第32話

 幻月観の円卓に盛られている梨を、水雲と茉莉は食べていた。二人とも修練が早朝からあり。昼まで何も食べていないのだ。二人して夢中で宮殿から届けられた梨を食べていたせいで、すぐにかごいっぱいの梨はなくなってしまう。

「水雲、これ食べる?」

 もう芯だけになった梨をかじりながら、かごの中に残った最後の梨を指差しながら茉莉が聞いた。

「ううん。いらないよ。私はもうお腹いっぱいになったから。茉莉が食べなよ」

「それはだめよ。神女は、伝声師一族よりも多くを欲してはいけないから」

「でも、まだ茉莉が神女だと決まったわけじゃないよ。私が生まれてから今日まで、父上曰くまだ天啓は出現してないって言ってたくらいだから」

 水雲はかごを茉莉の方へ押しやるが、彼女は頑なに食べようとしなかった。仕方なく、水雲はぱちん、と指を鳴らして梨を半分に割る。

「茉莉、これなら食べられるだろう? 半分ずつだから、私たちが食べる量は一緒だ」

「うん! じゃあ、半分こね。私が先に食べてもいい?」

「いいよ」

 茉莉は芯だけになった梨を放り、綺麗に半分に割れた梨を食べ始めた。水雲もまた、自らの手元にあった梨の芯を放り、残ったもう半分の梨を食べる。

 全ての梨を食べ終わると、水雲は茉莉に連れられて光月湖こうげつこへと向かった。光月湖は幻月観から橋を渡った幻堂の奥にある。伝声師の後継者である伝声者が伝声師の地位を継ぐ時、ここで体を清めることになっている。その水は聞いたところによると、氷の如く冷く、少し使っているだけで徐々に感覚がなくなるほどらしい。

 だが、湖の中にさえ入らなければ、幻月観を一日中覆う、夜空に浮かぶ満月を青空の下で見ることができる。厳しい修練と限られた食事、人の笑い声など基本的にはあるはずのない幻月観での日々の中で、水雲と茉莉の唯一の楽しみは、この奇景を眺めることだった。

「水雲、今日の修練は操声術だけなの? 一番苦手だって言ってた占星術は? 練習した?」

「少しだけね。占星術は苦手だから、幻堂の日が昇るまで練習していたんだ。でも、やっぱり占星術はあんまり得意じゃないみたいだ。空に浮かんでいる星が何を言っているのかは全然理解できないよ」

「なんで? 占星術は私たちが学ぶべき術の中でも一番簡単な術でしょ? 絶対に操声術みたいな難しい術よりも簡単に習得できるよ」

「いやいや、私は別に占星術が難しいんじゃなくて、星が何を伝えようとしているのかを理解するのかが難しいんだよ」

「そんなの、どっちにしても一緒でしょ。あ、流れ星」

 茉莉がふっと幻月観に指を向けた時、確かに流れ星が一つ流れていた。一瞬で通り過ぎた。それを見て、平坦な心の中にわずかばかりのさざ波が立った。

「珍しい。でも、あの流れ星は周海国しゅうかいこくの方角へ落ちていったね。もうすぐ、あの国も滅びるみたいだ。」

「うん。あとひと月もしないうちに、国師が周海国へ行くらしいわ」

 すべての星の動きから情勢を詠む占星術を習得して間もない二人の子供の推測通り、ひと月後に時の伝声師はわずか三千の軍勢と水雲、茉莉を連れて周海国へ赴き、わずか一日で伝声国の地へ変えてしまった。

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