5章

第25話 最初の契約


 ――竜は、ずっと見ていた。

 三十日、あの日からずっと。街と、男を見ていた。


 エサが瘴気で死にかけていたときも、街に神の力を戻りつつあったときも。結界がその姿を取り戻したときも、瘴気の核が破壊されたそのときも。


 竜はただただ、ずっと見ていた。


『……』


 だから、その瞬間悟った。

 男が街から消えたその瞬間を、竜は確かに理解した。


『――GLU』


 久しぶりに小さく唸る。そして翼を広げる。

 鱗の上を這っていた虫も、小動物も振り落として。


『――GAGYA』


 魔力で、消し飛ばす。小さな魔力の発露。

 それは大きな音は立てなかったけれど、竜の周囲を焼き尽くした。


『――GA』


 竜は、静かに飛び立つ。

 地を離れ、本来の住処そらへ戻る。そして、ちらりと街を見て――。


『――』


 ――街に背を向ける。

 そして、の方角へと飛び去っていった。


 ◆


「……神様?」

「……!」


 コノエが扉を潜った先には神様がいた。真っ白な翼を大きく広げた神様。

 神様は廊下の真ん中に立ち、コノエを見据えている。二十五年見てきた微笑みとは違う、少し泣きそうな顔。初めて見るその表情に、コノエの足は止まる。


「……」

「……」


 無言の時間。神様はじっとコノエを見ている。

 伝わってくる雰囲気もなく、ただ悲しそうな顔でコノエを見ている。それにコノエは、臓腑の奥まで見透かされているような錯覚を受けて。


「……!」


 唐突に、神様が一転して笑顔になる。

 そして、そんな変化に驚くコノエから視線を切って……一つの部屋を指さす。


 窓の先、学舎の最上階の部屋。それは、あの・・教官の部屋だった。


【あそこに行きなさい】


 そんな雰囲気だった。

 コノエは、神様はそれを伝えるためにここで待っていたのだろうかと思って、あのメイドの言葉を思い出す。日が暮れる前にと言っていた。だから、一度神様に頭を下げた後、教えられた教官の部屋へと走って――。


「――ああコノエ、君か。おかえりなさい」

「教官」

「お疲れ様、と言わせてもらおうかな。初仕事が無事に終わったようで何よりだよ。君さえよければ、酒の一つでも奢ってあげたいところだけど――」


 ――しかし、と教官はコノエに向き直る。


「それどころではないみたい。さて、何かな?」

「教えてもらいたいことがあります」


 話しながら、コノエは窓から太陽を見る。

 ちょうど真上のあたりにある。日が沈むまで、数時間と言ったところ。


「……テルネリカ。シルメニアの領主の娘について、知っていることがあれば教えてください」


 問いかける。加えて、場所も知っているなら教えてほしいと。

 教官が知っているのかは分からないけれど、あのメイドが言うように情報が集まっているのなら。それを知っている人を紹介してくれないかと思って。


「…………なるほど」

「……?」


 意気込むコノエに、しかし、教官の返事は小さなため息とそんな呟きだった。

 そして、そうか、君は異世界人だもんね、と。


「……うん、テルネリカ嬢について聞きたいと。それなら、私はまず前提から君に話す必要があるだろうね」

「……前提?」

「うん、よく聞いて――まず、この国に、シルメニアの領主の娘なんて人物は、どこにも存在しない」


 ……え?


 ◆


 ……それは、どういう?

 コノエは混乱する。テルネリカが存在しないとは、どういうことなのか。では昨日まで、コノエが話していた少女は――?


「――ああ、誤解しないでね。君と契約した少女が別人だったという意味ではないよ。テルネリカという名前の少女はいる。でも。シルメニアの領主の娘、引いてはシルメニア家というものは存在しないということだよ」

「……?」

「……君は、そこから分かっていなかったんだね。今朝連絡が来たときから君らしくないと思っていたけど。あのお方・・・・なんて、聞いた途端愕然として、泣きそうな顔で転移門の前に陣取っていたくらいだ。門番はさぞ居心地が悪かっただろう」


 教官が、君はあのお方に気に入られてるね。……まあ、本当は、アデプトたる君の選択にいちいち口出しするべきではないんだろうけど、と苦笑する。

 しかしコノエは訳が分からない。シルメニアという家が存在しないとはどういうことなのか。


「……説明していただけますか?」

「うん、いいよ。つまり――シルメニア家は、すでに取り潰されたということだよ。今から四十五日前。例の大規模氾濫が始まった、その日に」


 ……取り潰し?


「何故か? それは簡単だよ。あの街の領主はね、大貴族の命令を無視したんだよ。自らの領地を優先した。命令違反だ」

「……それ、は」

「もちろん、事情は知っているよ。愛する街が滅ぶのは悲しいことだ。五千人の命は重い。それも見知った人々だ。守りたいと思うのは当然のことだと思うよ。でも――だからと言って命令違反は許されるのかな?」

「……」

「――もし仮に、その行為が原因で、十万人都市が全滅するとしたら?」

「――」


 ――それは、そうだ。間違っている。

 コノエにも、頷くことなんて出来ない。


「……まあ、幸いなことに、今回は人員に余裕があったから被害は無かったけどね」


 そして教官は、大規模氾濫はそういう貴族がいくつか出る可能性も考えた上で計画を立てるものだし、と言う。

 聞くところによると、シルメニアは色々情報を仕入れた上で背いたらしいし、とも。歴史の長い家で周辺地域の事情にも詳しかったから、大貴族側の人員に余裕があるのを把握してたんだろうね、と。


 ――でも、被害はなかったけれど。


「その行動が許されるわけじゃない――コノエ、聞きなさい。君の世界の貴族がどうだったかは知らないけれど、この世界の貴族は神と契約し、強力な加護を得る。貴族は契約に従い、民を守り、人口を増やし、国力を高める義務がある。そして、いずれは邪神を討ち果たさなければならない」

「……」

「だからこそ、命令が下され、それが合理的なものであったとき。より多くの人々を救うためのものであったとき、貴族に拒否権は存在しない。それを破るのならば、当然罰が下る。シルメニアは私情で、救った数よりもより多くの民を危険に晒した。故に取り潰しとなった」


 教官は、貴族とはそういうものなのだと言った。

 強大な力と富と権力を得て、その代わりに大きな責任と義務を背負っているのだと。


 ――もし、その義務に背くのなら、全てを失う覚悟をしなければならないのだと。


「……そりゃあね、きっと誰もが思うよ。どうして自分の大切な人を見捨てて、知らない者を守らなくちゃいけないのかと。……でも、それが貴族だ」

「……」

「強い力には、重い義務が伴う。例外は、アデプトだけだよ。アデプトのみ、貴族の義務から解放されている。それを求めて学舎の門を叩く者も多い。……守りたいものを、守るために」

「……なる、ほど」


 そこで、コノエは思い出す。学舎にいた頃、周囲にいた候補者たちには、貴族出身の者が多かった。コノエは不思議に思っていた。どうして恵まれた生まれなのに、こんなに過酷な試練に挑んだのだろう、と。首を傾げていた。


 ……それは、もしかしたら。


 分かってくれたかな?と教官がコノエに問いかける。

 コノエは、一拍置いた後、それに頷いて。


「貴族の義務について理解できたのなら、命令に反した貴族がどうなるかという話だよ」

「……はい」

「契約違反の罰則は――今回は当主も奥方も次代も全員亡くなってるからね。立場のない家人だったテルネリカ嬢に関係あるのは二つ。まず一つ目が、お家取り潰しと全財産の没収」


 それは金銭だけでなく、物品まで及ぶ、と教官は言う。

 土地や債券、宝石、家具に至るまで、すべてを没収されるのだと。


「それにはもちろん、衣服なども含まれる……これが傍から見て一番わかりやすいかな。覚えはない?」

「……!」


 ――そこで、思い出す。メイド服だ。


 テルネリカはずっとメイド服を着ていた。

 コノエはどうして領主の娘がそんな恰好をと、疑問に思っていた。


「そして、もう一つが貴族としての加護の没収。それまでの研鑽の全てが無意味になる。残るのは血に宿る加護のみ。……シルメニア、古きエルフの血なら、森の神の加護が残るかもね」


 ――封鎖結界の家なら、境界神の加護ではないかと。

 そうコノエは不思議に思っていた。テルネリカも理由を聞かないでくれと言っていた。


「……」


 ……疑問が、繋がっていく。

 あの街でコノエが不思議に思っていたことは、根の所でつながっていた。


「では、ここまでが前提。さて、君の問いは――テルネリカ嬢がどこにいるか、だったかな?」

「……はい」


 教官は、そこまで言って、一拍置く。

 コノエを正面に見据えて、息を吸う。


「さっき、私は取り潰しになった貴族は全財産を没収されると言った。じゃあ――」


「――君に払う、金貨千枚。それはどこから出ると思う?」


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