第23話 最終日の朝



 ――その日、朝早くに転移門が起動した。

 それを、誰に教わるまでもなくコノエも知っていた。


 アデプトとして鍛え上げたコノエの感知能力は、たとえ眠っていたとしても近くで大きな魔力が動けば勝手に目が覚める。警戒する。


 ……だから、コノエは誰かが転移門でこの街からどこかへ移動したことを知っていた。


 ◆


「……」


 朝、部屋にはテルネリカは来ず、来たのは別のメイドだった。

 それはいつか、テルネリカの家族について聞いたメイドだ。彼女はテルネリカの代わりにコノエの部屋を訪れて朝食と服の用意をしてくれた。


 食事は美味しかった。服はきちんと整えられていた。

 でも、コノエの頭の中にあるのはテルネリカのことだけだった。


「……」


 昨晩の様子が気になっていた。別れ際の言葉も。最初の約束とはどういう意味なのか。そして朝の転移門。


 酷く嫌な予感がしていた。間違っている気がした。

 ……だから、コノエは不安になってくる。


「……テルネリカは」

「……申し訳ありません。姫様は、本日は体調を崩しておられます」


 コノエが問いかけると、メイドは目を伏せて言う。

 それにコノエはそうか、と返し。それなら治癒魔法をと言うと、既に城の治癒魔法使いが診たので必要ないと返ってくる。


「……姫様にも顔を見せられないときがあります。申し訳ありませんが、どうかご理解ください」

「……そう、か」


 ……そう断言されるとコノエは何も言えない。

 今すぐにでも確認したかった。しかし、コノエは顔を見せられないと言われて、そんなもの知るかと言える人間ではない。そんな生き方はしていない。


 加えて、メイド越しでも会えないと言われたことに、コノエは狼狽えていた。誰かに拒絶されるなどいつものことなのに、テルネリカに言われたと思うだけでなぜか体の動きが鈍くなった気がした。


「……」


 コノエは俯き、せめて安全の確認だけでも、この街にいるのか確認だけでも、とテルネリカの気配を探りたくなって、しかしそれは間違った行動だった。

 

 だって明らかにプライバシーの侵害だ。そこに人がいるかどうか位ならともかく、個人が誰かを分かるくらいに探知したら、一帯の人間が今何をしているのかもわかってしまう。


 ……コノエは、真面目であると決めているがゆえに、正しくない行動は出来ない。


「……」


 ……そもそも、そういう強硬な手段をとるには、確証がない。コノエが不安になっているだけだ。その不安も、昨日ちょっとテルネリカの雰囲気がおかしかった、転移門が起動した、それだけだ。半日早い別れの言葉があった。それだけだった。


 嫌な予感がすると言っても、事情を知っていそうなメイドは落ち着いているし、全部コノエの気のせいなのではないかという気もしてくる。


 ……今朝来なかったのも、特別な理由があるんじゃなくて、ただコノエの世話をするのが嫌になっただけかもしれないし。いや、むしろそっちの方が可能性が高い。だって、今まではそれが普通だったでしょう?


「………………………………」

「ところでアデプト様、一つご報告が。転移門の起動準備が進行中です。都への転移はちょうど昼になるはずです」

「………………そうか」


 ますます俯くコノエに、そこに新しい情報がやってくる。

 それは、コノエが都に帰る時間の通達だ。仕事が終わる時間。そして、この街と、テルネリカと、最後になる時間。


「……」


 ……コノエは、どうすればいいのか分からなくなる。

 テルネリカへの心配と嫌な予感と自己否定がぐちゃぐちゃに混ざって、自分が何をしたいのかすら分からなくなってくる。


 そして、そんなコノエを尻目に、時間だけが過ぎていって――。


 ――

 ――

 ――


 ――そして、それが何の脈絡もなくやってきたのはそんなときだった。

 もちろん期待していたテルネリカではなく、他の異物だけれど。


「――?」


 ――それは大きな音だった。

 ガシャン、と。突然、空に響き渡るような音がした。


 何かが割れるような音。それもただ皿が割れたような音じゃない。

 この特徴的で、不協和音が入り混じっているようで、一度聴いたらなかなか忘れられないような音は。


「――そうか、瘴気核か」


 コノエは、その答えにすぐにたどり着く。

 瘴気核。ダンジョンの氾濫の原因。この街を襲った全ての災厄を引き起こしたもの。迷宮禍は、ダンジョンが瘴気核を作り出すことで始まる。


 入り口を塞ぐ封鎖結界の力で瘴気も魔物もせき止められているので忘れがちだが、迷宮の氾濫は瘴気核を破壊するまで終わらない。瘴気核を破壊することで、その地域は本当の平穏を取り戻す。


「……破壊に成功したのか」


 今の音は以前聞いた瘴気核が砕ける音に酷似していた。

 それはつまり、四十五日前に始まったこの地方の迷宮氾濫が終わったことを示している。担当のアデプトが上手くやったのだろう。一応地中深くに探知を伸ばすと、邪悪な気配が薄れていくのが分かった。


(……続くものだな)


 コノエは思う。何かといえば、昨日からの一連の流れだ。

 聖花が見つかり、結界が元にもどり、そして瘴気核は破壊された。この街にとって良いことが立て続けに起きている。


 ……いやまあ、瘴気核については封鎖結界のおかげであまり実感はないけれど。

 それで何かが変わるという訳でもないし。そうコノエは思って――。


「――アデプト様。今の音は瘴気核が破壊された音なのですか?」

「……ん、ああ」


 ――しかし、近くに控えていたメイドは、違ったようだった。

 コノエの言葉に目の色を変える。そしてコノエに申し訳ありません、少し失礼しますと頭を下げて部屋から出て行った。


 一体何かと思って……。


『……――、と領主様――が――』


 ――少しして、城の中が騒がしくなる。特に意識しなくてもバタバタとした動きや、ちょっとした声も聞こえてきて……。


(……ああ、そうか領主か)


 断片的に聞こえて来た声に、コノエは理解する。

 そうだ。確かテルネリカの両親に、兄だったか。この街の領主一族は封鎖結界を作る役目を任されていた。それなら、瘴気核が破壊された今、近いうちに帰ってくるのかもしれない。


 城の中がバタバタとし始める。

 きっと迎える準備を始めたのだろう。流石に今日は無理でも、数日中には帰ってくるだろうし。


 まあ、今日この街から去るコノエは会う機会はなさそうだが……。


「……」


 ……コノエは小さく息を吐く。

 そして、少し風に当たろうと思った。メイドもいなくなったし、少し気晴らしをしたい気分だった。


 ◆


 ――コノエは、物見塔に上がる。

 この数日、ずっとコノエがいた場所だ。


 もう魔物を討伐する必要はなく、しかし、コノエにとっては慣れ親しんだ場所でもあった。

 ……テルネリカと居た場所。昨晩も話をした場所。


 その椅子にコノエは座って、街を見下ろす。


「……」


 どこに行っても、浮かんでくるのはテルネリカのことばかりだった。

 でも、状況が分からない。テルネリカの今がわからない。


 昨日の様子も転移門も気になって、頭から離れなくて。

 しかしその一方で勘違いではないかと思う自分もいて、ちょっと会いに来なかったから何かあったと思うのは自意識過剰じゃないかとコノエ自身を嘲笑っている。


 ……そうだ、そもそも――。


「――」


 ――僕に、テルネリカを心配する権利があるのか?


 嫌な予感がしたからといって、何様のつもりだ。己はテルネリカの何なのか。雇われただけ。依頼されて、応えただけ。雇い主と雇われ人。ただそれだけだろう、と思う。


 何が起きているのかは分からないが、昨日の様子を見る限り、テルネリカは自分で決めてそうしているのではないのか。それに口出しをする権利があるのかと。


 コノエはただの他人でしかないのに。まともに人と会話も出来ないコミュ障のくせに。少しテルネリカと話を出来たからといって関係者面をするつもりなのか。


「……」


 ……コノエの中を暗い思考が駆け巡る。

 劣等感。自己嫌悪。これまでの人生。過去が、本性が、今のコノエを馬鹿にしている。


 そして、そう思うと、頭の中がぐちゃぐちゃになってくる。

 分からなくなる。自分がどうしたいのかすら分からなくなる。


「……」


 日が段々上ってきて、都に帰る時間が近づいてくる。

 少し意識を向けるとでは転移門の魔力も高まっているのが分かった。


 ……そのときは、刻一刻と迫ってきている。


 コノエは、街を見る。

 人の流れ。復興のために走り回る人々。


 瓦礫を取りのぞく男に、炊き出しをする女。

 疲れたのか日陰で休む子供に、老人たち。


 そして、街の入口の方では騎士が集まって何かをしていて……。


「…………?」


 現実逃避がてら、あの騎士たちは何をしているのだろうとコノエは思う。

 不思議に思って、だからしばらく見ていた。なんとなく、視線だけを向けていた。


『……!!』

「……」


 そうこうしているうちに、騎士たちは何かの箱――人と同じくらいの箱を持って街の中心部へと歩いてくる。

 数は三つ・・で、黒い色をしている。騎士たちは二人で一つの箱を持ち、慎重に運んでいた。


「……?」


 よくよく見ると、箱の中心には白い羽の絵が描かれている。

 それはコノエの着ているコートにも描かれている紋様で、生命の神様を表す記号でもあって。


 それが書かれている箱。人くらいの大きさ。

 それは、なにかというと……。


「……棺桶?」


 誰か死んだのか? いつの間に? と、コノエは不思議に思う。

 今日か? いや、そうとしか考えられない。昨日までなら報告が来ているはずだ。


 ということは、ついさっき死んだ?

 結界があるのに? 森で突発的な戦闘でもあったか?


 ……いいや、それにしては雰囲気がおかしい。

 そもそも何かあったのならコノエを呼びに来てもいいはずだ。死にかけくらいならコノエなら簡単に治せる。たとえ死んでいても、首が無事ならちょっとくらいは案外なんとかなるものだ。


 それなのに、彼らは棺桶に入れて悠長に運んでいる。

 急ぐ様子もなく、丁寧に運んでいる。


 ……というかそもそも、いつ棺桶を用意した? 死んだばかりの人間に棺桶がある訳がない。

 ……じゃあ、あの棺桶の中身は、誰だ?


「……っ」


 分からない。でも、心臓が跳ねた。

 知らなければならない気がした。あの棺の中身を知らなければ、コノエは――。


「――!」


 コノエは、物見塔の上から足を踏み出す。魔力を回し、空を踏む。

 そして一息のうちに棺桶を運ぶ騎士たちの元へと駆けた。


 騎士たちはコノエが考えている間に街の中心近くまでたどり着いていて、その周囲には多くの人が集まっていた。

 棺の周りで跪いて、両手を組んで祈りを捧げていた。


「……騎士団長」

「! アデプト様」

「……これは、どういう状況だ?」


 コノエは騎士の中から騎士団長を見つけ、すぐ後ろに着地し問いかける。

 すると騎士団長は少し目を見開いた後、寂し気な、でも誇らしそうな顔になる。


 それにコノエは眉をひそめて。


「……ご領主様方をお迎えしているのです」

「……?」

「ご領主様と、奥方様。そして若様を――やっと、やっと、我らは街に連れて帰ることが出来た。そのお出迎えをしているのです」


 ……なに?

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