第27話 疾走

 ――その瞬間、竜は時が来たのだと悟った。

 故に、顔をその方角へ向け全力で加速した。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「――――なぜ!!」


 ――疾走る。疾走る、疾走る。

 コノエは学舎を飛び出し、空を踏みにじって疾走りだす。全力で魔力を回す。魔力が高まり、臨界を越え、白雷が宙を奔る。


 瞬く間に速度を上げ、空気の壁を越える。

 空気抵抗を減らすため一息に高高度まで上昇し、魔道具の指し示す方角へ加速する。


「――――なぜ!?」


 コノエは叫ぶ。理解できなかった。

 先の教官の言葉。テルネリカがこれからどうなるのか。


 心臓? 封鎖結界?

 それを三十回? 生きたままに? そんな――


「――――なぜそんなことを!?」


 疑問のままに叫ぶ。その必要はないはずだった。

 あの少女に、そんなことをさせる必要なんて。


 コノエの脳裏にテルネリカの笑顔が浮かぶ。

 エルフの少女。街を守るために、死病に侵された体で歩み続けた少女。大人が発狂するほどの苦しみを抱え、それでも諦めなかった少女。


 家族を失い、ただ一人残された。

 街を託され、財産も加護も失って、それでも笑い続けていた。


 街のために、戦っていた。

 聖花を探すのだと、泥だらけになって、人々の先頭に立ち続けていた。


 ――そんなテルネリカが、これ以上に。


「――なぜ、言わなかった!?」


 金など、無いと言えばそれでよかったのに。

 別に貰えなかったからといってコノエが路頭に迷う訳でもない。アデプトになった今、金なんていくらでも稼げるのに。金がテルネリカに変えられる訳がなかったのに。


「――なぜだ!?」


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 ――コノエには、分からない。何もわかっていない。

 テルネリカの想いも、己が為した行動の価値も。


 コノエは全てを疑い、そんな己を蔑み嫌悪しているから、周囲の人間が自分をどう見ているかが分からない。どれほどの人を救って、どれほど己が感謝されているかも。


 ……そうだ、ほんの数時間前。

 コノエは街の人々の目の光を、領主家族にのみ見た。


 そんな訳はないのに。街の人々はいつも、コノエえいゆうの背中を見ていたのに。多くの人々が、英雄の前に恥をさらさないように頑張っていたのに。

 必死に歩んでいる皆の姿を見て微笑んだ無欲な英雄の姿に、顔を下げずに足掻き続けることだけが恩返しになると歯を食いしばっていただけなのに。


 コノエはいつもそうだ。己の行動を何もかも低く見る。仕事以上の価値を見ない。

 その異常なまでの自己否定こそが、テルネリカにこの選択をさせたのに。それも分からない。


 コノエは何一つとして分かっていない。

 街の皆のことも、テルネリカのことも。せめて、もっと要求していればよかった。あの街でコノエは何も求めなかった。豪華な食事も、美しい女も、価値ある物も、何一つ求めなかった。


 求めずに、与え続けた。コノエが真面目に働く度に、テルネリカの中には負債が溜まっていった。だからテルネリカは――。


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「――――!!」


 ――しかし、コノエには分からない。

 分からないままに、全力で走り続ける。何故と叫びながら、宙を走り続ける。


 音よりも速く、太陽よりも先に辿り着くために。

 コノエは魔道具の指し示す方角へ走り続け――


 ――しかし。それは、しばらく走ったときだった。


「――――は?」


 コノエは呆然と呟く。それはコノエの気配探知の範囲に、一匹の侵入者がいたからだ。

 その侵入者は音速を越えるコノエよりも遥かに速く空を駆ける。覚えのある気配。それは三十日前に感じたものと同じ――。


「……風の、下級竜!? なぜ今!?」


 ――竜はその力で空気を切り裂き、凄まじい速度でコノエに迫る。

 気配察知からほんの数秒でコノエの視認範囲内へと侵入する。


「――何をしに来た!?」


 分からなかった。あの日、不意打ちをしてもコノエに勝てないことは証明されているはずだった。ヘカトンケイルと同時でも駄目だった。それを今更一匹で挑んでも結果は変わらないはずなのに。


 そうだ。あれから結局、竜は結界が治るまで襲ってこなかった。

 だから、とうの昔に遠くへ逃げたものかと思っていたのに。


 ……コノエは、一刻を争うときに邪魔が現れたことに舌打ちし――。


「――まあいい、そんなに死にたいのなら」


 ――すぐに、撃ち落としてやろう。

 コノエは思考を切り替える。鍛え上げたアデプトの思考。邪悪を必ず滅さんとする決意。


「顕現」


 コノエの手に、白い光が集まる。

 それは瞬きのうちに形を変え、純白の十字槍を形作る。


 槍はコノエの感情いらだちに呼応して、周囲一帯に白雷を撒き散らす。

 最上級以下の魔物なら僅かに触れるだけで消し飛びそうな神威。コノエはそれを振りかぶり、竜に向けて投げ放って――。


 ――コノエの視線の先で、竜の口が笑みで歪む。


「……なに?」


 ――槍が、曲がる。


 放たれた槍は竜の手前で、その形を変える。進む方向を変える。

 そして竜への軌道から外れ、上空へと飛び去って行く。


「……まさか!」


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「風の下級竜、なぜ今――何をしに来た!?」


 ――コノエのそんな言葉に、竜は少し目を見開く。

 風竜は、永く永く生きてきた。多くの人を殺し、食らってきた。進化し、知能を高めてきた。故に、この風竜は人の言葉を理解する。


『……GU』


 だから、竜は思う。コノエの「何をしに来た?」という言葉を理解出来たから思う。

 そうか、お前は分からないのかと、口角を吊り上げる。笑いそうになる。


『……GUUU』


 ――竜が、ここに来た理由。

 コノエの、白き神の使徒の元にやってきた理由。


 ……この三十日間の理由。

 あの日、コノエから逃げ出して、しかし街の周辺に留まった理由。


 地に伏せて、街を観察し続けた理由。

 身動き一つせず、鱗の上を虫けらや小動物ゴミに這い回られ、それでも耐え続けた理由。


 ――それは。


「――まあいい、そんなに死にたいのなら」


 そこで、竜の視線の先でコノエが槍を造り出す。そして投擲する。

 天を埋め尽くさんばかりの白雷。それを纏った槍が竜の元へと飛んでくる。本来の竜なら、何もできずに消し飛ばされるような一撃。しかし――。


「――なに?」


 ――竜の前方に、歪みが生まれる。

 歪みは槍の軌道を曲げ、上空へと打ち上げる。


『――GLU』


 それが、竜が手に・・・・入れた力・・・・だ。

 竜の中で渦巻く感情が産み出した力。己のエゴで世界を変える権能。


『――GLUUUUU』


 さて、と竜は思う。理由を問うたな、と。

 何をしに来たかと。竜がここに居る理由を。


 それは、そんなもの――――


『――GLUUUAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』


 ――貴様が憎いからに、決まっているだろうが!!!!


『GYAAAAAAAGAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!』


 竜は咆哮する。地の底まで響けと咆哮する。

 胸に渦巻く憎悪のままに。機会を待ち、耐え続けた怒りのままに。


 ……あの日コノエに殺されたつがいに届くように。

 地の底に還った、最愛の無念を晴らさんとするために。


『GAAAAAAAAAGYAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!!!!』


 憎い。憎い。憎い。憎い。憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い

 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い

 憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い憎い!!!!


 ――我がおっとを殺した貴様コノエが憎い!


 永い時を共に過ごした番だった。地を這うトカゲだった頃から共に生きていた。

 数百年連れ添った。確かな愛があった。いつも互いで暖を取るように眠った。


 ――それを。それを、それを、それを!!!! 

 ――それを、『何をしに来た?』だと。忘れたか? それほど我が愛は弱かったか? 記憶に残らぬほどにつまらぬ敵だったか?


 ――いいだろう。その侮辱、受けて立とう。

 ――我が権能、我が怒りを目に刻み付けて逝け。


 竜が怒りに目を細める先にはコノエがいる。

 コノエの顔からは侮りが消えている。槍を弾いた直後からコノエは空を駆けながらも、構えを取り、竜から視線を切らさない。


 ――白き神の使徒よ。愛の仇よ。

 ――これこそが我が復讐ぞうおである。


『GLUUUUUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』


固有魔法オリジン――我が愛は既こんなに亡くせかい故に空よほろんで共に堕しまえちたまえ】


 竜の憎悪に、世界そらは軋み、歪み出す――。

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