第28話 固有魔法
「――」
ガチン、とコノエの脳内で撃鉄が落ちる。
焦りと疑問で埋め尽くされていた思考が切り替わる。鍛え上げたアデプトとしての思考。それは強大な邪悪を前に瞬時に戦闘状態に変化する。
災害級の固有魔法使い。それはたとえアデプトであろうとも油断できる相手ではない。
全世界で年に一匹出るかどうかの邪悪。一歩間違えれば数十、数百万が死ぬ、
「――――」
冷静な思考。魔力で加速する血流。一瞬を何百倍にも引き延ばしたような時の中。
観察する。観察して、推測する。竜の固有魔法は、何か。
竜の周囲に歪みの発生。いや違う。
コノエは感知する。周辺空域に歪みが生まれ始めている。効果範囲は極めて広大。コノエは既に取り込まれている。
空域からの離脱は出来るか。検討。不可能。敵は風の竜。速度ではコノエを遥かに凌駕する。逃げても必ず追いつかれる。背を向ければ隙をさらす。ならばここで打ち倒すしかない。
能力の考察。歪み。光の屈折。何の力だ? 槍を逸らした。もしくはそう
(――厄介だな)
空間系か、と。コノエは冷静に眉を
コノエはその長い訓練生活で空間系の力の使い手とも多く戦って来た。率直なイメージとしては、強力だが燃費が悪い力。実戦ではあまり使えない。すぐに魔力が尽きるからだ。
――しかし。
『GLUUUAAAAAAAAAA!!』
竜が叫ぶ。その咆哮に呼応するかのように、周辺数十キロの空域に歪みが増える。
広すぎる効果範囲。そして、コノエの槍すら歪めてみせた強大な力。普通ならどれほど年月を重ねた魔物でも、誉れ高き英雄であっても、すぐに魔力切れになる。
――しかし。しかし、だ。
それはあくまでも普通の魔法の話で――。
『GLUUUUUUUUAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』
咆哮。さらに歪みが増える。底など無いとばかりに竜は吼える。
――そうだ。
「……」
コノエは空を駆ける、駆けながら槍を構える。待ちの構え。
歪みを拡大する竜に飛び込む事は出来ない。空間系にそれは自殺行為でしかない。空間系は己の領域を創り出す。そこは踏み込めば必ず死ぬ死地だった。
故に、コノエは竜を全力で観察しながらも、距離を保つために走り続けて――。
『GYAAAAAAGAAAAAAAAA!!!!』
――来る。竜が己の周囲に風の弾を造り出す。
数十の弾。それは表面に歪みを纏っており、光を乱反射している。
――音もなく、予兆もなく弾が射出される。
音速を遥かに超える速度の弾。それがコノエに向かって飛んでくる。
「――」
コノエは全力で宙を踏む。加速する。弾の射線から離脱する。弾の軌道にナイフを数本残して、百分の一秒以下の間に数十メートルを踏破する。コノエは感知する。弾がナイフに触れる。容易く
……これが、空間系の厄介な所だった。
曲げる、弾く――そして、抉る。単純な防御は不可能。硬度は関係ない。空間ごと捩じ切り、抉る力。燃費が他より圧倒的に悪く、しかしそれでも使う者が絶えない理由。
「――!」
――しかも。コノエを襲うこの弾はさらに特別だった。
「――――」
コノエは、手の中の槍に魔力を込める。白雷が奔る。
迫る弾を見極めつつ、さらに踏みこむ。弾かれるように横へ飛ぶ。そこは襲い来る弾幕の一番端。他の弾の全てを躱しつつ、コノエはそのうちの一つと対峙する。
「――」
――接触。十字槍と風の弾が、存在を賭けて激突する。
――果たして。
その軍配は、十字槍に上がった。風の弾はその力を失い、空中に溶ける。
破壊は、出来る。コノエはそう理解する。
敵の弾は数が多く、速度も速い。しかし破壊できないほど
それならば――。
「――」
コノエは横を通り過ぎる弾の群れを感知しつつ、十字槍に魔力を溜めていく
弾がその軌道を切り返し再度襲ってくるまでの一瞬。その僅かな間に――。
「――っ」
――そのとき。コノエは目を見開く。小さく呻く。
それは竜の周りで風が渦を巻いたからだ。新たな弾が作り出されるのを見る。数十の弾。表面には歪み。それは、またコノエ目掛けて撃ち出されて――。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――竜は、コノエから離れた場所にいる。
己を歪みの盾で覆い安全圏を飛び、しかし風の弾を断続的に射出し、宙を走るコノエを追い詰めていく。
その生成は一秒に数十の速度。
一度作った弾は撃墜されるまでコノエを追い続ける。戦闘が始まって数分。すでに空は弾で埋め尽くされているかのようだった。
『――GLUUUU』
竜は見る。唸りながら怨敵が走り回る姿を観察する。
コノエは弾が作り出す嵐の真ん中にいる。躱しながらも十字槍を振るい、白雷で薙ぎ払い、竜の弾を撃墜していく。しかし、明らかにコノエが潰す槍よりも竜が作り出す弾の方が多い。
一秒ごとに仇が追い詰められていく。
弾が仇のほんの数ミリ横を通る。仇は体勢を崩しながらも避けている。しかし避けた先にはまた別の弾があって――。
『GLU』
転がるように避けている。無理な体勢で避けている。
必死に。無様に。それはまるで、風に翻弄される虫けらのように。
白雷の輝きは鈍っていく。撃ち落とされる弾の数も減っていく。風の弾の密度だけがどんどんと上がっていって――。
『――GU?』
竜は、そんな仇の姿にあれ? と思う。
なんだ。もう手も足も出ないのかと。もっと強いと思っていた。白き神の使徒。黒き神の敵。数多の魔物を打倒してきた、魔物の死神。
それが、固有魔法を使ったからといって、こんなに簡単に。
これはどういうことか。思ったよりも仇が弱かったのか――それとも竜が強くなり過ぎたのか。
『――GUU?』
少し不思議だった。
だが、考えてみれば、この力は竜を極限まで強化してくれる。
空間を操る力。攻防を兼ね揃えた極めて強力な固有魔法。
それなら、こうなるのも当然だったのだろうか。そう竜は思う。
『――』
仇が不格好に踊る。笑ってしまいそうな程にみっともない姿。
そのあんまりな姿に、憎悪に加えて滑稽さを感じる。憎いが故に嘲笑いたくなる。嗜虐心が刺激される。
弱者の踊り。これまでに見てきた
そうしている間に弾が仇の背中付近を貫く。風に煽られていた白いコートが千切れ跳んで。そこに描かれた模様が竜の目に映る。
――白翼十字。白き神の紋章。
竜の視線が吸い寄せられる。憎い紋章。しかし今は千切れ飛び無様を晒している。
それに竜は思わず、意識をコノエから逸らして――。
『――?』
一瞬の後、視線、を、戻、し――。
『――』
――白い雷が、もう目の前に。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「――ああ」
――お前、今気を緩めたな?
その瞬間、コノエは、竜の視線が己から離れたことに気付く。
わざと打ち抜かせたコート。吸い寄せられる視線――。
――だから、コノエはそれと同時に全力で十字槍を放つ。
そうだ。コノエは、ずっとその瞬間を狙っていた。
手も足も出ずに転がっているふりをしながら、槍に魔力を溜め続けていた。
最初の風弾との一合。それでコノエは竜の力を大まかに測っていた。
堅い守り。簡単には破れない。だからそれを貫くだけの力を溜めるために時間を稼いだ。バレないようにゆっくりと魔力を溜めた。十字槍を極力使わず攻撃を凌いだ。そして油断を誘っていた。隙を作り出すため、確実に一撃を当てるために――。
「――」
――十字槍が空を斬り裂き、竜に迫る。
一拍遅れて竜も気付く。しかしそれは既に目前まで迫っている。槍は僅かに軌道をずらされるも、歪みを打ち破り――。
『――GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!』
――その体を切り裂く。竜の半身が抉られる。十字槍に消し飛ばされる。
白雷が断面を焼き、侵入する。内部から竜の体を破壊する。
『GI、I――』
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――本当は。コノエと竜の間にそこまでの力の差はなかった。
これほど簡単に決着がつくはずはなかった。固有魔法を手に入れた災害級、それも空間系は大半のアデプトにとって苦戦を強いられる相手だ。
しかし、それにも関わらず今のこの状況を作り出したのは、コノエの二十五年にも渡る研鑽の結果だった。平均の倍近く長い期間。その間にコノエは誰よりも多くのアデプトや候補生と戦い、その固有魔法を受けてきた。そして、それを積み上げた基礎能力で幾度となく打ち破ってきた。故に、コノエは固有魔法との戦いに慣れていた。己より強い相手との戦いばかりだった。
解析と検討。効率的に、確実に。利用できるものはすべて使って、隙をつく。隙が無ければ作る。油断させる。コノエは最初の数合で竜の
対して竜は、いつも己より弱いものを狩って生きていた。その機動力を生かして危険な状況になれば逃げていた。常に番と二匹で行動していた。竜の前には常に番がいた。竜にとって戦いとは己が一方的に敵を
――つまりこれは、成るべくして成った結末だった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
『――GI』
身体から力を失い、竜の体がぐらりと揺れる。
それを追撃するためにコノエは新たな槍を造り出す。
「――」
コノエは槍を振りかぶる。
反撃はない。魔力の流れもない。纏っていた歪みは焼き切れて復活する様子もない。
コノエの手から槍が放たれる。
その一投は狙いを外すことなく竜の心臓へと吸い込まれて――。
「――?」
――しかし、その瞬間。
コノエは竜の口角が上がるのを見た。
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