第一階層・件鬼(3)

 モネちゃんはきっと、もっと生きたかった。

 生きていてほしかったと、わたしも思った。

 わたしがモネちゃんと遊びたいってだけじゃなくて、モネちゃんに、もっとたくさん、楽しいことをしてほしかった。

 そうならなかったのは、悲しい。とてもとても、悲しい。

 人が死ぬって、そういうことだ。

 誰かにあったはずの未来がなくなってしまうのは、どんな不幸よりもやりきれなくて、つらいことなんだ。

 それを。

 それを、こいつは──こいつらは。


 涙でぐしゃぐしゃの顔を上げると、にやにやと笑う女の顔が目に入った。


「……さい」


 吐息のような、小さなつぶやき。

 件鬼はそれを、わたしの降参の言葉だと思ったみたいだった。もっとはっきり聞きとろうとして、顔をよせてくる。

 そこに、わたしは言ってやった。


「うるっ……っっっさい!!」

 わたしは指をつきつけて、叫んだ。

「わたしの未来を、勝手に決めるな!」


 はじかれたように身を引いた件鬼が、すっと笑みを引っこめる。

「死ヌヨ」

「そうだよ。生きてるんだから、いつかは死ぬよ。それがなに!?」

「痛イヨ。苦シイヨ」

「あたりまえだよ! 痛かったり、苦しかったりするのは、生きてるからだよ!」

「失敗スル。失敗スルヨ……!!」

「いいよ!」

 そうだ。はじめて会った日、モネちゃんはわたしに言ってくれた。

「失敗しないで生きてくことなんて、できないもん。後からがんばって取りもどせばいいんだ!」


 件鬼が歯をむきだしてうなった。糸のこぎりみたいにギザギザのキバ。歯並びがガタガタのひどい口だ。

 相手が言葉につまったすきに、わたしは叫んだ。


「おまえなんかに、人の未来がわかるはずない。それどころか、いま、すぐ目の前で起きてることだって、ほんとはわからないんだ。違うって言うなら、わたしの質問に答えてみなよ」


 件鬼が、ぎょろりと目をむく。


「わたしの体は、目に見えないくらいに小さな、たくさんの電子があつまってできてる。その電子の、どれかひとつ。どれでもいいから、五分後の位置と動きを、ぴったり正確に当ててみせて。本当に、未来がわかるんなら――簡単なはずだよね!?」


 いまにもわたしに食らいつきそうだった件鬼の動きが、止まった。


「どうしたの。さあ、答えてみろ!!」


 わたしがたたみかけると、件鬼の体が、壊れた機械みたいにかたかた、かたかた、小きざみにふるえだす。

 両目が別方向にぐるぐると回って、鼻から、どろりとした血が流れでた。

 計算してる。必死に、答えを出そうとしてる。

 解けない問題の答えを。


(う――うまく、いった)


 わたしが投げかけたのは、「ハイゼンベルグの不確定性原理」というものにまつわる問いかけ……らしい。

 正直、自分でも意味はわかってない。ただ、お父さんに教えてもらった内容を丸暗記しただけ(暗記は得意だ。受験生だもん)。


 大事なのは、電子の位置と動きの両方を正確に測定することはできない・・・・ということだった。

 電子の世界は常に「ゆらいで」いて、電子の位置を知ろうとすれば動きが、動きを知ろうとすれば位置が測定できなくなってしまう。

 それは、量子力学によって証明されていることだった。

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