第19話 すきま風の決定打
おじいさんが亡くなり、おばあさんこそまだおられましたが、明らかに増本家と辻田家の間には、少しばかり溝のようなものができ始めたとは思われます。
とはいえ、それでもまだ両家の間に行き来はありました。
血のつながった姉弟、辻田家の祖父母の娘と息子が直接というよりむしろ、その周辺の人同士が行き来することが多かったような気もしないではない。
もう、ここに行かなければいけませんね。
中3の冬は、増本さん宅には泊りに行きませんでした。というより、事情が事情だということでそれは今回ばかりは「ナシ」ってことになったわけです。その事情というのは、もちろん高校受験のことです。
それに先立って、母親からは私宛にしっかり頑張るよう手紙が来ました。別に悪い意味でも皮肉でもなく、とにかくしっかり頑張りなさいということですから、それはまあそういうことですわ。
かくして私、7年ぶりに某園で正月を迎えることとなりました。
ただ、この頃の某園の対応と言い、学校で起きていたことと言い、私にとっては短期的には不幸に突き落とされる事象が続発していました。
担当には短大の幼児教育科を出てすぐの保母が当たっていました。いくら人材不足でもちょっとな、という話でした。
これについては、某園側が私に為し得る言い訳を考えれば、こういう話が成り立つ状況が起きておりました。
私が中1のときに某福祉大学を卒業した中田さんという男性児童指導員がおられまして、その方が中高生男子のいる私の寮も担当していたのですけど、この方が在職2年目の夏頃か、ちょっとどころで済まない事態を引き起こされてね。同じ寮ではないですが、在職中のとある保母と恋愛関係になってしまった。
それだけでもことと次第では問題だろうが、職場によっては特に問題がある程の事でもなかった。ま、職場での出会いが恋愛関係になって結婚する例はいくらでもありますからね。それはいいよ。だけど、困ったことにそれが大っぴらに職員間に広まった挙句に、その保母さんの妊娠まで発覚してしまったわけですよ。
そりゃあそのあたりの職場なら、けじめをつけろ、ってことでどうにかなる程度のことかもしれないが、子どもを相手にしている養護施設で、これはまずい。
いくら短大や大学の新卒で20代前半の若い人らとは言え、ある意味親代わりの役割を負わされる仕事をしているという建前のある場所のその枠内でそういう事態が発覚してしまえば、そりゃあ、放置できませんって。
結局ね、中田さんとその保母さんは、翌1984年の6月を目途でお二人とも退職されました。子どもも生まれてくる保母さんはともかく、中田さんまでそうする必要はなさそうにも思えますけど、こういうことでしたら、中田さんにも在職していただくわけにはいかないとなってしまったのよ。
もし、中田さんがそういう事件を起こされずにいてくださったら、ひょっと、私の担当をしてもう少し、いや、もっといい形に持って行けたかもしれない。
その点を取る限り、中田さんはともあれ私にとってこの事件の影響を受けていないとは到底言えないわけですよ。
中田さんや他の保母さんを統括するC寮の児童指導員さんは、私を直接担当せずに若い保母をあてがって担当させた。この翌年もそうでした。今思えば、弾除けに保母を使っていたような形になっていたわけですよ。
こんな状態で、しかし、まともな指導なんかできるわけもないわな。
現象面において厄介なことが少なからず起きていた状況ではありましたけど、そのしわ寄せを受けたと考えざるを得ない余地をこうも十二分に示されてはねぇ。
結局、高校入試に失敗して、なんだかんだで、定時制高校に籍を置いてしばらく様子を見ることになりました。
その時の対応ですか?
職員に関しては、誰一人単位を出すに足る要素のある対応の出来た人はいませんでした。私の今の評定は、こうです。
高校受験失敗発覚時の園長は、不可。高2以降私が大学合格しその後大学を卒業するまでに関しては可以上良以下。大学入学以前段階では優はなし。ただし、大学合格後卒業に至るまでについては優もあります。
ここは本当に、感謝しているところです。
なお、他の職員は、全員評定不能。
その例えで御賢察願いますってことで。
これまで大学進学者を出したことがなく、そんなノウハウもない施設でしたが、私の存在は、それまでのように手に職をつけて云々とホザいてテキトーにやっておればなんとかなるような牧歌的対応を許さない方向へと向い始めました。
当然私自身、そんな牧歌的と言えばほのぼのとでもしたように聞こえるかもしれんが、当方にとってクソの役にも立たないどころか有害極まる対応ではねえ。
これ以上はもう罵倒になるからこの辺で。
ここからの問題は、増本さん宅の方になります。
この家の人たち、私より皆さん年長でしたが、正直に申しましょう。
当時の私を指導できる人は、残念ながらいませんでした。ただし、親父さんが本気で向き合えばその限りではなかったでしょうけど。
判決主文的に言えば、そういうことになりますね。
そのくらいのことを私が言うということは、そこがどんな状況だったか、それで御賢察いただけるのではないかと思われます。ええ。
まずは、高校受験に失敗してその日か翌日か忘れましたけど、増本さん宅に行きました。そこで、かの母親も状況を理解することになりました。ここで私は、この母親とはもはや相いれ合うことのないことをはっきりと思い知らされました。
無論、彼女なりに私のことを心配して、それこそためを思って、厳しいことでも心を鬼にして言わなければという思いから出た言動であったことは認めます。
しかし、私が問題にしているのは、彼女のそういう思いなどではないのだ。
こういう時に求められるのは、そんな愛情ゴカシなどではありません。適切な時期に適切な行動へと移るための準備ですよ。
ひとつ思い出したよ、メル姉。
この家の人たち、特に男兄弟はお二人とも、いわゆる「中学浪人」を経験されていました。上のお兄さんはその後公立進学校に進んで、また浪人を繰り返しましたが私立の薬学部に進み、後に薬剤師になりました。下のお兄さんは、2回にわたって公立進学校の受験に失敗して私立の男子校に進んで、その後大学に行きましたが中退して自宅に戻ってやがてサラリーマン生活をされるようになっていました。
この後申し上げていくが、この母親というのは、今思えば子どもたち、特に息子であるお兄さんたちの足を引っ張る言動の多い人だったのだ、とね。
言いにくいけど、私としてはそう総括せざるを得ん。娘であるお姉さんは、そこまでの影響を受けているとは思わなかった。
上のお兄さんとお姉さんは私の前でこそ言わなかったが、実際のところ母親をかなりの反面教師と見ている節がこの頃から私にも見え始めていましたね。
下のお兄さんは顔つきは父親に似ていましたが、言動はどちらかと言うと母親に近いところがありました。だから、母親と一緒になってねちねちと、いろいろ私に言ってこられたことがありました。
正直思い出すのも気分が悪いが、このところをしっかりと総括しないと。
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時計の針はまだ7時を幾分回ったところ。さらにどんどんと、列車が西から岡山駅にやってきている。このホテルからの光景にこそ映らないが、駅のホームは時間を追うごとに人がごった返している。
ここで作家氏らは、15分程の休憩をとることに。
大学教員の女性は、いったん自分の部屋に帰った。
「さて、この後どこまで話せばよいだろうか・・・」
残った珈琲を飲みながら、作家氏は思案を巡らせている。
本当のことを言えば、今からでも酒を飲んで景気でもつけて話せれば幾分マシだという思いはやまやま。だが、そういうわけにもいかないこともわかっている。
「メル姉の前で荒れても、大人気ないか」
話の勢いが幾分激しくなりかけている自分を、彼は何とか抑えている。
「ここは、休憩を入れた方がいいわ」
青い目の女性は、自室に戻ってあらためてシャワーを浴びた。
「せーくん、ここからどこまで話し切れるかしら」
一抹の不安と少しばかりの期待を持ちつつ、彼女は服を着替えた。
彼女自身、年相応ながらも幾分色気を戻せた気がしている。
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