第31話

 水雲が幼少の頃、幻月観には子供は二人しかいなかった。水雲と茉莉だ。

 幻月観は伝声国の中でも特に特殊で不気味な場所であると見られていたせいで、その中で生活をしているというだけで、食料を届ける使用人らにも白い目で見られ続けていた。ただ一人、ひと月に一度だけ内密に訪れる伝声国皇太子である双竹を除いては。

 水雲は八歳の頃、伝声師の最も基盤となる術であり、それでいて習得が最も難しいと言われる操声術を習得した。だがその時は習得したとはいえ、術を発動させると制御できなくなることがあったが。

 茉莉は、水雲が修練を終える時刻になると、必ず彼を迎えに来ていた。将来伝声師となる者が修練を行う場である、幻堂げんどうまで。幻堂と幻月観は隣り合っていて、この二つの敷地は曲がり橋だけで繋がっているから、大して遠くはない。だがそれでも、茉莉と同じようにまだ幼かった水雲は彼女が疲れるんじゃないかと心配していた。

「水雲! 今日の修練はどうだった?」

 と、言いながら茉莉はいつも橋を走り渡って来ていた。水雲の修練が終わるのが昼ということもあって、お腹をぐうぐうと鳴らしながら。

「うん。前よりもかなり操声術が使えるようになったよ。父上はまた宮殿にいるの?」

「そうみたい。しばらく幻月観で国師の姿を見ていないから、もしかするとここ何日かはずっと宮殿にいるのかもしれないけど」

「そっか。じゃあ、今日も僕たちだけだね」

 水雲にはささやかな願いがあった。日の出よりも前から始まる伝声師の修練が昼にようやく終わった後だけでも、父親と共に食事をしたい、というものだ。伝声師である水雲の父親は、伝声国国主の信頼を集めていたおかげで、朝から夜遅くまで宮殿にいるばかりで、息子である水雲やその神女候補である茉莉と一日に一度だけでも食事を共にすることなどこれまでただの一度もなかった。

 水雲と茉莉が肩を並べながら橋を渡っている時、茉莉はよく空を見上げていた。そこに、何かしらの情報が隠されている、とでもいうかのように。

「ねえ、水雲はいろんな術を使えるけど、その術でご飯を出すことはできないの? 私たちは身分のせいでお腹いっぱい食べることもできないけど、もし水雲がその術でご飯を出すことができたら、誰にも知られずにご飯をお腹いっぱい食べることができるんじゃないかと思って」

「どうなのかな。私の術は人を操ったり、幻を出すばかりで、本物のご飯を出すものじゃないから、私にもできるかはわからないんだ」

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