落書きⅤ……一年間が短く感じる?

「落書きⅣ」の始めで、「意識は必ず時間感覚をもっている、そう思います。」と書きました。


カクヨム内で、或る方の「近況ノート」に、子供と大人の時間感覚について触れられているものを見かけました。


それで、また僕は考え始めました。


年齢を重ねるごとに一年間が短く感じる、とはよく聞く話題です。


例えば、病院で診察を待っているとします。くるしいですね。時間を長く感じます。


さて、この時間を長く感じる感覚は、子供の頃より短くなっているのでしょうか。


僕には、よく分かりません。わかりませんが、たぶん、変わっていないと想像します。


ということは、「年齢を重ねるごとに一年間が短く感じる」というのは、現時点から一年間を振り返ったときに、ということになるのではないでしょうか。


子供の頃の記憶は、まだ少ないですね。


この状態を、

BCDE

123A

としましょう。


年齢を重ねると、その分、過ごした日々(記憶)が多くなります。


この状態を、

5FHLNW

BCDE9

123A

とします。


子供が、「3」を思い出すときは八文字から探す(検索する)ことになります。

年齢を重ねた後は、一六文字から探すことになります。


もし、検索に使われる時間が同じだとしたらどうだろうか、というのが僕の考えです。


パラパラ漫画として、めくる時間を同じにしたら、枚数が多い(年齢を重ねた後の)方が一枚いちまいの見えている時間が短くなります。


以上が、いま考えていたことです。


この数日、『暇と退屈の倫理学』(國分功一郎、新潮文庫)を読み進めており、時間感覚にも興味をもちました。いまは「第五章」を読み終えたところです。


* 「落書きⅥ(Wikipediaで【無意識】を読んでみた)」を執筆後に変更。記憶のモデルを「BCDE123A」のように一行で表していたのを複数行にしました。

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