第21話 わからない
「コノエ様、こちらが今日のお茶と軽食になります」
「……ああ」
翌日、朝早くからテルネリカは街へと出かけていく。
コノエに食事と飲み物が入ったバスケットを渡して、一度頭を下げた後、扉へ手を掛ける。そしてコノエに背を向けて、テルネリカは部屋の外へと……。
「――」
……それにコノエは思わず声をかけそうになって。
しかし、口を
「――?」
テルネリカに何を言おうとしたのか。自分でもそれが分からなかった。怪我をしないようにと心配しようとしたのか、それとも応援しようとしたのか。
コノエには、分からない。
昨日から胸の中がざわざわとしていた。よく分からない感情があった。
「……」
コノエは首を傾げる。
己と向き合って、でも答えは出ない。
「……分からない」
頭を掻きながら、コノエは小さくため息を吐く。
こういう時は気分転換をしたいなと思って、何かないかと探す。
すると机の上に、一冊のカタログがあった。
教官が送ってきた、屋敷のカタログだ。
コノエにとってそれは近いうちに作るハーレムの屋敷を選ぶためのもので、二十五年もかけて努力してきた成果とも言える。
屋敷を買って、奴隷を買って、惚れ薬を飲ませる。その第一歩だった。
「……家を」
コノエはカタログを開く。
そこには様々な屋敷が記載されている。
広い屋敷に便利な屋敷、自由度の高い屋敷。
見取り図と、売り文句。こんなところが魅力的だとか、ここにこだわって作られたとか。そんなことが書いてある。
でも異世界の基準で書かれた見取り図は特有の専門用語が多くて、地球出身のコノエには読み辛くて。
それなのに、今のコノエは何とか読める。それはあの日、ほんの数日前、テルネリカと二人でこのカタログを見て、色々と教わったからで――。
『――コノエ様は、どんな屋敷が好きですか?』
「……」
コノエは、パラパラとカタログをめくる。
そこにある屋敷を見て、ハーレムのことも考えて……。
「……」
でも、ほんの数分でコノエはカタログを閉じる。
全然楽しくない。見るのが
夢は、もうすぐそこなのに。
努力が報われる日がついに来たというのに。
……コノエには、分からなかった。
分からないまま。真面目に仕事をこなした。
◆
――さらに翌日。
なんだかやる気が出ないなと思い、しかしサボるという発想はコノエにはない。その日も物見塔へと上る。森に向かってナイフや槍を投げて、魔物を撃退し続ける。そして時折、畑に集まった人々の中に金髪の少女を探し――。
「…………………………」
――日が沈むころに部屋に戻って、今日も見つかりませんでした、と疲れた様子のテルネリカから報告を受ける。種はほぼ見つからず、ようやく見つかった種も瘴気にやられて全て腐っていたと。成果は全くなかったと。明日も朝から作業があると。
種の捜索は未だ難航中で――しかしこの日は良い話もあった。
「……結界塔が?」
「はい、修復が完了したようです! 結界も近いうちには!」
それは、塔の工事がついに終わったという知らせだった。
特にトラブルもなく、試運転も成功したと。
結界の展開には神の力を充填する必要があるので、今すぐに、とはいかないけれど、それでも二日以内には結界は元通りになる。そうテルネリカは嬉しそうに言った。
「……」
コノエは、そんなニュースに自らの契約を思い出す。
三十日の契約。そして、今は二十八日目の終わりだった。残りは二日。
「……間に合ったか」
「はい! これでコノエ様にご迷惑をかけることはなくなりました!」
「……」
……迷惑。テルネリカの言うそれは、要するに結界が展開できなかったらコノエがこの街の滞在を延長する必要があったということだ。
当然だ。結界もないのにコノエが街から離れたら、最上級の魔物が一匹でも現れれば街は壊滅してしまう。
でも、今日その心配はもうなくなった。
結界は無事に目途が立ち、コノエは三十日で仕事を終える。
そうなれば、後は都に帰るだけだ。
金貨を受け取って、薬でハーレムを作る。……夢は、叶う。
「………………………………」
「……? コノエ様……」
コノエがそう考えていると、テルネリカが目を見開き、何度か瞬きをする。
そして一歩二歩と近づいて来て。
「……君は、疲れているのだろう?」
「でも、それは……」
コノエは、そんなテルネリカを止める。動きに重い疲れが見て取れた。
だから、『でも、しかし』と言い募るテルネリカを遮り、無理やり隣の部屋まで送り、休ませる。
その後、コノエはベッドに入り、目を瞑った。
「……」
……今日、胸のモヤモヤは一日中取れなかった。
◆
――夜が明ける。コノエが帰るまであと二日。
その日は朝から街中に活気が溢れていた。結界塔の修復が終わったという情報が出回ったからだ。
街の住民は胸を撫でおろし、早朝から軽い祭りのような騒ぎになる。それはやはり、人の住む場所に結界が無いということが、この世界の住人にとっていかに異常なことかを物語っていた。
いくらアデプトがいても、騎士団が哨戒していても。それでは足りない。
この世界の人々は生まれたときから結界に守られて生きている。神の加護に、邪悪を弾く都市結界に守られて育ち、そして死んでいく。
――この世界の人は、常に神の力を感じて生きている。
地球ではない異世界において、神という存在がいかに大きいものか。歓喜に沸く住民たちの笑顔にも、その事実は表れていた。
「………………」
そして、そんな日もコノエは街から離れた場所で、今日も一人魔物を狩っていた。
ただただ真面目に仕事を
結界に目途が立ち、不安の消えた今、街は聖花の種探し一色に染まっていた。
朝に騒いだ後はその熱量を捜索に回し、全ての人がそれぞれの仕事をしつつ、暇を見つけては畑に繰り出していた。全員で一センチにも満たない小さな種を探していた。
「……」
コノエはそんな人々の中に、金色の姿を見ていた
テルネリカ。この街の領主の娘。彼女はときに指揮をし、ときに農機具を持って作業に参加していた。
体格は周囲の大人たちの中で一際小さく、しかし一際活躍している。
森の神の加護があるからだ。身体強化魔法を駆使できる彼女は大の男が数人がかりで持ち上げるものを一人で持ち上げる。
テルネリカは人々の中心にいる。
人を率いて、どんどん前へ進んでいく。
彼女は、捜索において間違いなく必要な人材だった。
彼女がいる場所は明らかに効率が違う。熱意が違う。だから、その場所に居るのが当然で、一番正しくて。
皆が一丸になって取り組む姿は、コノエにとっても眩しいもので……。
「……」
……でも、ほんの少しだけ、休憩で飲むお茶が味気ない気がして。
◆
そして次の日がやってくる。
コノエが帰るまであと一日。
その日も、テルネリカは朝コノエの部屋に訪れた後、街へ降りた。
コノエの元にはいつものお茶と軽食が入ったバスケットがあった。
コノエは、物見塔に上って街を見る。
そこにはここ数日と変わらない、テルネリカと街の人々の姿があった。
彼らはどんなに少ない可能性でも諦めなかった。
徒労感はあっただろう。何度も無駄ではないかと思っただろう。
でも自分に出来ることを一つ一つした。
決して、歩みを止めなかった。
――だからこれは、奇跡ではなく、単なる努力の結果なのかもしれない。
「……あった」
それは日が落ちかけた夕暮れ時。
街の片隅、個人用のほんの小さな畑があった場所。
そこから、一人の男の震える声が街に響いた。
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