20

 遠ざかる校舎を背に、かばんをふたつ余計に抱える由里子を乗せて、了一がその車椅子を押している。


 その横を手ぶらで歩くひかりが彼女に言った。


「じゃあ、約束その3は、“身体接触をともなう介助は、きほん同性介助で”…… ってことで構わないかな?」


 由里子はうなずいた。


「…い。…すかります」



 フェンスのむこうでは、上級生も下級生もない小所帯の三里山中学校 野球部部員たちが、試合後のグラウンド整備にいそしんでいる。


 そのなかでトンボをかけていた石井イガグリが顔をあげ、遅い下校中の彼女らにむけて、2ーBの部員らと共に手を振った。


 由里子もそれに小さく手をふりかえし、進行方向に向けてまたうつむいた。


 彼女のそれが、グラウンドの彼らにはしょっぱく感じられたのだろうか。石井たちは手をとめたまま彼女を見送っている。







 何か思うところがあるのか、彼女の後頭部に、了一が言った。


「っていうか、まずはその声量ボリューム、もうすこしあがんないもんかね」


「…みません……、しゃべるの…… なれなくて……」


 そう言うと彼女はさらにうつむきを強め、膝のうえに抱く三人前のカバンを、ぐっ、と抱いた。ひかりは、いやいや悪くないから、ユリちゃん全然わるくないからとフォローし、了一の尻には蹴りを入れ、


「いって!」


「ちなみに、どのくらいまで声は出していいの? 高見沢さんの体調からだとしては」と、たずねた。


「そう……ですね……」


 だいぶ出せるようになりました、と由里子は答えた。退院を決めたあと作業療法士が彼女に追加したリハビリには、発声のトレーニングがあった。


「じゃあ、それ一回やってみてくんねえか。ここ広いし。参考までにフルボリュームで〝アー〟でも〝オー〟でもサンシャイン池崎でもいいし」


 すると、由里子のつむじがうなずいて、息を吸いこんでゆき、頂点に達し、予想をこえた大音量で、サンシャイン池崎の真似イエエエエエエエエエエイをした。


 三里山の頂上に響き渡ったそれに、うっかり耳を塞いでいたひかりは、了一のほうはどうかと ……脇を見あげると、


 あの細い目が、驚きに、うっすらと見開いている。



 すかさず、ひかりが車椅子の前に走りでて、彼女をめた。


「びッくりした……すごいじゃないの、高見沢さん!」


 しかし、由里子の目はフェンスの向こうにある。そして硬直の極みにある。


 つられてひかりも、グラウンドを見ると野球部が皆、作業の手を止めて怪訝な顔を向けていた。


「は、恥ずかしい!」


 由里子が赤面し、ふつうに聞こえる声量でカバンを抱きしめた。








「今ので完全に怪しまれたな、由里子。……もう後がないぜ」


「そんな……」


 了一が機転をきかせた。


「……よし、いちにのさんで、声を合わせるんだ、いいか、一緒に笑え」


 三人は、グラウンドの勝利者たちに、〝逆 転 勝 利、おめでとーーう!! 〟と、手振りも大きく全身で祝辞を叫んだ。すると、すかさず……




 白く、たかく、マウンドと内外野で野球帽がいくつもあがり、振られ、その返礼レスポンスの声は由里子の勝ちどきかまたは祝福の号砲のように、彼女の背負った青空を駆けあがっていった。



 人と繋がれたことに、由里子が眼を輝かせている。


 その横顔に、了一は目をほそめ、押している車椅子から片手を彼らにむけてさらに大きく振った。


 

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