第22話 温度



 ――なぜその種が生き残ることが出来たのかと言えば、偶然その場所で水路の掃除をしていたからだった。


 迷宮の氾濫が始まったその日。

 その畑の横では小さな水路を一時的にせき止めて清掃作業をしていた。しかし氾濫が起きた時、清掃中の人間は慌て、水をせき止める板を外すことなく逃げ出した。


 その結果として水路から水が溢れ出し、横にあった畑は水に浸かった。

 地上に咲いていた聖花は瘴気によって枯れた。でもその根には種を作り――産み出された種は土と水、二つの要素によって瘴気から守られた。


 ミスと幸運が積み重なった結果の、奇跡の様な偶然。

 そして、それ信じて捜索を続けた人々の努力の結果。


 ――その日、泥になった畑の土からただ一つの種が発見された。


 ◆


「……」


 コノエは、塔の端に立ちながら街を見る。

 魔力で強化した視線の遥か先には、歓喜に沸く人々と、その中心にいるテルネリカがいた。


 街中の人々が集まる中、テルネリカは畑の真ん中で両手を合わせ、跪いている。その周りにも数人の同じ体勢の人間がいた。


『……森の神に、祈りを』


 遠くからテルネリカの声が聞こえてくる。

 すると、地面から緑色の光が溢れてくる。それは地面に置かれた一粒の種に集まり、強く光を放つ。既に日が落ちた空を森の色に染め上げて。


「――」


 コノエの視線の先で、変化が起こり始める。

 ほんの小さな種から芽が出て、根が伸び始める。それは瞬く間に茎をのばし、太くなり、その先端に蕾を付けた。


 そして、つぼみが開いて――。


 ――大輪の花が咲く。菊の花に似た花弁だ。

 白く輝く、夜空に浮かぶ月のような。そんな花が一輪咲いた。


『『『『『――――!!!』』』』』


 夜空に歓声が響く。

 喜び合い、抱き合う街の住人達。


 そして、そんな人々の真ん中で花は咲いたときと同様に急激にしぼんでいく。花が茶色くなって、花弁の根元が膨らむ。実が出来てその実もまた、枯れていって。


『……』


 ……テルネリカが、その実の下へ手を差し出す。

 実が割れて、中から小さなものがいくつも飛び出してくる。


 ――それは、幾十もの種だった。


 その種を大切にテルネリカは袋の中に移す。

 同時に、花の周りの緑の光もだんだんと弱まっていった。


「……」


 ……そんな場面を、コノエは一人遠くから眺めて――。


「……?」


 ――ちょうどそのとき。

 新たな光が街を覆った。


 花から光が消える間際だった。

 今度は緑ではなく青い光が街を包んだ。


 コノエは少し驚いて――しかし、嫌な気配ではなかった。

 なので落ち着いて首を巡らせて、光の出所を確認して。


「……結界塔?」


 それは、街の中心にある結界塔だった。

 そこから光と、神力が溢れている。これはつまり……。


「……ああ、結界が、戻ったのか」


 夜空に、青い光が広がっていく。それは境界神の色だった。

 その光は空に紋様を作って、町全体を包み込んでいく。


『『『『『『――――!!!!!』』』』』』


 街中に、先ほどよりさらに大きな歓声が轟く。

 良いことが続けざまに起きたからだろう。


 コノエはそれに、残心の意味を込めて一応周囲を探知する。


 ……特に問題はない。

 敵はおらず、街は結界に包まれている。


「……」


 ……コノエは小さく息を吐く。

 それが、この街でのコノエの仕事が終わった瞬間だった。


 ◆


 ――それから。しばらくの時間が経った。

 街はお祭り騒ぎで、特に魔力で強化しなくても城までその歓声が聞こえてくる。結界は、今日直った。聖花も見つかった。だから皆笑っている


 もちろん、他はまだまだ途上だ。復興にどれくらいの時間がかかるかもわからない。しかし、今日ばかりはと皆全力で騒いでいた。


「……」


 コノエはそんな街から離れた物見塔の椅子に座っている。

 一人で座るには、広い椅子。そこに腰を落ち着け、もうすっかり冷えたお茶を飲む。それはテルネリカが朝に渡してくれた残りだった。


「……」


 コノエは小さく息を吐く。

 少し肌寒い気がして、でも部屋に戻る気にはなれなかった。一人で戻るには、胸の中で感情が渦巻き過ぎていた。


 何の感情かはコノエは分からない。知らない感情だった。

 その感情を言い表すには、コノエは一人で生きるのに慣れ過ぎていた。ずっと一人だったから、他の人間が混ざると自分の感情すら分からなくなる。


 分からない。コノエには何も分からない。

 分からないままに、この街での生活は終わろうとしている。そうなれば、コノエはまた元の通りに……。


「……………………」


 何も分からなくて、なぜ、目を瞑るとテルネリカの顔が浮かぶのかも分からない。

 自分が何をしたいのか、コノエには分からなかった。


 コノエは、街から視線を下げる。

 そこには、物見台の石畳がある。自分だけがいる場所。他の誰もいない場所。……そんな場所に、コノエは一人でいて――。


「――――――――」


 ――でも、そんな時。ふと、コノエは気づく

 足元の方から、足音がした。軽い足音。体重の軽い、少女のような。


「……!」

「――コノエ様!」


 声がする。階段から、少女が顔を出す。

 金髪の少女。息を切らせたメイド服の少女が、この三十日で慣れた声と共にやってくる。


「ごめんなさい。遅くなりました」

「……」


 テルネリカの頬は、赤く染まっていた。首筋に、髪の毛が張り付いていた。

 周囲の気温は、日が沈んだ後で、少し肌寒いくらいで。


 ……きっとここまで走ってきたのであろうと、そんな姿だった。


「コノエ様、お隣、よろしいでしょうか?」

「……ああ」

「ありがとうございます」


 テルネリカが、コノエの横の空いたスペースに座る。

 最初から空いていた場所だ。二人で座るには狭い椅子。でも何故かコノエが空けて座っていた場所に。


「――」


 ――コノエの隣に、テルネリカがいた。

 そして、テルネリカの体がコノエに向かって傾く。


 ……テルネリカの肩が、頭が、コノエに触れる。

 ……少し遅れて、体温が伝わってきた。


「……」

「……」


 無言の時間があった。コノエはもちろん、テルネリカも口を開かなかった。

 聖花のことや結界のことなど、いくらでも話題はあるはずなのに。テルネリカは口を閉じて、コノエの傍に寄り添っていた。


 ただただ、温度だけがあった。

 言葉はなくて、ほんの少し触れた場所が暖かくて、それだけだった。


「……」


 ……でも、それが。その温度が。

 長い、長い間、ずっと知らなかった人の温もりがそこにあったから。


 コノエは、ほんの少しだけ、目の奥が熱くなる。

 胸の深い場所に、テルネリカの体温が触れているような気がした。


「………………」

「………………」


 静かな時間が続く。街の灯りと喧騒は遠く、ただ月明かりだけが物見塔の上を照らしていた。一分が一時間にも、逆に一時間が一分にも思えるような時の流れの中。


「……」

「……」


 ……そして、どれくらいの時間が経っただろうか。

 その沈黙を破ったのは、テルネリカだった。


「………………コノエ様」

「…………ああ」

「私は、コノエ様に『ごめんなさい』と言わなければなりません」


 ……? ごめんなさい?

 なぜ、テルネリカが謝らなければならないのかとコノエは思って。


「私は、あなたを少しだけ、理解していました。あなたがどういう人か、私は知っていました」

「……君が、僕を?」

「ええ、少しだけ、ですけれども」


 ……だって、三十日近く、あなただけを見ていたんですもの、と。

 そう、テルネリカはコノエに囁く。どこまでも優しい声で。吐息が耳に触れそうな距離で。


 そして、だから、と呟く。


「だから、コノエ様――本当はあなたに伝えたいことが沢山ありました」

「……」

「もっと、したいことがありました。そしてもっと、傍にいたかった」


 でも、と。そこまで言ってテルネリカは小さく息を吐く。


「……でも、出来ませんでした。私は、シルメニアの家に生まれたから。貴族として生まれ、育ったから。街を、守らなければなりませんでした。それが、父と母、兄に託された役目でした」

「……聖花を」

「……はい、私は聖花を守らなければなりませんでした。民の先頭に立たなければなりませんでした。……結果として、中途半端になってしまいましたね」


 ……コノエは、そこで初めてテルネリカの方を向く。

 テルネリカは、寂しそうな顔で、潤んだ瞳で、コノエを見ていた。


 コノエは、そんなテルネリカに少し、息を飲んで。


「……だから、ごめんなさい」

「……」

「あなたは私を救って下さいました。あの日、なにも成せないままに死のうとしていた私を見つけ出し、抱き上げて下さいました。この街を、私の大切なモノを、守って下さいました」


 感謝しています、と。あれほど、暖かかったものを私は知りません、と。

 テルネリカは軽くコノエの腕に頬を擦り寄せるようにする。


「……でも」


 ――それなのに、私はあなたに何もできませんでした、と。

 そう、テルネリカは悲しそうな、後悔するような声で言う。


 コノエはそんな言葉に、咄嗟に否定したくなる。

 そうではない。そうではないはずだった。コノエはきっと、テルネリカに。


「……ごめんなさい」

「……」


 ――しかし、謝るテルネリカにコノエはその言葉を伝えられない。

 コノエは己の感情を人に伝えられない。そういう生き方をしていたからだ。コノエは何もできない。魔物を殺せても、死病を治せても、強くなっても、アデプトになっても。


 コノエは自らの気持ちを口にすることも出来ない。

 コノエはずっと、いつまでも、コミュ障のままだった。


「……だから、せめて」

「……」

「最初の約束だけは、必ず果たします」


 コノエが何も言えないうちに、ふと、テルネリカが立ち上がる。

 椅子から離れて、一歩二歩と歩き出す。


 そして、振り返ってどこまでも優しい顔で、笑って――。


「――?」


 ――コノエは、それになぜか。違和感を覚えた。


 その雰囲気と最初の約束という言葉。

 それに理屈ではない、あやふやな予感があった。


 なにか、大切なモノが間違っている気がした。

 言葉の意味は分からないけれど、酷く嫌な予感がして、でもコノエは何と言えばいいか分からなくて……。


「……テルネリカ?」

「はい」


 やっと絞り出した言葉に笑顔が帰ってくる。

 テルネリカは悪戯っぽく笑って。


「コノエ様、もう買う屋敷は決めましたか?」

「……い、いや」

「……そうですか。いい屋敷を買ってくださいね?」


 テルネリカは唐突な話題を口にする。

 そして、では、と姿勢を正し――。

 

 ――深く、深く頭を下げる。


「――コノエ様、この度の救援、誠にありがとうございました。街を、民たちを救って下さったこと、いくら感謝しても感謝しきれません。この御恩、終生忘れないことを、ここに誓います」

「――」

「あの日、あなた様に出会えたこと。紛れもなく、それが私の人生で一番の幸運でした」


 ――それは。どこまでも真剣で、よどみがなかった。

 深い感情がこもっているのが分かるような、そんな言葉だった。コノエでも疑えなくなりそうな、そんな言葉だった。


 そして、言葉の終わりから数拍置いて。


「――コノエ様。コノエ様が屋敷を買ったら、遊びに行ってもいいですか?」

「……え、あ、ああ」


 少し崩れた口調の、テルネリカの問い。

 それにコノエはうろたえながらも頷く。すると――。


「――ありがとうございます」


 テルネリカは幸せそうに。本当に嬉しそうに笑う。

 その笑顔に、コノエは目を奪われる。


 でも、コノエはやっぱり何も言えなくて――。


 ――その間にテルネリカは一礼した後、それでは、と。

 そう言い残して、踵を返す。走り出す。狭い物見塔の上。すぐに階段へとたどり着く。


 そして、中に消えてしまう。

 テルネリカが、見えなくなる。


 コノエはそれを引き留めたかった。でも出来なかった。

 混乱していた。先ほどのテルネリカは、まるで別れを告げるようで、でも、それは……。


「……明日も、あるだろうに」


 そうだ、コノエは明日の昼に契約を終えて都へ帰る。

 でも、明日の朝はまだ街にいる。


 いつものように朝テルネリカが来てくれたら、また会えるはずなのに。

 そう思って――。


 ◆


「……」


 ――翌朝。

 テルネリカは、コノエの部屋を訪れなかった。


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