第6章 エゼリィの招待状【1】

「ラゼル様。今日からしばらく、エゼリィと一緒に仕事をしていただけますか?」

 ある日、クラリスが申し訳なさそうに言った。エゼリィはアラベルとともに仕事をしており、僕はふたりとは違う作業をしている。クラリスは別の仕事を任されたようだ。それについて申し訳なく思う必要はないのだが。

「いいよ。エゼリィが構わないなら」

「ありがとうございます。エゼリィには話を通してありますので、よろしくお願いします」

「わかった」

 エゼリィはいまだ僕に警戒している様子だ。上手くやっていけるかはわからないが、良い関係を構築するいい機会かもしれない。アラベルはエゼリィに怯んではいないようだし、悪役令嬢といった雰囲気ではあるが悪い人ではないだろう。


 翌日からさっそくエゼリィとアラベルに合流した。エゼリィとアラベルは春の学園祭についての仕事をしているらしい。僕のクラスがどんな出し物をするかは知らないけど、個人的にはとても楽しみだ。

「ふたりとも、よろしく」

「うん。一緒に頑張ろうね」

 アラベルは嬉しそうに微笑んでいるが、エゼリィは警戒心を隠そうともしない目付きをしている。

「よろしくお願いしますわ。ラゼルさんは優秀でいらっしゃるようですし、働きぶりが楽しみですわ」

「頑張るよ」

 エゼリィはつっけんどんな態度だが、僕を嫌っている様子はない。ただ警戒して心を開いていないだけだ。何よりアラベルがよく懐いているようだし、彼には優しく接しているのだろう。僕はまだ試用期間中。レイデンの敵ではないと判断されるのを待とう。

「まずは何をしたらいいかな」

「じゃあ、学園祭の予算管理の書類の確認をしてもらっていいかな」

「金額と用途が釣り合うか計算してみてくださいませ」

「わかった」

 王立魔道学院には部活のような仕組みはないらしい。出し物はクラスによって分けられるようだ。出し物の内容としては、美術部のような芸術作品の展示、パン販売、お菓子販売、楽器の演奏、朗読会、演劇、等々。僕の前世の学校とそう大きく変わることはないようだ。パンやお菓子に関してはまったくの別物だろうけど。

 書類をひと通り確認した僕は、気になる点をエゼリィに訊いてみることにした。

「エゼリィ様――」

「エゼリィで構いませんわ」

 肩にかかるプラチナブロンドを払いながらエゼリィが言った。

「あなたに様付けされるのは、なんだか奇妙な気分になりますもの。あなたのほうが身分としても上なのですから」

「でも、僕は平民出身だよ。もとの身分は下も下だ」

「いまはキールストラ公爵家の一員ですもの」

 エゼリィはついとそっぽを向く。心を開くための第一歩はすでにつま先がかかっているようだ。

「わかった。エゼリィは礼儀を重んじるんだね」

「貴族には当然のことですわ。それで、何をお聞きになりたいんですの?」

 僕はエゼリィに書類の一箇所を指差して見せた。

「食べ物の出店は売り上げがあると見越して、少し初期投資の予算は少なめにしてもいいんじゃないかな」

「そうですわね……。パンやお菓子は材料費がさほどかからないでしょうから、申請より少なめにするのもひとつの案ですわね」

「材料費の内訳も申請してもらうといいかもしれないね」

 穏やかに言うアラベルに、僕とエゼリィは揃って頷く。金銭を取り扱う以上、細かい計算は必要だ。それを把握しておくのも生徒会の仕事だろう。

「リーネ、少しいいか?」

「はい、殿下」

 レイデンとリーネの声が聞こえると、エゼリィがちらりとそちらを見遣った。ふたりは書類の確認をしている。やはりエゼリィはリーネの存在が気になっているようだ。

 ジェマは、レイデンがエゼリィを裏切ることはないと断言していた。レイデンはリーネを気にかけているが、結ばれる可能性は低いと考えていてもいいのだろうか。



   *  *  *



 図書館に引き篭もって読書に耽り、気付いた頃にはすっかり日が暮れていた。アラベルは先に部屋に戻っていて、課題に取り組んでいることだろう。僕も本ばかり読んでいないで、座学の予習復習などもしないといけない。読書にかまけて勉強を怠れば、成績が下がるのはあっという間だろう。

 寮へ帰る道すがら、ウィロルとマチルダが歓談していた。先に僕に気付いたのはウィロルだった。

「やあ、ラゼル。また図書館にこもっていたのかい?」

「うん。つい夢中になってしまったよ」

「はは」マチルダが笑う。「ラゼルは本の虫だね」

「重度のね」

 肩をすくめた僕は、ふと放課後の生徒会で見た光景を思い出した。なぜいま頭に浮かんだのかはわからないけど、やはりレイデンとリーネのことが気になっていたようだ。

「レイデン殿下は、随分とリーネを気にかけてらっしゃるみたいだね」

「そうだね」ウィロルが頷く。「エゼリィが気に病むほどではないけど、上に立つ者の役目と思ってらっしゃるのかもしれないね」

「レイデン殿下はその意識が高いから」と、マチルダ。「次期国王として民を気にかける感覚なんだろうね」

 ふたりから見て、リーネが下心を持っている可能性があることは微塵も感じられないらしい。

「リーネが孤立しないか心配しているのかも」と、ウィロル。「もとから孤立しそうな存在だし」

「リーネは生徒会の仕事を真面目にやっているしね」マチルダは顎に指を当てる。「行動が奔放すぎるけどね」

「ラゼルはリーネが苦手みたいだね」

 少し悪戯っぽく言うウィロルに、僕は小さく肩をすくめた。

「苦手ということはないけど、気にはなるかな」

「気持ちはわかるわ」と、マチルダ。「でも、悪い子ではないと思うよ」

「うーん、それはわかってるんだけど……。でも、エゼリィも警戒しているような気がするんだ」

「そうかもしれないね」と、ウィロル。「リーネは平民だから、王侯貴族社会のモラルやマナーをわかっていない。そのせいで奔放になってしまうから、それで顰蹙ひんしゅくを買わないか心配しているのかもしれないよ」

 心配、と僕は首を傾げる。僕は、エゼリィはリーネがレイデン殿下を攻略することを警戒しているのだと思っていた。それは僕が転生者だからそう見えていただけで、頷いているマチルダの様子からも察するに、ウィロルの言うことの信憑性は高いようだ。

「ジェマに講師役を頼んだときも」と、マチルダ。「リーネは生徒会での繋がりがあるからいいけど、そうでなければ居辛い状況だったじゃないかな」

「それなら、誰かが注意したほうがいいんじゃない?」

「エゼリィが度々教えているから大丈夫だよ」ウィロルが微笑む。「なんだかんだ面倒見がいいよね」

「ラゼルもそんなに警戒する必要はないわ」と、マチルダ。「素直で良い子よ。一生懸命だし」

「……うん、そうだね」

 僕はこの世界が乙女ゲームの世界であると知っているから、そのヒロインであるリーネに警戒している。同じ世界に生きる彼らには、僕とは違うふうに見えているようだ。どちらかと言うと、信用できるのはウィロルとマチルダの感覚だ。もう少しリーネをよくよく観察したほうがいいようだ。



   *  *  *



 生徒会に向かう途中、前を行くプラチナブロンドが見えた。

「エゼリィ」

 僕の呼びかけに、エゼリィはまだ少しだけ冷ややかな表情で振り向く。あれから何度も顔を合わせているが、まだ合格はもらえていないようだ。

「ちょうどよかったですわ。確認したいことがありますの」

「なんだろう」

「この書類ですけれど……」

 また歩き出しながら、エゼリィが一枚の書類を僕に見せる。生徒会に着く頃には確認が終わりそうだ。

 廊下の角を曲がったところで、レイデンとリーネが一緒に生徒会室に入って行くのが見えた。仲良さそうに微笑み合っている。レイデンの好感度はどれくらい上がっているのだろうか。

「ラゼルさん、何か妙な心配をしていませんこと?」

 探るようにエゼリィが言う。彼女を振り向くと、どこか呆れたように目を細めていた。

「レイデン殿下がわたくしに愛想を尽かす……そんな想像をしているのではありませんこと?」

 エゼリィは鋭い。僕がそう考えていることに加え、その可能性があるということもわかっているのだ。もしかしたら、エゼリィ自身もそのことを案じているのかもしれない。

「レイデン殿下はリーネを気にかけてらっしゃるようだから……」

「そうですわね。生徒会長として生徒を、次期国王として民を、一個人として一個人を気にかけていらっしゃるだけですわ。深い意味はありませんわ。リーネさんがどう考えているかはわかりませんけれど」

 そう言われればその通りだ。レイデンは王太子であり、生徒会長。周囲から浮いて嫌がらせを受けるリーネを放っておくわけにはいかないだろう。確かにリーネが何を考えているかはわからないが。

「レイデン殿下を信頼しているんだね」

「当然でしょう。わたくしたちが婚約したのは、七歳の頃なのですから」

 それだけの信頼があれば、言い方は悪いがぽっと出のリーネにレイデンが奪われることはないと考えても差し支えないのだろう。ジェマもレイデンがエゼリィを裏切ることはないと言っていた。とは言え、リーネにはヒロイン補正がかかっている可能性がある。もしシナリオ通りに進める力がリーネにあれば、レイデンが陥落するのはそう難しいことではないのかもしれない。そんなことは考えたくもないが。


 生徒会の仕事が始まると、レイデンとジェマがリーネの面倒を見ていた。見ようによっては特別扱いにも思える。みんなが言うように、リーネの言動は奔放だ。天真爛漫と言えばそれまでだが、自分がヒロインだと自覚していなければできない行動にも思えた。

「ラゼルさん、随分と気が散ってらっしゃるようですわね」

 エゼリィの声で、僕は自分の仕事に意識を戻す。エゼリィは冷ややかに目を細めていた。

「気にかけているのはわかりますけれど、仕事の手が止まってしまうのはいただけませんわ」

「ごめん……。エゼリィは厳しいなあ」

 エゼリィが、ふん、と鼻を鳴らすと、アラベルが悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「エゼリィはラゼルと仲良くしたいんだよ」

「えっ」

「ちょっと、アラベルさん!」

 エゼリィの顔が真っ赤になる。どうやら図星のようだ。おそらく、仲良くしたかったけど、どうやって親しくなればいいかわからず、その裏返しでつんけんしていたのだろう。

「わ、わたくしは別に……そんな……」

 もごもごと口の中で言うエゼリィに、僕は思わずくすりと笑った。

「仲良くしてくれるなら嬉しいよ」

 エゼリィはつんけんした表情のままだが、パッと明るくなるのがわかる。それでも、ついとそっぽを向いて見せた。

「ラゼルさんは優秀なお方のようですから、レイデン殿下のお力になって差し上げられるのではないかと思っているだけですわ」

 なるほど、典型的なツンデレらしい。悪役令息のラゼルがいなければ悪役令嬢になっていたであろう立場だが、レイデンに献身的のようだ。エゼリィがいればこの国も安泰だとすら思わせる。

 しかし、このまま僕が生徒会メンバーと仲良くなれば、もしかしたら僕が避けることでリーネが孤立する可能性も捨てきれない。それは僕も本意ではない。とは言っても、ウィロルとマチルダもリーネをよく気にかけている。特に手を出す必要はないようだ。

 リーネがヒロインで転生者だとしても、虐げたりいじめたりするつもりは毛頭ない。リーネの目的さえわかれば、仲良くできるのではないかと思っている。いまは不穏な存在であるというだけだ。

「よほど気になりますのね」

 いつの間にかまたリーネをチラ見していた僕に、エゼリィが呆れたように言った。

「そういうわけではないけど……。他のみんなは、リーネに関心があるみたいだね」

「光の魔法を持つ平民は特殊ですもの。気にかけなければ孤立する可能性がありますわ」

「そうだね。エゼリィは優しいんだね」

 僕が微笑みかけると、エゼリィの顔がまたカッと赤くなる。それから、肩にかかる髪を忙しなくくるくると指でいじり始めた。

「貴族として当然の務めですわ」

 もしかしたら、リーネとも仲良くなりたいと思っているのかもしれない。リーネはその奔放な言動さえなければ、天真爛漫な可愛らしい少女だ。友達になりたいと思うのはわかる。僕もリーネと仲良くできればと思っているが、僕を破滅に導くかもしれないと思うと警戒せざるを得ない。それを確かめる機会がなかなか掴めないいま、慎重になっておくに越したことはないだろう。彼らのもとに破滅を招くわけにはいかないのだ。






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