第一階層・件鬼(2)
最初にあらわれたのは、ねじまがった角をもつ、巨大な牛の頭だった。ちょうど鼻先あたりにあの女の顔がチョコンとついていて、金のもようを散らした真っ赤な着物が、覆面みたいに、牛の顔をおおいかくしている。
真っ赤なひもに結ばれた、くすんだ金色の太いカギが、あごの下で揺れていた。
牛の首の下には、ゴリラのような上半身と、黒毛の牛そのものの下半身がくっついている。
とてつもなく大きい。
太い二本の腕は、ショベルカーのアームくらいに見える。五本ある指の、一本一本が牛のひづめの形になっていた。そのたくましい腕に比べると、下半身はアンバランスなほど小さい。
そいつは大理石の通路にはいあがってきて、わたしの逃げ道をふさいだ。
でも、どっちみち、わたしに逃げることなんてできなかった。その大きさと、おそろしい姿を目にしたとたん、わたしの両ヒザからはすっかり力がぬけてしまっていたから。
ムリだ。
勝てるわけない。わたしなんかが、こんな怪物に。
わたしの絶望を味わうように、そいつは目を細めた。
そいつは件だった。峰背家が作りだした、
同時に、多くの人の命をのみこんできた、牛鬼でもあった。
──
わたしは心の中で、そいつをそう呼んだ。
件鬼はゆっくりと近づいてくると、身をかがめ、鼻先にある女の顔を、わたしによせてきた。
「死ヌヨ」
そうささやかれたとたん、心臓がドキンとはねて、息ができなくなる。
「わたしは死ぬんだ」という事実が、大きな壁みたいに、目の前につきつけられていた。頭がそれでいっぱいになって、もうなにも考えられなくなってしまう。
「痛イヨ。苦シイヨ……」
件鬼が続けてそう言うと、今度は、これから先の人生でわたしが経験する、ありとあらゆる痛みと苦しみが、津波みたいにおしよせてきた。
わたしはその場にうずくまって背中をまるめると、声を殺しながら泣いた。
イヤだ。
つらい。
こんなのたえられない。
件鬼が口にするのは、絶望の言葉だった。聞いただけで心を殺してしまう、情報の形をした猛毒だった。
それは耳をふさいでも、わたしの頭の中に、心の中に、容赦なく入りこんできた。
わたしの反応を舌でころがして楽しむみたいに、件鬼は、わたしのいちばんおそれている言葉を告げる。
「失敗……スルヨ」
そうだ。失敗する。
うまくいくはずない。わたしは失敗する。受験に失敗する。人生に失敗する。そうしたら終わりだ。ダメだ。もうどうしようもない。とりかえしがつかない。
そんな思いをするくらいなら……生きていたくなんてない。
今すぐ死にたい。死んで、楽になりたい。
「し、に……た……」
くちびるが、い、の形をつくったところで、わたしは息を止めた。
思い浮かんだのは、黄色く変色した、三冊の本だった。
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