5

 浴室で、シャワーの音がしている。



 由里子は、和室にアイロン台を出し、慎太郎のズボンの泥はねを丁寧にブラシで落とした。そして、その生地の湿った冷たさに、どれほどのあいだ、どんな気持ちで彼が雨に打たれていたのかを考えた。


 しかし、気を取り直して、折り目をたよりにたたみなおしたズボンをアイロン台に寝かせ、当て布をし、ふたたび立ちあがると、


「さて……」


 彼の上着の濡れたことで少々気になるこのお臭いに、この際、スチームをあてようと彼女はポケットの各所を表面からあらためていったが、胸の内ポケットに引っかかりを感じ、つい癖で、中からカードケースをつまみ出した。


 あおかすりのパスケースだった。


 てのひらに乗せてみると、湿気ているとは言え、交通系ICカードのより薄くて軽い。罪悪感はありつつも、好奇心に負けて開くと、なかにはラミネート加工を施したJRの磁気チケットがあった。


 由里子は首をかしげた。


 スライドしてケースから出すと、それは新幹線の領収証で、区間は品川から広島とあり、日付も一昨年の六月六日と古い。乗車券と特急券の代金が二人分を印字したまま、それはラミネート加工のなかで時を止めている。



 六月六日──


 脳裏に、その数字が記憶に紐づいて蘇り、彼女は本棚に駆け寄って手帳を引きだした。確認すると、やはりその日、入社まもない彼を連れて自分は広島に出張している。


 この備後絣びんごがすりにも記憶があった。──彼はたしか、土産物屋でこれを手にとった。そして、その日のどこかで往路の新幹線領収書を紛失した彼から、始末書とともに自弁した代金を預かったのは由里子自身だった。


 そこまでが一連の記憶として、脳裏によみがえったものの……




 それは、夏目の胸ポケットにあった。


「……どうして」


 彼女の目が、手にした磁気券と、吊るした上着のあいだを行き来した。


 あとで出てきた領収書を、自分への戒めにラミネートにしたのか、それとも……。


 多くない仮説のうち、とくに胸を締めつけるものが、雨に打たれる慎太郎の目と符号した。


 



 そこに、風呂場の戸音がして、あわててふりかえった彼女は、上着の内ポケットにそれをもどし、アイロン台の前に正座して髪を整えた。


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