第6章 エゼリィの招待状【2】
「ラゼル。ノーウェー侯爵家のお茶会の招待状が届いているぞ」
僕とアラベルの部屋に来たジークハイドが、僕に一葉の封筒を差し出した。白い封筒の宛先には僕の名前があり、差出人はエゼリィ・ノーウェー侯爵令嬢だ。便箋には侯爵家の紋章が記されている。正式な招待状だ。
「お茶会……。僕が行ってもいいんでしょうか」
「特に問題ないだろう。お前はキールストラ公爵家の一員だしな。夜会だったら話は変わるかもしれないが」
貴族ではなかった僕にも、お茶会と夜会の違いはなんとなくわかる。お茶会は社交界デビューの子どももいるし、気軽に参加できるという印象だ。夜会は正式な貴族のパーティ。平民出身が参加するのはあまりよろしくないらしい。
「僕たちにも届いてるんだ」アラベルが微笑む。「一緒に行こうよ」
「うん、そうだね。じゃあ、参加してみようかな」
いくら気軽に参加できると言っても、貴族のパーティであることに変わりない。前世も庶民であった僕が礼儀正しくしていられるかはわからないが、これから僕は貴族として生きていくことになる。お茶会で怯んでいては話にならないだろう。緊張することに変わりはないが、場数をこなせばきっと慣れてくる。そう信じよう。
* * *
週末、僕はいつもよりお洒落をしていた。金の装飾が施された紺色のジャケットとスラックスに同じ色味のネクタイだ。着慣れていなさすぎてなんだかそわそわしてしまう。いつもの丸眼鏡が野暮ったく見えるが、これがないと何も見えないのだからしょうがない。この世界にはコンタクトレンズはないようだ。
馬車でノーウェー侯爵邸に向かうあいだ、僕はずっと落ち着きがなかった。ラゼル自身がどうかはわからないが、僕は社交界に赴くのは初めてだ。緊張せずにはいられない。生粋のキールストラ公爵家の子息であるジークハイドとアラベルは落ち着いていた。
ノーウェー侯爵邸には多くの貴族が集まっていた。庭園がパーティ会場になっていて、あちらこちらで貴族の老若男女たちが楽しげにお喋りに興じている。所謂ガーデンパーティという形式で、基本的なマナーさえ身についていれば問題ないようだ。
「ジークハイド!」
呼びかける声に振り向くと、ジェマとクラリスが手を振っている。ジェマも落ち着いたスーツ姿で、クラリスはいつもよりほんの少しだけ華美なドレスだ。いつものリボンと同じ浅葱色の可愛らしいドレスがよく似合っている。
「ラゼルは社交界は初めてだな」
「少し緊張してらっしゃいますか?」
朗らかなローダン兄妹に、僕は困って頬を掻いた。
「少しだけ……。何か失敗しなければいいけど」
「そんなに堅苦しく考える必要はない」と、ジェマ。「今回はガーデンパーティだし、多少の失敗は大目に見られるよ」
「そうだといいけど……」
多少の失敗がどの程度のものかはわからないけど、失敗しないようにと心掛けておいたほうがいい気がする。失敗しないに越したことはない。
「みんな、来てくれたんだね」
爽やかな声が呼びかける。僕たちのもとに歩み寄って来たのは、レイデンとエゼリィだった。レイデンは金の装飾が施された白いジャケットで、エゼリィは深い赤色のドレスを身に纏っている。一際に目立つ存在感のあるふたりは、招待客たちの視線を集めていた。
「ラゼルは社交界は初めてだね。きみから参加の返信が来て、エゼリィが喜んでいたよ」
眩い微笑みのレイデンに、エゼリィの顔が一気に紅潮する。クラリスがくすりと笑うと、エゼリィはついとそっぽを向いた。
「自分の招待が承認されたのですから、喜ばしく思うのは当然ですわ」
「招待をありがとう」僕は微笑んで見せる。「少し緊張しているよ」
「今回は堅苦しいパーティではありませんし、気楽に過ごしていただいて構いませんわ。どうぞ楽しんでくださいませ」
「うん、ありがとう」
レイデンとエゼリィが並んでいるのは実に絵になる。美男美女という言葉がまさしく相応しい風貌だ。ヒロインが介入する余地のないほどお似合いである。
「ラゼルとは学院では接する機会があまりないね。何か不自由はしていないかい?」
このとき、僕は奇妙な気分になっていた。レイデンの微笑みに何か違和感がある。何がとははっきり言えないが、いつもの笑みではないような、そんな気がした。
「不自由はしていないです。みんな、親切にしてくれますし」
「そう。それはよかった」
レイデンは爽やかに微笑む。王子様スマイルだ。
「……告げ口のようだが」レイデンが声の調子を落とす。「リーネが、ラゼルが冷たいと落ち込んでいたよ」
おっと、ザ・ヒロインである。平民出身に冷たくされることを王太子殿下に相談するとは。なかなかに豪胆だな。
「リーネを嫌っているわけではないんだろう?」
「そうですね……。ただ、リーネの本心が見えないんです。だから警戒しているだけで、悪気があるわけではありません」
取り繕っても仕方がないし、正直に話しておいたほうがいいだろう。僕が警戒していることを、リーネには冷たく感じられるのだと思う。
「確かに……」エゼリィが頬に手を当てる。「何を考えているのか、よくわからないことがありますわね」
「私たちと仲良くなりたいようですが」と、クラリス。「何か違う目的があるような素振りをされることがありますね」
さすがライバルキャラたちは鋭いようだ。攻略対象たちはピンときていない様子だが、攻略対象であるがゆえだろう。ヒロインに対してある程度の鈍感さを持っているようだ。
「ですが、わたくしたちは、リーネさんのことをまだよく理解していませんわ。もっと対話が必要なのではないかしら」
「それじゃあ、リーネのことは任せてもいいかな」
伺うように言うレイデンに、エゼリィは面食らって目を丸くする。
「わたくしが、ですの?」
「ああ。女性同士のほうが話しやすいこともあるだろう」
「そ、そうですわね……。承知いたしました。わたくしが責任を持ってお話をお伺いしますわ」
エゼリィは、気乗りしない、という表情をしているが、きっとリーネに優しく接してくれることだろう。リーネを気にかけているのは女性陣も同じこと。だが、まさかレイデンと結ばれたいなどと言うことはないだろうが、エゼリィに本心を打ち明けるかどうかはわからない。何か少しでも有益な情報が掴めるといいけれど。
ガーデンパーティは和やかに進む。ジークハイドは次期公爵として様々な人に声をかけられて忙しいが、僕とアラベルは会場の端でジェマとクラリスとお喋りに興じていた。他の貴族との関わり合いがなければ、失敗する心配もしなくていいようだ。
ところが、ジェマとクラリスがそれぞれ別の貴族に呼ばれて行き、アラベルにも学院の友人が声をかけて来たことで僕はひとりになってしまった。平民出身の僕に接触しようとする人はいないだろうし、ここで美味しい紅茶を嗜んでおこう。
ふと顔を上げると、端のテーブルでエゼリィがお茶を飲んでいた。挨拶回りを終えて休憩しているようだ。
これは好機! 見逃す手はないね。
「エゼリィ」
僕の声に振り向いたエゼリィには、もうつんけんした様子は見られない。多少なりとも心を開いてくれているようだ。
「さっきの話だけど、エゼリィはリーネのことをどう思う?」
「そうですわね……。純粋なお方に感じますけれど、ご自分の中に何かしらのお考えがあって行動なさっているような……そんな雰囲気がありますわ」
エゼリィから見てもそう感じるなら、リーネが攻略対象に攻略対象として接していることは間違いないようだ。その上であの言動だとすると、僕に目をつけているのは確かなのかもしれない。
「虐げられても明るく振る舞ってらっしゃるのは健気だと思いますわ。それはリーネさん自身の強さなのでしょう。わたくしたちと親しくなりたいと思っていらっしゃるのは確かだと思いますわ」
「そうだね。僕も冷たくしたいわけではないんだけど……」
「ええ。ラゼルさんには、わたくしたちには見えていないリーネさんが見えてらっしゃるようですわ」
それは間違いない。エゼリィたちがリーネをただのリーネ・トライトンとして見ているのとは違い、僕は暫定ヒロイン・リーネとして見ている。その違いをエゼリィは感じ取っているようだ。
「さすが、エゼリィは観点が鋭いね。それなら、お願いしたいことがあるんだけど……」
「なんですの?」
「リーネが何を考えているか、聞き出してくれないかな」
真剣に言う僕に、エゼリィは少しだけ怪訝に首を傾げる。
「それがわからないから、どうしても態度が冷たくなってしまうんだ。きっとエゼリィが適任だと思うんだ。優しいクラリスでは、躱されてしまうかもしれないから……」
「わたくしは優しくないと?」
「えっ、いや、そういう意味ではないよ」
僕が慌てふためいて否定すると、エゼリィは揶揄うように肩をすくめた。冗談を言うくらいには親しくなれたようだ。
「承知いたしましたわ。わたくしでどうにかできればいいのですけれど」
「ありがとう。よろしくね」
「けれど、わたくしにはラゼルさんも何をお考えなのかわかりませんわ」
エゼリィの新緑の瞳が、僕の本心を見定めるように細められる。
「あれだけ他者を避けて授業にすら真面目に参加されていなかったのに、夏季休暇でお人が変わったようですわ」
「おかしいかな」
「おかしいとまでは申しませんけれど、不自然さは感じられますわね」
エゼリィがそう思っているということは、きっとクラリスたちも同じように考えているだろう。クラリスはそれを好意的に捉えてくれているようだが、エゼリィは怪しんではいたようだ。
「けれど、ラゼルさんにも何かお考えがあってのことでしょう。いまのラゼルさんなら、信用してもいいという気がしますわ」
エゼリィは後半をつっけんどんに言うが、それが本心であることは間違いないようだ。
エゼリィの信用を勝ち取れたなら充分だ。ジークハイドに関してはまだ試用期間のようだが、アラベルとローダン兄妹とは親しくなれたと思っている。僕の心が変わったことを信用してくれている様子だ。あとはレイデンだけだが、レイデンはいまだ僕に対して警戒心を懐いているようにも見える。次期国王として、人を見る目は充分に養われているだろう。心の奥底を見透かしているのかもしれない。
「レイデン殿下に何か仕出かすのではないかと思っていましたけれど、ラゼルさんにそんな素振りはありませんでしたわ。ラゼルさんはラゼルさんで、純粋にわたくしたちと接している……。裏があるだなんてことはありませんわね」
「じゃあ、エゼリィのお墨付きということでいいのかな」
僕が微笑みかけると、エゼリィの顔がまた赤くなる。図星を突かれると赤面を隠せなくなるようだ。
「別にわたくしが認めたわけではありませんわ! 客観的に見てそう思っているだけです」
満点だな。
リーネのことはエゼリィに任せておけば問題ない。エゼリィならきっと上手いことやってくれるはず。レイデンの心がリーネに奪われると心配してはいるようだが、レイデンには全幅の信頼を置いているだろう。悪役令嬢のようにリーネを敵視することはないはずだ。エゼリィは思慮深い立派なレディだ。ヒロインとして何かしらの狙いがあるリーネにも、敬意を持って接してくれるだろう。それはクラリスも同じことだろうが、尋問に向いているのはエゼリィだ。是非とも厳しく問いただしてほしい。厳しくする必要はないが、いまの僕に必要なのは情報だ。何か引き出せるといいのだが。
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