第5話 成し遂げた日


「コノエ君、おめでとう」

「……ありがとう、ございます」


 そのとき、コノエの胸中に喜びはあまりなかった。

 脱力感と、これは現実なのだろうかという疑念があった。


 ――二十五年。日本にいたころも含めて、大体人生の半分くらい

 才能ある加護持ちは最短十年くらいでアデプトになるため、コノエは最長の部類だ。


 長い、長い日々。同じ時期に学舎に入ったものはもう誰もいない。

 確か百人くらいがいて、十五年前と十年前くらいに一人ずつアデプトになった。そしてそれ以外はみんな諦めた。


「これが、アデプトの証のコート。でも、知っての通り着用義務はないから。着てもいいし、捨ててもいい。好きにして」

「……はい」


 教官から真っ白なコートを手渡される。

 二十五年前、コノエを学舎に誘った教官。当時と同じように向き合って立っていて、でもこのコートはあのときになかった。


 そう思うと、少しだけ実感がわいてくる。

 あまり着用している者はいないと聞くアデプトのコート。しかし、それは確かにアデプトの象徴だった。


「……」


 これまでの日々を思い出す。どうしてここまで頑張れたのだろうと思って、浮かんでくるのは神様のことだった。諦めそうになるたびに、お茶を淹れてくれた。認めてくれた。何年も何年も、ずっと見ていてくれた。


 ――先日のコノエの最終試験。そのとき神様は離れたところからコノエを見ていた。

 試験に挑むコノエを見守って、そして、決まったとき、大きく拍手してくれた。少し涙目になっていた。伝わってきた。コノエもそれに泣きそうになった。……言葉はなくても、おめでとうと祝ってくれていた。


 ……コノエは感謝している。

 神様の優しさに。コノエにすら手を差し伸べてくれた、その慈悲に。


「……」


 手元のアデプトのコートを見る。そこには神様を表す白翼十字の紋章が刻まれている。

 だから、コノエはそのコートに袖を通して、首元から腰まである固定具をすべて閉じた。


「君は、着るんだね。うん、それもまた自由だよ。アデプトは神から与えられた使命に背かない限り、人よりはるかに多くの自由が許されている。そして、コノエ君、君は本日より九千百二十人目のアデプトになった」

「……はい」

「君はこれから、何をしてもいい。その身に着けた生命魔法で病から人を救ってもいい。冒険者になってダンジョンへ挑んでもいい。邪神との戦に出て武功を建て、貴族になってもいい。かつて言っていたように、ハーレムを作ってもいい」

「……はい」

「……まあ、そうは言っても、普通は実家の貴族家や信仰上のしがらみなどでなかなか好きには生きられないんだけどね。でも、異世界人の君にはそれはない。……もしかしたら君はこの世界で最も自由なアデプトなのかもしれないね」


 あはは、と教官が笑う。そして、少し羨ましそうにコノエを見る。

 コノエは、そんな教官に何と返せばいいか分からず、口を噤む。


「……ふふ、ごめんね。余計なことを言ったよ。じゃあ、そろそろ終わりにしようか。最後に君にこれを」

「……? これは?」

「それは相場表だよ。アデプトに仕事を頼むときの基本的な料金表と言ってもいいかもしれない」


 コノエは渡された紙を見る。そこには『死病の治癒:半金貨一枚』とか書かれている。他には『護衛(三十日):金貨二千枚』や『瘴気汚染の街駐在(三十日):金貨千枚』などとも。


 あまりコノエは金銭的な相場には詳しくない。この世界に来てからほとんどの時間を訓練に費やしていたからだ。しかし、金貨一枚があればみやこの市民一家族が一月は暮らしていけるとは聞いていた。


 ……なるほど。これは確かに稼げる。

 奴隷ハーレムだって簡単に作れるだろう。 


「ああ、念のためもう一度言っておくけど、君は自由だ。だから、その相場に従う必要はない。無料で治療をしても良いし、相場の十倍の額を要求してもいい。それが、アデプトだ」

「……はい」

「ただ、まあ……いや、止めておこうかな。ここから先は君が自分の目で見て決めると良いよ」

「……? はい」

 

 教官が含みのある表情をして……コノエはなんなのかと訝しげに見る。

 しかし教官は、そんなコノエを他所に一つの門の方へ視線を向ける。そこにあるのは学舎の正門にあたる大扉だ。人の何倍も大きくて、普段は閉じられている。しかし、アデプトが新しく生まれた時だけ開かれる。そんな扉。


「さあ、行きなさい。好きに生きて、欲望を満たせばいい。君は成し遂げた。だから、君に課せられた使命は一つだけだ」

「――邪神と、その尖兵と戦うこと。邪悪より無辜なる民を守ること。ただそれだけが、アデプトに課せられた義務なのだから」


 ◆


 門へ歩く途中、コノエは考える。

 ついに目的を果たす時が来たのだと。


 奴隷ハーレムを作る。そして惚れ薬を飲ませる。そうすればあとはやりたい放題だ。

 美少女も美女も好きに侍らせて、エロいことだろうが何だろうが自由。


 それなりに働いて、それなりに金を稼げばすぐに叶う

 先ほどの相場では死病を治癒するだけで半金貨一枚だ。ダンジョンから溢れる死病を治癒できるのはアデプトのみであるとはいえ、法外な金額だと言えるだろう。ある程度働けば屋敷に奴隷を数人買ってもおつりが返ってくるはずだ。


 ――つまり、コノエの目標はもう達成したも同然だった。

 かつて夢見た理想。今度こそ、コノエは一人ではなく、誰かと。


「……」

「アデプト様、外に出られますか?」

「……ん、ああ、お願いします」


 そんなことを考えていると、もう門の目の前まで来ていた。

 両脇にいた門番に頷くと、設置された鎖が動き始める。高さ十メートル以上の巨大な扉が轟音と共に左右に開き始めた。


「……」


 その動きはゆっくりとしていて、開ききるまでに時間がかかりそうだった。

 だから、コノエは門から視線を切って、なんとなく振り返る


 そこには半生を過ごした学舎があった。訓練場があって、寮があって、食堂がった。

 そして、その最上階には――。


「――あ」


 コノエは、そこで気付く。最上階の一室。その窓に神様が見える。数キロは先の小さな窓。しかし生命魔法で強化された視力ならそれが見える。神様は窓の近くで何か作業をしていて。


 ――ふと、コノエと目があった。


 神様はあら、という感じで目を見開く。

 そして、コノエに笑いかけた。優しい笑顔で、小さく手も振ってくれる。


 ……それはコノエに行ってらっしゃいと言っているような雰囲気で。


 コノエも、そんな神様に笑みが漏れる。

 思わず手を振り返して、コノエはそんな自分に少し恥ずかしくなる。


「……行ってきます」


 小さく呟いて、コノエは前を向く。

 ゆるんだ頬を自覚して、口元を隠すように手で抑えて。


 ……そして、少し。

 ……神様あのかたが、コノエの薬物奴隷よくハーレムぼうを知ったらどんな顔をするんだろう、と思って


「……」


 ……頭を振る。考えないことにする。

 今更だった。二十五年経った今、引くことなんて出来るはずがない。


「――」


 と、轟音が辺りに響く。扉が開ききった音だ。

 コノエは一歩足を踏み出す。二歩三歩と歩いて、門へと向かう。


 門の先には大きな街が見える。都の風景だ。

 所狭しと建てられた店舗や家屋に、通りを歩く多くの人達。そんな街でこれから自分は楽しく生きていくのだと、コノエは――。


「――うん?」


 分厚い門の下を通る途中、あれ、とコノエは思う。気づく。なんだか様子がおかしいような。

 コノエは知っている。アデプトの学舎は都でも一際高いところに建てられていて、門の向こうは巨大な下りの階段になっている。


 最初に登った時はげんなりした階段。そこに……


(……人の気配? それも一人や二人じゃない)


 十や二十でもない。もっと多くの人がいる。

 町の中だから気付くのが遅れた。


(……なんだ? 祭り? 階段で?)


 コノエは、そんなことを考えながら、分厚い門を潜り切る。

 そして階段の頂上から下を見て。


「……は?」


 そこには、人がいた。巨大な階段から溢れるくらいの人がいた。

 そして、その全てがコノエを見ていた。目を、大きく大きく見開いてこちらを見ていた。


 ――声が、聞こえてくる。


「アデプト様だ」「新しいアデプト様だ」「助けて」「アデプト様」「助けて」「どうか」「アデプト様」「おおなんと」「故郷が」「家が」「助けて」「アデプト様」「白翼十字だ」「アデプト様助けて」「死病が」「アデプト様」「どうかどうか」「アデプト様」「お救いください」「アデプト様。アデプト様。アデプト様。アデプト様。アデプト様。アデプト様。アデプト様。アデプト様。アデプト様。お救いください。アデプト様。アデプト様。アデプト様。どうか。アデプト様。アデプト様。アデプト様。アデプト様。どうか、どうか、どうか――」


「「「「「――アデプト様、どうか、我らをお救いください」」」」」


 ――そこには、救いを求める人々がいた。



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