第26話 テルネリカの想い


 ――本当は、お金なんて全くなかった。


 だから、こうなるのは当然だったのだと、テルネリカは思う。


「……」


 転移した先の街、その中でも一際大きい建物の一室。

 案内されたその部屋の片隅、大きなソファの上にテルネリカは座っていた。


 近くの机の上には果物が盛られた籠と、甘いジュースが入った陶器の瓶。

 床に敷かれているのは毛の長い絨毯で――。


「――随分と、丁重な扱い」


 ポツリと、テルネリカは呟く。

 これは一応は元貴族としてテルネリカを扱ってくれているからなのか、それとも、この後のことを憐れんでせめて今くらいはと思っているのだろうか。


 ……後者だろうなと、テルネリカは目を瞑る。


「……」


 小さく震える手を、テルネリカは押さえつける。

 後悔はあって、恐怖もあった。部屋の隅にある、の真っ赤な魔道具を見るたびに、テルネリカは逃げ出したくなる。誰でもいいから泣きつきたくなる。


「――」


 ――それでもテルネリカがここに居るのは。

 ――コノエに何も渡せないほうがずっとずっと、嫌だったからだ。


 分かっていた。最初からずっと分かっていた。

 もし事情を説明すれば、きっとあの人コノエは許してくれる。それなら仕方ないと言ってくれる。金なんか気にしなくていいと言ってくれる。


 分かっている。分かっていたんだ。

 テルネリカはずっとコノエを見ていた。コノエは、そういう人だった。


「……でも、私が・・、嫌だった」


 あんなに、頑張ってくれたのに。

 あんなに、助けてくれたのに。


 七日七晩もかけて、三千人も助けてくれたのに。

 眠っていても、魔物が近づくと飛び起きていた。魔物が街に入らないようにと、誰よりも気を使ってくれていた。民を守ってくれていた。テルネリカと家族の大切なモノを守ってくれた。


 ……普通はあそこまでしない。

 テルネリカは元貴族であるが故に、普通のアデプトがどういうものかを知っている。


 その性質上自由を認められており、我が強い者しかいないため、たとえ契約してもどれくらい働くかはそのアデプト次第だ。

 邪悪である魔物とは、戦うだろう。日が昇っている間は治癒もしてくれるだろう。しかし、それ以上はしない。基本的な働きはするけれど、それ以上は追加料金次第、なんてアデプトも多い。


 だから、コノエが生き残っていた民を全て助けてくれたことは、ただただ、コノエの優しさだった。一度礼を言ったとき、コノエは『優しいのではなく仕事に対して真面目でありたいからだ』、と謙遜したけれど、それだって、何を真面目とするかを決めたのはコノエ自身だ。


 当然のように人に手を差し伸べることを、コノエは真面目と決めた。これを優しさと言わずに、何を優しさと言うのか。

 間違いなく、シルメニアの街はコノエの優しさに救われたのだ。


「……だから、そのお礼をしなければいけない」


 泣きついて無かったことにしてもらうなんて、テルネリカ自身が許せなかった。

 せめて最初の約束――契約だけは果たさないと、自分で自分が許せなかった。


 ……そして、だからこそ。

 テルネリカはコノエにシルメニアの真実を話せなかった。


 だって、伝えたらコノエはきっとお金を受け取ってくれない。そういう人だ。それをテルネリカは知っていたから、そんな恩も恥も・・・・知らない・・・・真似・・、出来るはずがなかった。


 それはコノエの三十日を貶める行為だ。

 始まりの日、テルネリカを治し、救ってくれたコノエを貶める行為だ。


「――」


 ――そうだ、あの日。

 コノエがテルネリカを見つけ出し、抱き上げてくれたこと。それを貶めることなんてテルネリカにできるはずがない。


 だって、だって――。


「――あんなに、あったかかったのに」


 テルネリカは、あの瞬間を忘れない。きっと、命が尽きるそのときまで、忘れない。

 あのとき、テルネリカは死にかけていた。死病の末期だった。全身が痛くて、苦しくて。目も見えなくなって、息をすることも難しくて。


 もう、死ぬしかなかった。

 それ以外にテルネリカに未来はないはずだった。


『……ああ、君のことは治す。心配しなくていい』


 ……でも、それなのに。

 テルネリカを抱き上げてくれた腕が、あった。


 その腕は優しくテルネリカを包み込んで、治癒魔法をかけてくれた。心配しなくていいと語りかけてくれた。見えるようになった目には、あの人のテルネリカを気遣うような眼差しが映っていた。そしてその全てが本当に暖かくて、安心して――。


 ――だから、それが。テルネリカの初恋だった。


 テルネリカはあの温もりに、優しさに、恋をした。


「……ふふ」


 あのときのことを思うと、テルネリカはこんな状況でも笑みが漏れる。

 幸せな記憶。これから、どれほど痛みがあっても、苦しくても、血を吐いても、幸せだったと胸を張って言える時間がある。


 ……まあ、少し恥ずかしい記憶でもあるけれど。


「……あそこで言う言葉じゃ、なかったかな」


 それは、コノエと交渉しているとき。シルメニアの状況、瘴気汚染と民たちの状況を伝えて、どうか助けて欲しいと言っていたときのこと。


『アデプト様、どうかお願い、いたします! ……っ、今この時も、民が苦しみ続けているのです!』

『どうか、どうか。叶えて頂けるのなら、この身、御許に咲く聖花はなの様に……っ……ぁ、ごぼっ』


「――本当に、恥ずかしい」


 テルネリカは頬に手を当てる。熱を持った感触。きっと赤くなっている。

 だって、あれは特別な言葉だ。エルフの女なら、人生で一度は言ってみたい言葉。古のエルフの神殿。そこに安置された神像。その足元に咲く石の花を元にした、誓いの言葉だった。


 あんな血まみれの体で言うことじゃない。交換条件で言うことでもない。おまけに最後まで言うことも出来なかった。血を吐いて中断した。


 もし母が生きていたら呆れて天を仰いだだろう。

 父なら聞かなかったふりをしてくれて、兄なら腹を抱えて笑っていたかもしれない。


「……でも、思わず言いたくなるような、恋をしたの」


 本気で、恋をしていた。

 傍にいるだけで、幸せだった。言葉なんかいらなかった。居るだけでよかった。


 幸せで、ずっとコノエを見ていて――。


「――」


 ――だから、少しだけコノエのことを理解できた。


 誰よりも強いのに、優しいのに。心に深い傷を負った人。

 他者を疑い、口を噤んでしまった人。何も信じられず、己自身を何よりも嫌っている人。


 テルネリカは、そんなコノエの力になりたいと思った。

 寄り添って、語りかけて、温もりを伝えて。もっと、してあげたいことがあった。話したいことがあった。


 ……でも、テルネリカには家族から任された役目があったから。それが愛する家族たちの、最期の望みだったから。だから、それだけは決して投げ捨てることはできなかった。


 ――結局、何もかもが中途半端。

 それが、テルネリカは残念で、悲しくて。


 だからこそ、テルネリカは誓う。


「……コノエ様、せめて最初の契約だけは、必ず果たします」


 ◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「――では、君に払う金貨千枚。それはどこから出ると思う?」

「……!」


 ――都の学舎、その教官室。

 そこでコノエは、教官の言葉に愕然とする。


 テルネリカと交わした契約。金貨千枚。

 今聞いた話が事実ならば、到底払える金額ではない。


 それなら、どうやって――。


「……さて、それじゃあ、まずこれを君に渡しておこうかな」

「――え?」

「目的地は既に設定済みだよ。壊さないように注意してね?」


 教官が口を開けたままのコノエに一つの魔道具を渡す。

 それは訓練でも使ったことがある道案内用の魔道具だった。一度設定すれば、目的地に着くまでその方向を指し示してくれる魔道具。


「転移門は起動が間に合うかは微妙なところかな。おそらく処置は日が沈んだ後すぐに行われる。黄昏の時間。それが最も良いから」

「……あの」

「それなら、私達アデプトなら走ったほうが早い。なに、十分に間に合う距離だよ」


 コノエは、まだよく状況が理解出来ていない。

 結局金貨千枚の話はどうなったのかと――。


「――では、準備が出来たところで、大事な話だよ。よく聞いて?」


 教官はコノエの肩をポンポンと叩く。

 そして、真剣な顔になって。


「すでに学舎には連絡が来ている。金貨千枚の送金の連絡。それは、ある街の錬金工房から今朝届いた」

「……錬金、工房?」

「コノエ君、君は売体というものを知っているかな?」


 ……ばいたい?


「……いえ」

「簡単に言うと、体の一部を売り払う行為だよ。我ら人の体は、時に錬金術や魔法の触媒となりうる。例えば、髪などが代表的だね」

「……」

「髪、血……そして、時には、肉体・・そのものも・・・・・。その有用性が特に高いと判断されれば、許される。……ああ、安心して。死人も欠損も出ないから。ほら、上級の治癒魔法があれば腕や足の一本や二本再生できるでしょ?」


 …………それは、まさか。

 軽い教官の口調とは裏腹に、嫌な予感がコノエの背筋を這いあがってくる。教官の言葉の先を、段々と予想できてくる。


 しかし、そんなコノエに教官は食い詰め者たちが時折やるんだよ、と続ける。

 誰でも身一つで稼げる方法だから、と。別に機能的・・・な後遺症は残らないし、結構な額をもらえるんだ、と。


 ――でも。


「でもね、デメリットが一つあるんだ」

「……それは?」

痛いんだよ・・・・・。死ぬほど、痛い。苦しい。異なる魔力の反発やその後の利用を考えると、睡眠も鎮痛も魔法が使えないんだ。ますいも使えない。だから、処置の間、痛みに耐え続ける必要がある」

「――」

「そして……負債が高額な場合、それを何度も繰り返す。金貨千枚なんて簡単には稼げない。一度では駄目だ。生きながらに体を裂かれて、死にかけて、生き返されて、それを何度も何度も。何日も何日も。生と死の境で苦しみ続ける」


 そうだね、例えば……一度が金貨三十枚なら、と教官は言う。

 そのときは、三十日以上苦しみ続けることになるね、と。


「――さて、ここまでの話に、質問はあるかな?」

「……」

「ないのなら、君に伝えることはあと一つだけだ」


 教官はコノエの目をしっかりと見据えて――。

 

「――古き血のエルフ、その心臓は、封鎖結界の触媒になるんだよ」


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