第24話 真実



「……領主に、奥方に、若?」

「はい」


 コノエはその言葉を呆然としながら繰り返す。

 そして、並べられた棺桶に目を向ける。そこには確かに、三人分の棺があって。


 ……しかし。


「……どういうことだ?」


 それは、つまりここに居るのはテルネリカの家族だということだ。

 その三人は死んでいて、こうして今日、帰って来た?


 でもそれは、聞いていた話とは――。


「――領主は、封鎖結界を張っていたのではなかったのか?」


 そのはずだった。氾濫した迷宮の入り口をまず第一に閉じること。それがこの街の領主、シルメニア家の役目だと聞いていた。

 だから街にはテルネリカしかいなかったと聞いたのに。


「……いいえ、ご領主様方は確かに封鎖結界を張っておられました。故にこそ、街の瘴気は薄れていったのです」

「なら、命を落とすことはありえないだろう」


 封鎖結界の維持には大領主から万全のサポートがつくはずだった。

 それはそうだ。封鎖結界は上位の結界。誰でも張れるようなものではない。術師は希少で、死ぬのなら一番最後だ。


「……いいえ、大領主からのサポートは、無かったのです」

「……なに?」

「なぜなら、ご領主様は大領主からの命令に背き、この街近くに開いた穴を塞いだのですから」


 ……なに?

 それは、どういう?


「……氾濫が始まったあの日、この街は、全ての希望を断ち切られたのです」


 そう、騎士団長は語りだす。

 あの日、つまり四十五日前のことを。この街に、大領主から一つの命令が下った日のことを。その命令は――


「――シルメニアの街に下された命令は、完全放棄・・・・でした」

「……」

「この街の近く、南に五十キロほど離れた場所に、新たに迷宮の入り口が開いたのです。そこから氾濫が始まり、瘴気と魔物が溢れてきました」


 目と鼻の先とも言える場所からの氾濫。それは瞬く間に広がり、シルメニアの街を取り囲んだと騎士団長は言う。

 だから、領主はすぐに大領主に連絡を取り、封鎖結界のサポートとアデプトの派遣を願ったと。しかし……。


「その返事は、不可能、の一言だけでした。氾濫は極めて大規模で、アデプト様どころか封鎖結界の術師も、サポート要員すら足りていない。故に、シルメニアの傍に開いた入り口は放置し、もっと人口の多い地域に人員を集中させると、そう命令が下りました」


 そのために、シルメニア家とその一族に移動命令が下った、と。

 そしてその際、一度・・の転移門の起動で移動できる人数のみ随伴を認める、と言われたと。


 それはつまり……。


「しかし、それは、我らへの死刑宣告・・・・でした。その時点で、我らの生存の可能性は零になりました。何をしても駄目だったのです。なぜなら、街のすぐ近くで迷宮の入り口が開いている。瘴気が、際限なく噴き出してくる。どれだけ耐えても、瘴気の濃度が下がらない。たとえアデプト様が来て下さっても、治しても・・・・治しても・・・・再発する・・・・


 ――そこで、コノエは考える。もし、その大領主の指示通りになっていたらこの街はどういう運命を辿ったか。


 アデプトはもちろん封鎖結界も無し、となれば、この街の周辺は瘴気濃度が際限なく上がり続け、数日中には超高濃度の瘴気に汚染されていただろう。そして死病は周囲の瘴気濃度が高すぎると加速する・・・・


 コノエがこの街に来た時、この街の住民はかなりの人数が生きていたが、それは瘴気濃度が一定以下に抑えられていたからだ。

 もし、それが際限なく上がっていたら――それは、一人も生きていなかったかもしれない。下手をしたら、氾濫後数日中には全員が。


 そして、仮に。氾濫後すぐにコノエが来たとしても何もでき・・・・なかった・・・・

 瘴気濃度が下がらなければ、治す意味がない。治した傍から死病は再発し、いつかはコノエがパンクして全滅していただろう。


 迷宮の氾濫は、封鎖結界とアデプトの双方があって初めて対処できるものだった。


「――故に、あの日、ご領主様方は我らのために命令に背き、迷宮を封鎖に向かったのです。細い、無いにも等しい希望をつなぐために。アデプト様を呼ぶのが簡単ではないことは最初から分かっていました。それでも、まず迷宮を塞がなければ、希望など・・・・何も残ら・・・・ない・・

「……」

「あの方々は姫様に後を託し、たった三人で街の外へ向かいました。せめて、我ら騎士だけでもお供させて頂こうと思ったのですが…………『街を守って欲しい』と、そう言ってあの方々は笑ったのです。氾濫が終わるまで、決して追ってくるなと。だから、我らは……」


 コノエはあの日、この街の救援に来たときを思い出す。

 目の前の男は、トロールを前に一歩も引かなかった。腕を、足を失い、全身が腐り果てても。それでも剣を下げようとしなかった。


 ――この男が、必死に足掻いていた姿を、思い出す。


「……そして、その後、ご領主様方がどうなったのかを我らが知る術はありませんでした。しかし今日、瘴気核が破壊されたと聞き、我らは迷宮入り口まで向かったのです」

「……なる、ほど」

「お三方は、入り口の前で折り重なるように倒れておられました。お互いを庇い合うように。ご遺体や衣服にはおびただしい数の傷がついており――状態から見て、死後三十日以上。きっと封鎖結界を張った後、力尽きたのだろうと思われます」


 ……? いや、それは。

 と、そこでコノエは眉を顰める。それは不可能なはずだった。だって、死後結界が維持されるはずがない。


 結界は魔法で、魔法の展開には魔力がいる。行使するだけの意志もだ。

 だから死人が結界を展開させ続けるなどできるはずがない。


 死後も魔法を行使するなど、それはもはや普通の魔法ではなく――。


「――まさか……固有魔法オリジン……?」


 己のエゴで、世界を侵食する力。

 それならば確かに死後も力を維持できる。


 ……しかし、固有魔法の展開には、世界を捻じ曲げるだけの意志がいる。欲望が要る。愛が要る。

 たとえどんな苦痛が襲ってきても笑い飛ばせるほどの意志。そのためならば全てを捨てられるというほどの欲望。自らを省みず、全霊をもって尽くせるだけの愛。


 ……コノエは、呆然と棺を見る。

 彼らは、それだけの愛をもって、街を救ったというのか。


「……」


 コノエは周囲に視線を向ける。そこにはこの街の住民が集まっていた。

 三千人全てが集まっているのではないかという位の人数。ある者は領主達の棺を見て涙を流していた。ある者はその表情に強い意志が見て取れた。ある者は歯を食いしばり、拳を握り締め、俯かなかった。


 そして、理解する。この街の住民たちの目にいつも宿っていた力。

 皆が必死に生きていた理由。笑っていた意味。それはもしかしたら。


「……」

 

 ……あぁ、と。そう思う。そうだったのかと。

 すとん、と。腑に落ちた気がした。


 だから、コノエはそんな彼らの姿を、並べられた棺を眩しく思う。

 コノエに彼らは理解できないけれど。そんな感情あいをコノエは持っていないけれど。そこまで尽くせる愛も、欲望も、己もコノエは持っていないけれど――。


 ――でも、それでも。

 ――そんなコノエにも。何も知らないコノエにも伝わってくるものは確かにあった。


「……っ」


 ……………だから、伝わってきたから。

 コノエは、やっと一歩前に足を出せる。


 コノエは、金色の影を探す。周囲に集まった人々。その中にテルネリカを探す。

 あの娘に、コノエは……。


「……もう一度」


 テルネリカに、会わなければならない。

 コノエはそう思った。


 嫌な予感とか、拒絶の言葉とか、今までの人生とか、そういうのは横に置いて、ただ、会うべきだと思った。もう一度顔を見たいと思った。


 このまま会わないままなのは、それだけは嫌だった。

 胸の中で渦巻く感情なんて何も分からなくて、でもそれが、今のコノエの全てだった。


「……」


 ……しかし、見るかぎりではどこにもいない。

 ここで、コノエは確信する。テルネリカはやはり今この街に居ない。あの少女なら、どれほど体調が悪くても両親と兄が帰ってきたのに出てこないなんてありえない。


 つまり、テルネリカはやはり、朝の転移門で――。


「――騎士団長」

「……? はい」

「テルネリカはどこにいる?」

「え……姫様ですか? そういえばどこに」


 その返事で、騎士団長は知らないのだと理解する

 それなら知っていそうなのは。


「……あの、メイド」


 コノエは、朝のメイドを探す。そしてすぐに見つける。

 数百メートル先。集まった人々の最後尾の辺りに、そのメイドは立っていた。


 コノエは跳躍し、メイドの元へと移動する。

 そして、メイドの顔を見て――。


「――おや、アデプト様。どうされましたか?」

「……」


 メイドは、驚かなかった。逆にコノエを見据え、笑顔で問いかける。

 それにコノエは一瞬迷い……。


「……僕は」

「はい」

「……テルネリカに、会いたい」


 少しの沈黙の後、そんな一言だけを告げる。

 たったそれだけの言葉。でもコノエが今まで決して言えなかった言葉だった。


 他者を、求める。言葉に出す。

 そんな簡単なことすら、コノエはしたことがなかった。出来なかった。それが今までのコノエだった。でも、今のコノエは……。


 ……しかし、メイドはそんなコノエに、目を見開いて。

 そして、嬉しそうに笑う。……しかし。


「……アデプト様、申し訳ありませんが、私に教えられることはありません」


 メイドの返事は、拒否だった。

 それにコノエは、狼狽え、目を泳がせて。


「……あの方との、姫様との約束なのです。私が口を割ることはありません。許せないと言うのなら、どうぞ私の首を落としてください。そして死霊術師の元に連れて行けば聞き出すこともできるでしょう」

「……」

私は・・、何があっても話しません」


 ……私は? 強調するような物言いだった。

 それはまるで他の者に聞けというような。


 しかしメイド以外と言うのなら、誰がいるというのだろうか。


「アデプト様。あなた様は、都――生命魔法の学舎に戻られるべきです」

「……なに?」

「あの場所は、この国中の情報が集まる所。知りたいことがあるのなら、あそこで問うのが一番でしょう」


 ……学舎。

 あそこに戻れば?


「きっと、方向的にも・・・・・距離的にも・・・・・

「……わかった、ありがとう」


 コノエは、メイドに背を向けて走り出す。

 意識を城へ向けて、転移門は既に起動準備が出来ていることを探知する。


「……どうか、日が暮れるまでに。姫様をよろしくお願いいたします」 


 後ろからのそんな言葉を受けながら、コノエは城へ、転移門へと移動し――。


 ◆


 ――コノエは、都に、学舎へ戻る。

 そして衛兵を横目に、転移門の部屋から出て。


「…………!」

「……え?」


 転移室の前。その廊下。

 そこに、神様がいた。 

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