第5章 生真面目なジェマ【2】

 翌(あく)る日。生徒会室に行くと、レイデンとジェマが難しい顔で話し合っていた。あまりに険しい表情をしているので、僕は思わずふたりのあいだにある書類を覗き込んだ。

「どうしたんですか?」

「ああ、ラゼル」レイデンが顔を上げる。「春の学園祭のことを考えているんだ。ここの調整を――」

「あ、それならここが――」

 書類を指差して説明した僕に、ふむ、とジェマが顎に手を当てた。

「なるほど。そうなるとここが――」

「そうだな。この点でも――」

 学園祭と言えば、僕は美術部だったから作品の展示をしていた。けれど、学生や学園祭に来るお客さんは芸術には興味がなかったりするのだ。展示室はいつも、美術部員とその友達の溜まり場になっていた。それはそれで楽しかった思い出だ。

「あら? みなさん、難しいお顔でどうしたのです?」

 生徒会室に来たエゼリィが、うんうん唸る僕たちに言った。

「学園祭のことでな。ここの調整をしたいんだ」

「ふむ……。あら、それならこの箇所――」

 エゼリィの説明は単純明快だが最適に思える提案で、僕たちは目から鱗が出るような気分だった。

「なるほど……。あ、それならここの予算を削れるんじゃないですか?」

 僕は会計表を指差す。学園祭では限られた予算をいかに効率良く使うかが大事だ。削れる部分は削れるだけ削らなければならない。

「それを他のところに回せば」僕は続ける。「上手く調整できるんじゃないですか?」

「なるほどな」レイデンが頷く。「ふたりとも、有意義な意見をありがとう。ジェマは頭が硬いからな」

「ジェマは昔から頑固ですもの」と、エゼリィ。「ラゼルさんの柔軟性を見習ってみてはいかが?」

「ふむ……昔に比べたら柔らかくなったと思うが……」

「それがジェマのいいところでもありそうだけど」

 励ますように言った僕に、エゼリィは肩をすくめる。

「良く言えばそうでしょうね。でも、ジェマは真面目すぎますわ」

 ジェマはヒロインの柔軟性に惹かれる、とかなんとか、そういう馴れ初めだった気がする。石頭のジェマがヒロインの言動に影響されて徐々に、と妹が興奮していたのを思い出した。真面目なのは良いことだが、真面目すぎるのは考えものだろう。何事も程良く。それが大切だ。



   *  *  *



 夕食後に図書室で読書に耽っていたら遅くなってしまった。もしかしたらアラベルはもう寝ているかもしれない。アラベルは素晴らしく早寝早起きだから、少なくとも湯浴みは済ませているだろう。

 急いで部屋に戻る途中、裏庭に人の気配があった。中廊下から覗いてみると、ジェマが剣の素振りをしている。こんな時間まで鍛錬を怠らないなんて、さすが生真面目だな。

 そうやって観察していると、ジェマが僕の気配に気付いたようで振り向いた。

「ラゼル。こんな時間まで勉強か?」

「ジェマこそ、精が出るね」

 魔法学校の裏庭で剣の鍛錬というのも奇妙な話だ。ジェマは本職は騎士だが、レイデンの護衛ということで王立魔道学院にいるのだろう。魔法の腕も申し分ないように見えた。

「来年、騎士の資格試験がある。それに合格しなければ、レイデン殿下の正式な側近にはなれないんだ」

「へえ……まだ正式な騎士というわけではないんだね」

「ああ。いまはまだ見習いの域を脱していないな」

 騎士にも資格が必要だとは初めて知った。なんとなく、宮廷に認められて任命されたら、と思っていたが、資格試験があるというのは想像もしていなかった。その点、魔法使いはわかりやすい。魔法を使えれば誰でも魔法使いというわけだ。

「俺の実力ではまだまだ足りない。実力がなければレイデン殿下の護衛騎士として認められない」

 ジェマは底抜けの真面目だ。だからリーネの自由奔放な言動も流せないのだろう。

「きみはリーネをどう思う?」

 僕の頭の中を読んだようなジェマの言葉に、僕はあえて首を傾げた。

「どうって?」

「よくわからないが、放っておけないという気になるんだ。リーネは周囲から浮き、嫌がらせを受けている。だからレイデン殿下と気にかけていたんだが」

 それはそうだろう。レイデンとジェマは攻略対象。何はなくともリーネが気になるはずだ。とは言え、ここは乙女ゲームの世界でも、いまの僕にとっては現実になった。彼らもそうであれば、リーネが何か仕出かしたときにリーネに反感を懐いたりするのだろうか。

「だが、当のリーネが気にしている様子はない。明るく健気という言い方もできるが……。放っておいても生徒会で立派に仕事をこなすだろう。だが、何かと気にかけてしまう」

「それはジェマが真面目すぎるからだよ」

 まさか「攻略対象だからだよ」なんて言えるはずもない。彼らも僕と同じ世界に生きるひとりの人間。行動をシナリオに操られているなんて考えたくもない。何にも縛られず、自由に生きていると信じたい。

「周囲から浮いて嫌がらせを受けているのが事実だとすれば、放っておけないのは当然だよ。リーネも気にしていないふりをしているのかもしれないしね。おかしいことではないよ」

「そうか……」

「ただ、リーネはしっかりしているように見えるし、付ききりになる必要はないんじゃないかな。助けてやらなければって過度に思う必要はないよ。リーネはリーネで、きっと強いはずだからね」

「……それもそうだな」

 ジェマは納得して頷く。生真面目なあまり、人の言葉を疑うことを知らないようだ。とは言え、僕も無責任な嘘をついたわけではない。リーネはリーネでしっかりした強い女の子のはず。ヒロインだからというわけではなく、僕がそう思うというだけなのだけれど。

 リーネを暫定ヒロインとして見るのも大概にしないとね。ヒロインだからと思うと、リーネの本質を見ることができていない気がする。目的がわからないうちは気を許そうという気にはならないけれど、リーネはリーネというひとりの人間。いずれ分かり合うことができたらいいよね。

「それにしても、きみが人と関わろうとするなんてな」ジェマがつくづくと言う。「きみは一年から二年前期まで、授業にまともに出て来なかった。人と関わらないようにしているように俺には見えた」

 勘の鋭いジェマがそう言うなら、そうだったのかもしれない。ラゼルは心に絶望を溜め、その末に悪役令息となり、破滅を招くことになる。人に対して心を閉ざしていたのだろう。それがヒロインによって掻き乱されることになる。僕は特に何に対しても絶望していない。人と関わることにはなんの躊躇いもない。その変化が、周囲から見たら不思議に思えるのかもしれない。

「きみが二年に進級できたのが奇跡のようだが、一年は大抵、誰でも進級できるだろうからな。きみは誰とも関わらずに卒業すると思っていたよ。妹も何か警戒していたようだしな」

「いまはそうは見えないね」

「そうだな。クラリスは魔力感知がよく働く。きみを取り巻く魔力に何か感じていたようだ」

 それはまさに闇の気配なのではないだろうか。クラリスは繊細な少女に思える。ラゼルがいずれ闇落ちする人物だと、なんとなくわかっていたのかもしれない。

「それが悪いもので、その悪いものがなくなったという感じなのかな」

「そうかもしれないな。引っ込み思案なクラリスが、きみに心を開くとは思っていなかったよ。だが、毎日、楽しそうだ。きみには感謝しているよ」

 ジェマは真っ直ぐ僕を見つめて言う。悪役令息であるはずの僕が、攻略対象に感謝を伝えられるなんて、想像もしていなかった。

「感謝するのは僕のほうだよ。親切にしてくれて、とても助かってるよ」

「それを聞いたらクラリスも喜ぶだろうな」

 ジェマに認められたということは、クラリスとは良好な関係を築けたと思ってもいいようだ。そうでなくても、クラリスは自然に僕に微笑みかけてくれているように思う。心強い味方を身につけられたようだ。

「いま思えば、きみは自分の境遇と血を呪っているような印象だった」

 確かめるようにしながら言うジェマに、僕は首を傾げて続きを促した。

「母君を失った上、さらに『呪いの子』などと陰口を叩かれていただろう。それを呪っているようだった。いまはどこか、吹っ切れたような顔をしている」

「そうかもしれないね。境遇を呪うことにこだわりすぎていたのかもしれない」

 そうしてラゼルは、自分とは正反対の光を持つヒロインに嫌がらせをする悪役令息となり、破滅を招く呪いの子になっていったのだろう。

「エゼリィはまだ警戒しているようだ。エゼリィは心を許していない相手には懐疑的だからな」

「気難しい人なのかな」

「碌でもない人間をレイデン殿下に近付けないようにするためだろうな。ただ、クラリスと仲が良いから、きみへの誤解は遠くなく解けるんじゃないか?」

「そうだといいけど……」

「きみは俺が思っていたような人間ではなかった。エゼリィも気に入るんじゃないか?」

 ということは、ジェマも僕を気に入ってくれているようだ。クラリスが心を開いたという点が重要なのだろう。クラリスの僕に対する心証が変わっていなければ、ジェマも味方につけられなかったということだ。真面目に仕事をしてきてよかった。

 僕はふと、心の中に暗いものが浮かんだ。それは、ここが乙女ゲームの世界であるということだ。

「……レイデン殿下がエゼリィを裏切ったら、どうする?」

 僕の問いに、ジェマは怪訝に眉をひそめる。しかし、すぐに首を横に振った。

「そんなことはあり得ないさ。心配になるのはわかるが、それだけは絶対にあり得ない」

「断言するね」

「これでも、レイデン殿下とエゼリィを近くて見て来たからな。あのふたりの信頼関係は本物だ」

「そう。安心したよ」

 ジェマは薄く笑って肩をすくめる。僕が心配に思っていることがなんなのか、よくわかっているようだ。もしかしたら、同じことを考えたことがあったのかもしれない。

「ラゼル様、ジェマ様」

 噂をすればなんとやら。可愛らしく呼びかける声に振り向くと、リーネが軽やかに駆け寄って来る。その表情には明るい微笑みが浮かんでいる。

「何をなさっているんですか?」

「何もしてないよ。話をしていただけ。僕はもう部屋に戻るところだよ」

「それなら、一緒に帰りませんか?」

「帰ろうも何も、もう部屋に行くだけだよ」

 何度でも言うが、学生寮は男子棟と女子棟に分かれていて、それぞれ女子禁制・男子禁制だ。敷地内に入ることすら許されていないのだから、裏庭からでは一緒に帰ってもせいぜい五分程度。五分もあれば話をできるのは確かだが、リーネに絡まれるのはなんだか不穏な気分になる。冷たくするつもりはないが、警戒してしまうのは確かだ。

「……ジェマ様……私はラゼル様に嫌われているんでしょうか……。私、何か失礼なことをしてしまったのでしょうか……」

 リーネがしょんぼりと肩を落とす。それは演技などではなく、本当にしょんぼりしている。さすがに少し冷たくしすぎたようだ。

「ラゼルは誰にでもそんな感じだ。気にするな」

 ジェマは肩をすくめる。もしクラリスが心を許さずジェマも警戒したままであれば、ここは僕が責められる場面だったかもしれない。クラリスに感謝だ。

「でも、私はラゼル様と仲良くなりたいんです」

「どうして?」僕は言った。「僕は確かに平民出身だけど、共感できる点はそんなにないよね。リーネ・・・がそんなに気にかけるのはなぜなの?」

 これはほんの少しだけ賭けだ。カマをかけるなんて卑怯かもしれないけど、いまこそ、リーネの本心を確かめる良い機会なのかもしれない。

「私は生徒会のみなさんと仲良くなりたいんです」

「エゼリィとクラリスとウィロルとマチルダとは仲良くしようとしていないみたいだけど?」

 リーネが言葉に詰まる。図星を突かれたような表情だ。実際、リーネは僕のところへ来るか、レイデンかジェマに話しかけられている。生徒会の仕事はジェマとこなしている。四人と積極的に接している場面はあまりない。これはきっと、意図的のことだ。

 リーネはおそらく、僕と同じ転生者だ。ラゼルを攻略しようとしている。魔法実習ではジェマに講師役を頼んでいたし、僕を含めた逆ハーレムルートを狙っていることもあり得るのだろうか。それとも、僕に破滅を招かせて、国を救って聖女にでもなろうとしているのだろうか。転生者だとしても、ヒロインという確証があるわけではないのだけれど。光の魔法はただのチートかもしれないし。

「他の人と仲良くなれたら僕も仲良くしてあげるよ。それまではきみを認めない」

 冷たく言い放って、僕はリーネに背を向けた。悪役令息らしい言葉を言ってしまった。

 そんなつもりはなかったのに悪役令息らしい言葉が出てきたのは、リーネの存在による抑制力なのだろうか。もしかしたら、リーネには僕たちをストーリー通りの運命に導く力があるのかもしれない。そう考えると恐ろしい子だ。

 確か、隠し攻略対象を攻略したいなら断罪イベントは起こしてはならないとオタクの妹が熱く語っていたような気がする。ラゼルだけは特殊イベントが起こるんだったような。とは言え、ジェマに乗り換える――と言うとよくないだろうけど――かもしれず、ジェマがリーネと結ばれる可能性はある。そのとき、僕はどうなるのだろう。シナリオ通り、断罪されるのだろうか。せっかくみんなと仲良くなれたのに、なかったことにされるのだろうか。

 それと、やはりジェマには婚約者がいた気がする。ジェマルートでは妹と婚約者のダブルライバルなんだよ、とオタクの妹が興奮気味に話していたような気がするが、気のせいだったのだろうか。それとも、ゲームの世界が現実になったことで、何か差異が生まれているのだろうか。それが僕にどんな影響を及ぼすか計り知れない。より慎重になる必要があるだろう。

 せっかくの友情を失いたくない。破滅を招いて断罪されるなんて真っ平御免だ。せめて天寿を全うしたい。できれば心安く過ごしたい。悪役令息になんてなって堪るものか。






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