ACT 6
レディはほんの少し眉をひそめた。
彼女はゆっくりと彼らから視線を外すと走り出した。
彼女の蹄の音は、追いかけてきた自動車のエンジン音とタイヤの唸りにかき消されていた。
レース場と化した大都会はそれを受け入れ、自動車の叫び声をそのまま伝え続けていた。
レディは道路から歩道へと飛び移り、追い詰められながらも逃げきっていた。
彼女は機動力で、かろうじて自動車のスピードに勝っていた。
交差点で左折する。
アウトを走るレディの背後にエンジン音が鳴り続ける。
クリッピングポイントを睨み、そこからインを最短距離で通過してアウトに抜ける。
アウトに大きく膨らんで曲がる自動車が、タイヤを鳴らしてインへハンドルを戻すころ、すでにレディは直線を全力で走っていた。
自動車はすぐに態勢を立て直すと、低速ギアのまま思いっきり引っ張り、すぐにレディに追いき、彼女の背中をヘッドライトが熱く照らす。
アスファルトは、土の上を走るために馬に与えた蹄を拒否していた。
しかし、彼らは人間に造られたタイヤに対して好意的だった。
アスファルトは、タイヤのグリップを心より受け入れていたのだ。
アスファルトにこびりついているオイルは、まだ道路を這いまわる雨に混ざり、硬いレディの蹄を滑らせていた。
アスファルトから受ける衝撃は、そのままレディの細い四本の足にダメージを与え続けた。
蹴り返した足首が痛くなってきた。
それでもレディの下半身は本能で走り続けた。
レディはすでに馬として走るしかなかった。
下半身の能力を最大限発揮し、自動車と対等に走っていた。
レディの目尻から耳のほうへ涙が流れ続けていた。
人間が造った都市に拒絶された、自然から与えられた馬の足。
その馬の足を持つ人間である上半身。
レディは人間にも人間が造った人工物にさえも拒絶され、「人間」ではないと認めるしかなかった。
「あたしに草原を駆け回る馬になれというの?」
レディは走るたびに、大きく揺れる乳房の重みを感じて再び叫んだ。
「あたしの上半身は人間なのよ。喋り、考え悩み泣くあたしは、感情がある人間なのよ!」
レディは泣き続けたかったが、後方に迫るエンジンの音が許さなかった。
目をしばたたくと、すぐ先で歩道が途切れているのが見えた。
小さな側道が見える。
レディは迫る自動車を背中に感じながら全力で走った。
足首は痛みすら感じないほど重く疲れていた。
ぎりぎりまで引き付け、直進の姿勢を崩さなかった。
レディはすべてを賭けた。
こいつらを引き離し、この疲れから解放されるために。
前足に全体重を預けてストップをかけ、後ろ足で思いっきりアスファルトを蹴って方向を変えた。
右前足を踏み出した瞬間、アスファルト上のオイルに足をすくわれ、もつれて半ば転びながら小道へ走り込んだ。
その直後、大きな鈍い衝撃音を聞いたが、レディは振り返らなかった。
四本の足は重く、痛みが上半身へと突き上がってきていた。
大きくため息をついたが、全身が小刻みに震えていた。
なだめるように自らの身体を抱きしめると、右足を引きずりながら、ゆっくりと大通りまで歩いてきた。
見上げた巨大なビルディングも、区切られた道路も、ひしゃげた十字架の空も、先ほどと全く変わらず沈黙の底で眠っていた。
静かだった。
うらやましいくらい静かに、当たり前の顔をしていた。
レディは泣き顔のまま笑うと、ゆっくりと崩れるようにアスファルトの上に倒れ込んだ。
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お読みいただきありがとうございました。
お時間がありましたら、同時掲載の「異世界ファンタジー」の方にも、お立ち寄りいただけると嬉しいです。
よろしくお願いします。
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