2章

第6話 死病


「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」「アデプト様」


 救いを求める声が迫ってくる。

 コノエはそれに気圧されて一歩下がる。なんだこれと思う。頬が引きつるのを感じる。彼らに脅威は感じないものの、しかし困惑している。


 彼らは階段を上ってくる。段々と近づいてくる。コノエは逆に一歩二歩と下がる。

 ……いや、本当にどうしようか、これ。


 困ったコノエが引きつった頬を掻いて……そんなとき。


「……?」


 ふと、コノエは気付く。見慣れた色が見えたからだ。

 それは赤い色だ。血の色。そしてその色に染まった、小さな人影――子供が人々の波に飲まれたのをコノエは見た。


「……少し、そこを退けてくれ」


 コノエは咄嗟に動き出す。血が見えた場所を目指す。

 人の波を注意しながらかき分けて。


「――ぅ、ぁ……ごほっ」


 すると、そこにはうめき声をあげる一人の少女がいる。金色の髪と、とがった耳が見えた。エルフの少女だ。その子は階段の途中に蹲って血を吐いている。どれほど吐いたのか服と階段の広範囲が血の色に染まっていた。


 コノエはひとまずその子を抱えて、人の輪の中から連れ出して……。


「……これは、酷いな」

「……ぁ……ぅ」


 コノエは腕の中を見る。そして少し息を飲む。

 なぜって、その少女は――


「……死病か」


 ――全身が腐りかけていた。


 末期の死病。手足は赤黒く染まり、ただれ、力が入らないのかだらりと垂れ下がっている。目は焦点が合っておらず、おそらくほとんど見えていない。

 口から吐き出した血は肺がただれているからだ。内部に血が溜まって、それを何とか吐き出している。でもまたすぐに血が溜まって、とそれを繰り返している。


 まさしく、死の一歩手前。

 あと数秒後には息を引き取っていてもおかしくない。そんな状況。


 この状況で、どうしてベッドではなくこんな場所にと思って――考えるまでもないことだった。

 治療を求めて来たのだろう。……アデプトなら、死病を治せるから。


「……ぅ……ぁ……ぁ?」


 呻き声をあげるエルフの少女。見た目的には十代前半か半ばと言うところだ。

 長命種とは言え、おそらくはまだ子供。


(………………しかし、死病か)


 コノエはそんな少女の姿に、一瞬、先ほど渡された相場表が頭をよぎり――慌てて頭を振る。流石にこの状況で治療する以外の選択肢はない。


 だって咄嗟とはいえ、コノエはもうこの子を腕に抱き上げた。それなのに、治療もせずにそこら辺に放り投げるのは人として駄目だと思う。見捨てるのなら、最初から抱き上げるべきじゃなかった。


(……この場での治療は……無理か。一度戻ろう)

 

 なので、コノエは――周囲の人々はそれどころではないので無視しつつ――踵を返す。

 そして階段を上りながら少女に治癒魔法をかけた。


 それに死病を完治させるほどの力はない。ここまで進行した死病はそんなに簡単に治せるものではない。もう少し落ち着いた場所での治療が必要だ。でも、何もせずに運んだらその間に死んでしまいそうだったから。


「…………ぁ……ぅ? ……ぁでぷと、さま?」

「ああ」


 治癒した結果か、少女が掠れた、しかし意味のある声を出す。

 コノエは返事をしながら門を潜る。振動を少女に伝えないように気を付けながら、しかし小走りで。するとその途中、両脇に立つ門番の一人と目が合った。


 ……彼は何も言っていない。でも、コノエは彼に『お早いお帰りで』なんて言われている気分になる。というか、本当にそうだ。教官とか神様に送り出されたばかりなのに、それをこんなにすぐ戻ってくるとか格好がつかない気がする。


 ……まあ教官はともかく、神様は良く帰ってきたねという雰囲気で笑ってくれそうだけど。


「……ぁの、ぁでぷと、さま、どう、か」

「……ああ、君のことは治す。心配しなくていい」


 コノエは門番の視線から逃げるように、足早に門と前庭を通り抜ける。

 そして学舎の治療室、今の時間はどこが空いてただろうか、と――


「――ぁ……アデ、プト様!」

「……?」


 ――そのときだった。コノエの腕が突然掴まれた。

 驚いて腕の中を見ると、強い意志が宿る目とコノエの目が合う。


 先ほどまで身動き一つできなかった少女だった。死病に侵され、死にかけた少女。

 顔は死病で赤黒く染まり、口角から血を溢れさせ……しかし彼女は大きく目を開いてコノエを見ていた。


「アデプト様……どうか街を。……ごほっ、私の街を」

「……?」


 ……街? 自分ではなくて? コノエは疑問に思う。

 首を傾げ、そんなコノエに少女は必死に言葉を紡いだ。


「……どう、か。どうか。私の街を……ごほっ……アデプト様の……がなければ、我らの……」


 血を吐きながら少女がコノエに嘆願する。

 必死に。叫ぶように。そしてその叫びに合わせてゴボゴボと吐く血の量も増えていって――コノエは慌てる。


「……落ち着きなさい」

「いいえ、いいえ! ……ごほっ、ごほっ」


 コノエは少女を落ち着かせようとし――しかし、少女は叫ぶのを止めない。

 そして、そうしている間も少女の体は壊れていっていた。


 彼女の体は治っていない。重症のままだ。コノエの治癒魔法で少し持ち直したとはいえ、一歩間違えばすぐにでも死んでしまうだろう。

 それなのに、少女はそんなの知ったことかと血を吐きながらコノエに叫んでいる。


「どう……して、どうして、落ち着いていられるでしょう!……ごほっ、このままでは……どうか! アデプト様!」

「……落ち着かないと、悪化する」

「……私の体など……っごほ……それよりどうか、どうか!」


 少女がコノエの腕の中で暴れる。

 コノエは少女が落ちないよう体を抑え込み……困惑する。


 なぜこの少女は叫び続けるのか。そんなことが出来るのか。

 コノエは少女をまじまじと見る。叫ぶ内容よりも少女自身が気になった。


 ――だって、この少女が今この瞬間も感じているのは地獄にも等しい苦しみのはずだ。


 それをコノエは知っている。死病の末期。全身と……魂の腐敗。

 大の男でも発狂する苦痛。コノエも過去の訓練で心が壊れてしまった患者を何人も見てきた。


 コノエは死病を知るがゆえに困惑する。

 少なくともコノエがこれまで見てきた末期の患者は、皆あまりの苦痛に身動き一つできない状態になっていた。


「なんでも、なんでもします……だからどうか、どうかぁ……」

「……」


 少女はポロポロと涙をこぼす。必死にコノエに縋っている。

 コノエは、そんな少女に――。


「――おや、帰ってきたんだ」

「……教官」


 そんなとき、教官が学舎の入り口から現れる。

 そして、ちらりとコノエの腕の中の少女を見た。


「治療室なら一部屋空けてる。好きに使うといいよ」

「……ありがとうございます」


 教官はコノエに鍵を差し出す。コノエは礼を言いつつ、それを受け取って。


 ――うん? 空けている?

 教官の言葉に違和感を覚える。空いているじゃなくて、空けている?


 コノエはどういうことかと教官を見る。

 すると、教官はそんな視線に苦笑を返した。


「なに、いつものことだからね」

「……?」

「あのお出迎えは、アデプトなら誰もが経験するものだよ。就任したての新人のアデプト。それならもしかしたらと、救いを求めて多くの民が詰めかけてくる」


 あそこにいたのはね、金がない者達だよ。と教官は言う。

 相場の金額が払えない者達。それが最後の望みをかけて来ているのだと。


「もちろん、無視する者も多いけどね。中には情にほだされて最初だからと一人二人助ける新人もいる。だから、一部屋は空けておくようにしているんだ」

「……」

「……これが、この世界の現状だよ。アデプトがあまりにも足りていないんだ」


 ◆


 ――この世界では、時にダンジョンが氾濫はんらんする。

 氾濫は、ダンジョンに瘴気核と呼ばれる邪悪が誕生することで発生し、それを破壊するまでは終わらない。


 氾濫が始まったダンジョンの入り口からは瘴気と魔物が溢れてくる。

 そして、瘴気を吸った人は死病になる。死病とは、その名の通り治療しなければ必ず死ぬ病である。


 発症から死亡までの期間は、おおよそ三十日。

 末端から症状は始まり、段々と体が腐っていく。末期には魂すらも腐り、そのあまりにも強い苦痛に病で死ぬ前に自ら命を絶つものも多い。


 予防は薬で出来るが、完全ではない。薬を飲んでも瘴気に長時間晒されればいずれ発症する。

 そして一度発症してしまうと、治療法は二つしかない。高価な薬エリクサーか、アデプトの治癒だ。どちらも一から体を作り直せるほどの力を持つ方法。そうでなければ死病は治せない。


 ……死病とはそんな病だった。

 数千年前、邪神によりダンジョンが産み出されて以来、この世界の人々が戦い続けてきた病。しかし、どれだけ研究しても、通常の方法では克服の見通しは全く立っていない病だ。


 大本を断とうにもダンジョンは巨大すぎて攻略が出来ず、その対策の一つとして異世界から人を招き寄せて機械化を進めているのが現状だった。


 ――この世界で生きる者は皆、死病に怯えながら生きている。

 

 ダンジョンは、この世界の地下深くで広がっており、その入り口は世界中の至る所にある。そして一度氾濫が起こると、瘴気と魔物を撒き散らし周囲一帯を汚染する。予兆はなく、昨日まで平和に生きていた村が、今日は瘴気に侵され、魔物に蹂躙されるかもしれない。


 だから、アデプトは常に不足している。コノエは九千百二十番目のアデプトだが――それは、全世界・・・での話だ。この国なら、せいぜい数十人。

 もう一つの治療法であるエリクサーは材料の増産が叶わず、ほとんど流通していない。


 各国はアデプトを増やそうと努力しているものの、その成果はあまり上がっていない。

 そもそも、アデプトに挑めるだけの強力な加護を手に入れるのが難しい上に、その少ない挑戦者のうち九割は一年と経たないうちに心が折れるからだ。そのあまりに苛烈な訓練に耐えるのには才能とは違う、折れぬ何か・・が必要だった。


 強制されたものが乗り越えられる試練ではない。それ故に、アデプトには莫大な報酬と特権が約束されている。

 義務は少なく、自由で、誰もが羨み、進んで試練に挑みたくなるようになっている。


 ――コノエの薬物奴隷ハーレムなどという欲が笑って許されるのも、それが理由であった。


 ◆


 コノエは教官を見る。二十五年前のあの日、世のためにコノエを誘うのだと言って、学舎に連れてきた人。

 あの日の言葉の意味をコノエは改めて実感して。


「……とりあえず、治療室を借ります」

「うん、好きに使って」


 しかし、それよりも今は先にするべきことがあった。腕の中の死に掛けた少女。どう考えても優先するべきはこちらだ。

 コノエは教官から鍵を受け取り、部屋へ少女を連れて行こうとして――


「――アデプト様!」


 教官が現れると同時に静かになっていた少女が、また腕の中で暴れ始める。

 それをコノエは両腕で抑えて。


「暴れると、悪化すると」

「私の体など、……どうでも、いい!」


 血に染まりながら、少女は至近距離でコノエに叫ぶ。

 無事な所なんてないような、そんなボロボロの体で、必死に。


 ……というか、体なんかどうでもいいって。

 軽口ならともかく、全身が腐っている人間がどうしてそう言える?


「……君は」

「時間が、ないのです! 我らの街が、……ごほっ、滅びかけているのです!」


 少女は叫ぶ。ぜえぜえと一呼吸するのも苦しそうにしながら。

 コノエはそんな彼女の背中に急ぎ治癒魔法を当てて――。


 ――しかし、街が滅ぶ、時間がない?


 あまりに穏やかじゃない言葉だった。先に治療をと思っていたけれど、これは話を優先した方がいいかとコノエは思う。


「街? ……どこの街だ」

「シルメニアです! ……キルレアンの麓、ミネアの連なり、シルメニアの街に、ございます!」


 問いかける。それに少女は叫んで返し――コノエは、一つ情報を思い出した。

 キルレアン、その場所については聞き覚えがあった。


「……先日の大規模な迷宮氾濫か」


 コノエは遠方の辺境伯領で氾濫が複数個所で同時に発生したと聞いていた。

 あまりに大規模で瘴気が広範囲に広がったため、アデプトが全く足りていないと。だから、普段学舎にいるアデプトにも募集が掛けられていたし――教官のような、特殊な役目に就いている例外を除いて全員がそちらに向かっていった。


 ……しかし、コノエはそのとき、まだ最終候補生でしかなかったので、詳しい話は聞いていなかった。


「……街が滅ぶような状況だったのか」

「その通り、です。……我らは、見捨てられました」


 ――つまりは、先ほど教官が話していた内容と同じだ。

 この世界の広さに対して、アデプトの数はあまりにも少ない。少女の街には、アデプトは派遣されなかった。


 少女は語る。街――シルメニアは十五日前に瘴気に飲まれ、予防薬を用いたものの、今や五千人の住民の全てが死病に侵され苦しんでいると。そして魔物にも囲まれていて、結界はいつ破られるか分からないと。


 だから、一刻の猶予もないのです、と少女は叫ぶ。

 血を吐きながら。腐った皮膚が破けて、そこから血を流しながら。死の間際に立って、しかしコノエをしっかりと見据えていた。


 コノエはそんな少女の壮絶な姿に息を飲む。


「アデプト様、どうか我らの街を……っ! ……っ、今この時も、民が苦しみ続けているのです!」

「――」

「どうか、どうか。叶えて頂けるのなら、この身、御許に咲く聖花はなの様に……っ……ぁ、ごぼっ」


 ……しかし、そこで少女は塊のような血を吐く。

 言葉が途切れる。手から力が抜ける。体から生命力がどんどん抜けていき――。


「ぁで、ぷと、さま」

「……君、は」


 ――それでも、少女の目に宿る力は消えなかった。

 ただただコノエの目を見て、決して逸らさなかった。


 ……そんな少女に、コノエは。


「……わかった、引き受ける」


 治癒魔法の出力を高めながら、頷く。

 そして、だから無理をするのを止めてくれ、と。


 少女の気迫に、気付いたらそう言っていた。




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