第4話 神様


 教官の部屋へと続く大きな廊下。その片隅の柱から、コノエを見ている影がある。

 静まり返った深夜の空気の中。壁のランプだけが照らす薄暗い場所でも輝く、真っ白な人影。


 ――神様だ。

 生命魔法の神様の分体。作り物のように美しい少女がこちらをじっと見ていた。


「……」


 ……コノエは、なぜだかそんな神様の顔が少し悲しげに見えて。

 コノエは、どうして神様はそんな目で僕を見るのだろうと思う。


 もしかして僕が辞めようとしているのが分かったのだろうかと思って、いやいや、神様は僕ごときが辞めても悲しい顔はしないだろうとも思う。


 よく分からなくて、でも自らを見ている神様から目を逸らすことも出来ない。だから、そのまましばらくの間コノエと神様は見つめ合った。


「……」


 しばらくして、神様がこちらに手招きをする。こっちに来てと言わんばかりに。

 神様はコノエに向かって、そんな仕草をする。


「……?」


 それに、コノエは振り向いて自らの背後を見る。もしかしたら、後ろにコノエではない誰かがいるのかと思った。コミュ症の性だ。でも誰もいなくて、また正面を見ると、神様は少し不思議そうな顔をしつつ、まだ手招きしていた。


 コノエは自分の顔を指さす。すると神様はすぐに頷いた。


「……」


 コノエが神様に一歩近づくと、神様も歩き出す、その先には部屋が一つあった。

 コノエはそれに付いていく。頭の中には疑問符が浮いていて、緊張していた。しかし神様に手招きされて逃げ出せるほど図太くはなかった。


 ――入った部屋には、机と椅子二つだけが置かれていた。

 机の上にはティーセットが置かれていて、お茶菓子も用意してあった。


 神様が椅子の片方に座る。そして、もう片方を手の動きでコノエに勧めた。

 コノエは、恐る恐る席を引いて、座って。そんなコノエを横目に、神様はティーセットに手を伸ばす。


「…………」

「…………」


 神様がお茶をカップに注ぐ。その音だけが部屋に響いている。

 そして、お茶は二つのカップに注がれて、その片方がコノエの前に置かれる。


 神様は、コノエにどうぞとジェスチャーをする。

 言葉にはしない。この方は祝福などといった特別な時を除いて決して口を開かない。それはコノエも知っていた。


 ――なぜなら、この世界において神の言葉は絶対だからだ。


 この世界の人間は、神に逆らってはならない。加護が失われるからだ。だから、神の言葉は人にとって命令に他ならず、それ故に神様は言葉を口にしない。

 自らの何気ない言葉が人を苦しめることがあると、この方は知っているからだ。


「……」


 今、コノエの目の前には命令ではなく、神様に良かったらどうぞと勧められたお茶とお菓子がある。

 

「……」


 カップに手を伸ばす。そして、一口すする。

 口に含むと良い香りが鼻を抜けていって、ちょうどいい温度のお茶がするりとお腹の中に落ちていった。

 

「……おいしい」


 思わず呟く。ほう、と息を吐く。緊張していた肩から少し力が抜けた気がした。

 ……そして、また少し沈黙の時間があって。

 

 ふと、神様がコノエに向かって微笑み、首を傾げる。

 それにコノエは、何故だか分からないけれど――


【――訓練は、辛い?】


 言葉はなくても、神様にそう問いかけられた気がした。

 それに、コノエはようやく現実を認める。神様が今回コノエを誘った理由。この方はコノエが訓練から逃げようとしているのを知って、それで声をかけてくれたのだと。


 そんな神様に、コノエはどう言葉を返そうか悩んで。


「……そうですね、辛いです」


 するりと、誤魔化しのない本音が漏れる。それはお茶で口が緩くなっていたからか、それとも神様の微笑みがどこまでも優しかったからか。


 すると、神様からそっか、という意思が伝わってきて。


【大変だったもんね。ここに来て一年間と少し、よく頑張ったね】

「……ありがとう、ございます」


 神様からねぎらいの雰囲気が伝わってきて、驚きつつ礼を返しつつ。なぜ驚いたのかって、神様、天上のお方がコノエがここに居る期間を知っていたからだ。まさか神様がコノエみたいな見習いのことを知っているとは思わなかった。


 いやまあ、こうしてわざわざ声をかけてくれるくらいだから、そういうものなのかもしれないけれど、でも神様が自分なんかのことをと、コノエは思う。

 

【でも、もう限界?】

「……はい」

【――うん、そうだね。すごく頑張ってたもんね】


 神様から、寂しそうな雰囲気が伝わってくる。

 残念だと、本気でそう思っているのが伝わってくる。


「……っ」


 コノエは思わず、そんな神様に情けないことを言う自分を恥じる。弱音が恥ずかしくて、そして思わず、やっぱり辞めないと言いそうになって――。


「……」


 ――でももう本当に限界だった。


 だって、もう分かってしまった。

 この一年、アデプトの訓練はまだまだ序盤で、でも先がなんとなくわかるくらいには努力してきた。


 ――コノエに、生命魔法の才能はない。


 本当に、これっぽちもない。アデプトを目指し、才溢れるものが集う学舎。その中で、コノエはきっと一番才能が無い。得意な分野でようやく人並み程度。苦手な分野は人の倍は時間がかかる。そんな有様だ。


 この一年、後から入ってきたアデプト候補たちにどんどん追い抜かれていった。その度に、コノエは先に行く彼らを見送っていた。

 己の才のなさを痛感した。コノエなりに努力はしたけれど、それでは足りなかった。どこまでも凡人だった。そして、そんな自分がアデプトになるまで一体何年かかるのかと途方に暮れた。


 ……だからもう、コノエは限界だった。

 薬物ハーレムなんて、ろくでもない夢は諦めて凡人は凡人らしく生きるべきだと思った。


「……申し訳、ありません。僕では、無理でした」

【……そっか】

「努力が足りないのは分かっています。でもこれ以上は」

【え?】


 と、そこで神様から驚いたような雰囲気が伝わってくる。

 見ると、大きな目をさらに見開いてパチパチと瞬きしている。


【努力が足りない?】

「……? はい」

【……それは、絶対に違うよ】


「……え?」


【見てたよ。君が頑張っているのを。毎日、ずっと遅くまで槍を振っていたよね】

【休日も遊び行ったりせずに勉強してたよね。知ってるよ】


 ーー見ていた。神様が?


 神様が言っていることが事実かと言われれば、事実だった。

 コノエは確かに毎日訓練が終わった後も遅くまで訓練場にいた。休日も遊びには行かなかった。


 ……でもそれらはコノエにとってはある種の逃避だった。

 だって、コミュ症だから。寮の部屋に戻ってもコノエの居場所が無かった。


 休日に連れ立って遊びに行く皆に混じることなんて、できるはずもなかった。だから、訓練や勉強は人から逃げる言い訳だった。


 いつものように。これまで繰り返してきたように。

 孤独を、努力で紛らわせていた。そうやって生きてきたから。


 でも神様は、そんなコノエに。


【諦めるのは、仕方ないよ。でも、自分の努力を否定しちゃダメ】

「……」

【頑張った自分を、認めて、褒めてあげて?】


 神様はコノエを真っ直ぐと見つめて微笑みかける。

 よく頑張ったねと。すごいよと。コノエを褒めてくれる。言葉はなくて、雰囲気だけが伝わってくる。


 ――そこに嘘はなくて、本心から神様はコノエのことを認めてくれているのだと。

 それが心に伝わってくる。笑顔は本物で、疑うことが出来ないほど真っ直ぐと気持ちが伝わってきて。


「……はい」


 そんな神様に、コノエは、なんだか泣きそうになる。

 神様の笑顔に、どういう訳だか胸のどこかが満たされた気がする。コノエの中にあった知らない欠落が、ほんの少しだけ満たされた気がした。


「……」


 ……だから。だから不思議だけど。

 ……コノエはもう少し頑張ってみようと、そう思えたんだ。


 ◆


 ――その日。コノエは教官の部屋には行かなかった。

 神様と別れた後、寮の部屋に戻って、また朝から努力して――


 ◆


 ――翌年、コノエはまた心が折れた。

 いや、やっぱ無理でしょこれ。


 ◆


 そんなことを一年に一度くらいの頻度で何度も繰り返した。

 心が折れて、その度に神様が現れて、また立ち上がった。


 何年も、何年も。訓練を重ねて、血を吐いた。

 終わりは遥かに遠く、いくら努力しても前に進んでいるのかもわからない状態で、それでも歩き続けた。


 走って、泣いて、血を吐いて。

 死にかけて、生き返って、また死にかけて。


 魔物と戦って、何度も負けて。

 ようやく勝って、でも次はもっと強い魔物が待っていた。


 いつまで経っても才能なんてものは芽生えなくて、何年もあとに入った後輩に何百人も抜かれて。そして、諦めて辞めていく人間を学舎から何千人も見送った。


 必死に戦って、足掻いて。

 学んで、学びきれなくて、何度も同じことを繰り返して。


 今度こそはと、夢を見た。

 かつて見た夢。惚れ薬奴隷ハーレムを追い求めた。


 人に言ったら、アデプトになるより人と話す練習でもしたらと馬鹿にされそうな夢。でもそれが出来ないから、コノエはずっと足掻き続けた。


 下らなくても、みっともなくても。

 今度こそと、ただコノエはそれだけを想って――。


 ◆


「――おめでとう、コノエ君。君は確かに成し遂げた」


 その日、コノエはアデプトになった。

 学舎の門を叩いた日から、二十五年が経っていた。


 


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