが、彼女には空気を震わせ声にする器官が存在しない。
もし何か言っているのだとしても、それは思念やそういったものだろう。
残念ながら、俺にはそれを聞き取る技能はない。だから、意思疎通はできない。俺が彼女に話しかける一方通行でしかないのだ。
「気に障ったのなら謝る。すまない。さあ、油分を落としたままだと髪が痛むから、リンスをしよう」
俺はごまかすように言って、植物性油で作ったリンスをリリィの髪になじませ始めたのだった。
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