ACT 7
AM1:30 からそろそろAM2:00 へと針は近づいていた。
真夏の太陽に焼き尽くされたアスファルトの火照りと神経の高ぶりはすでに消えかけていた。オイルが染み込んだ水蒸気が、倒れ込んだレディの身体を濡らし続けた。
意識の遠くで、数人の足音が近づいてくるのが聞こえた。
焦点が合わない視界の中に、数個の革靴が見えた。常夜灯の小さな光が、靴の甲の部分で小宇宙を創っていた。
レディはゆっくりと靴を眺めてから、視線を足からだんだんと上へ移動していき、最後に暗くて判別のできない顔を見たが、全く感情を伴わない目が、レディを見下ろしていた。
レディを囲んだ3人の男。うち一人が、彼女の近くにひざまずき、無造作に彼女の足に触れた。レディはされるまま黙って見ていた。
「折ったな」
男は残りの2人を見上げた。
その言葉に、3人が漏らした感情の雫でレディは現実に戻ってきた。
「どうする?」
「ふむ。難しいな」
「下半身を替えるしかないだろう」
これらの会話は、レディを完全に無視して取り交わされていた。
「なんてこった。せっかく成功したって言うのに」
大げさに手を振り下ろして落胆した男をレディは見た。
(我々は神話を現実のものとした)
神話を「実用書」にして狂喜乱舞した狂人科学者男だった。
「しかし、なぜ『セキュリティ』が作動しなかったんだ? 本来、ここまで自己を痛めつける行為にはセキュリティ・システムが働き、シャットダウンしているはずだ。こんな『自暴自棄』と呼ばれる行動を起こすはずがない」
「確かに。考えられるのは、『バグ』だな。セキュリティ・システムに異常があったんだ。気がつかなかったのは、我々が人間だから……。としか言いようがない。痛恨の極みだ」
牛乳瓶の底眼鏡が、珍しくまともなことを言ったとレディは思った。
(こいつの口から『人間』ですって? あんたたちが人間な訳ないじゃない! こんな人工生命体を作って楽しんでいるくせに!)
レディの目から暖かい雫がいくつも流れ始めた。
「何を言っても、足を折った馬は何の役にも立たない。取り替える方向で検討しよう」
その言葉に、後方で待機していた男たちがレディを取り囲んだ。
彼女は反射的に立ち上がり、不安定にぐらつきながら惨めに後ずさり、大声で叫んだ。
「もう……もう、やめて! あたしは人間じゃない。足を折った馬よ。人間が、足を折った馬を安楽死させるように、あたしも殺してよ!」
レディの叫びを男たちは無表情で聞いていたが、やがて大きなため息をついた。
「まずはこの、セキュリティ・システムの『バグ』から処理をしよう。こんな感情を持ってもらっては困る。実験体は実験体として、常に安定した精神でいてもらわねば。セキュリティ強化も、再生プログラムに組み込むとしよう」
レディは今の感情をリセットされて、再び何もかも忘れて幼女になり、1からまた生き始めることになる自分を思うと、近くにナイフでも転がっていないかと探していた。しかし、そんな都合がいいものが転がっている訳はない。
「お願い。もうやめて。あんたたち人間は色々なものを創ってきたわ。役に立たなくなると、壊してそこに新しいものを創ってきた。この都市も、何度も何度も壊しては造り変えてきた。でもあたしは都市じゃない! 生き物よ! 人間だなんて言わないわ。馬でいい。足を折った馬は殺すでしょう? あたしも殺して! 今のあたしを忘れてしまうのはもう嫌! あたしは何度も何度も、造っては壊す『ビルディング』じゃない!」
レディは髪の毛を激しく振り乱しながら両手を広げた。
その瞬間、彼女の下半身は大きくバランスを崩し、音を立てて再び大地に崩れ落ちた。
亜麻色の髪の毛が激しく乱れて顔を覆い隠した。その髪の毛の中でレディは弱々しく呟やいた。
「殺してよ。足を折った馬として、あたしを殺して。役に立たなくなったビルを、土台にダイナマイトを仕掛けて爆破し、がれきに還すように、あたしもこの四本の足元から崩して。もう疲れたわ。このまま静かに眠らせてよ」
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