ACT 5

 A・M 1:30 をすでに超えた都市は、穏やかな眠りの中に堕ちていた。


 レディはしゃべり過ぎた自分に疲れ、まとわりつく水蒸気の中を黙って歩きだした。


 足の向くまま黒く濡れたアスファルトの上を彷徨った。単に時間が過ぎればよかった。重く沈んだ気持ちが過去になればよかった。


 けれどレディの心を慰めるほどの時間もなく、彼女の心を逆なでする音が、深い眠りについていた都市の中に響き始めた。


 やるせない気分は行き場を失い、彼女の心の中にしゃがみこんだ。


 レディは下半身の全神経を緊張させて立ち、背筋を伸ばすと音がする方向へ顔を向けた。


 耳を貫くようなエンジン音が聞こえてきた。狂気を含んだそれらは、お互いにもつれ合い転がり合い、確実に近づいてきた。


 いつものレディだったら、この場からすでに立ち去っていただろう。


 けれど今夜の彼女は、微動だにせず音が近づいてくるのを待っていた。レディは疲れて眠る都市を叩き起こす人間が、どんな奴か容易に想像できた。


 行き場のない想いをかかえていたレディは、この感情に対して刺激が欲しかった。


 ぶち当たり、引きちぎられ、どこかへ流れ出せばよかった。


 それがどこへ向かおうがかまわなかった。


「こういうのを、自暴自棄って言うのかしらね」


 レディは冷たい眼差しでやってくる音を睨みつけていた。


 もう、彼女の心には「レベルなんとか」といったものは完全に無くなっていた。


「システム」は「バグ」に喰いつくされていたのだった。


 闇に消えていた彼方の道路は、這うように広がるヘッドライトに照らされて姿を現した。


 ヘッドライトの輝きと路面のにじむような光が次第に大きくなる。


 戯れるように見え隠れするもう1台のヘッドライトが、時折矢のような光を放つ。


 レディは悲鳴のような異常なエンジン音にむかついた。


 それをせせら笑うように容赦なく音は近づいてきた。


 眩しすぎるライトに目を細めたレディを見つけた自動車は、猛スピードでレディに向かって突進してきた。


 回転が上がり過ぎたエンジンが悲鳴を上げる。


 このまま跳ね飛ばされると思った瞬間、今度はタイヤが泣き叫んだ。


 自動車は尻を振りながらレディの前で急停車した。


 後ろからついてきた自動車が、一瞬前の車の後ろに止まったが、のそりと動き出してレディの背後に回り、彼女は2台の車に挟まれた。


「へぇ……」


 オープンカーに乗った若い男が、レディに好奇の目を輝かせた。


「おーい! 変な奴がいるぞぉ?」


 ドアに両手をだらりと投げ出し、前方に止まった自動車に向かって叫んだ。


「俺、知ってる―――! テレビで見たぁ。人間に馬をくっつけることに成功したって言ってたぁ――――!」


 同じように天井を外したオープンカーの男が身を乗り出して叫んでから、ゆっくりとドアを開けて外に出ると、レディをにやにや笑いながら見て、もう1台の自動車へと近づいていった。


 レディは背筋を伸ばし、冷たい表情を全く崩さなかった。


「面白いな」


 物珍しそうな目でレディを見ながら、ボンネットに寄りかかった。


「不気味だぜ、馬の首の代わりに人間の上半身がくっついてら」


「でも美人じゃないか」


「顔はな」


 一応の値踏みが終わったらしい。くすくすと笑いだした。


 レディは男たちを睨みつけた。


「どこかへお行き」


 冷たく言い放った。


 唯一、実験体である人工生物に与えられている権利は、『なにものも実験体に危害を加えてはならない』という法律だけだ。


 問題はそれが彼らに通用するかどうかだった。


「どこかへお行き」


 レディはもう一度言った。


「へぇ、えっらそうによ! やっと喋ったかと思えば、そんなことかよ!」


 2人は面白そうにレディを見ていた。


「早く行きなさいよ。あたしに危害を加えたら、監獄行きよ」


 レディは威嚇するように睨みつけた。


「かわいい顔しているんだからさぁ。睨むとせっかくの美人が台無しだよ?」


「そうそう。こうして会ったのも何かの縁。仲良くしようよぉ」


「早く行きなさいよ!」


 レディは右手で進行方向に延びる道を指さした。


「行ってもいいんだけれどさぁ」


 ドアを開けて、もう一人の男も出てきた。


「その前にさぁ。あんたの背中に乗せてくれないかなぁ。俺、馬に乗ったことないんだよ」


「あっ! お前、いやらしいな」


「なんでだよ?」


「背中に乗って、どこを掴むか考えろよな」


 2人はシースルーのカーディガンしか羽織っていないレディを見つめると、ゲラゲラと笑い出した。


「おっぱいもみもみ。乳首ぐりぐり。いい声でくかな? やりてぇ!」


 レディは怒りに身体を小刻みに震わせ、2人の前まで歩いていくと見降ろした。


「いい加減にしてよ。くだらないこと考えてるんじゃないわよ!」


 レディはすらりと伸びた前足を高く上げた。


「その気になれば、あんたたちなんか一蹴りで殺せるのよ。私があんたたちを殺しても、私は法律で守られているんだからね」


 レディは前足を降ろすと自動車に近づいた。小刻みに足を動かして方向転換すると、後ろ足で思いっきりドアを蹴った。ドアが簡単に『べこり』と凹んだ。


「野郎!」


 不意を突かれた男たちは驚いて怒鳴った。


「あっはっは。こういう時は便利な身体じゃない!」


 レディは小悪魔のように目を光らせて笑うと、亜麻色の髪を大きく振り、彼らを置き去りにしてゆっくりと走りだした。


「面白いじゃない。上半身を見て『美しい女』って言うわ。でも下半身を見ると『馬』って言うのね。それじゃぁ、全身を見てなんて言うのかしら。『馬に人間をくっつけた?』それとも『人間に馬をくっつけた?』うふふ。もうどっちだっていいわ。人間でも馬でもないんだもの」


 眠りについている都市は、レディの嘆きを全く無視した。


「奇妙な生き物ね。あたしは人間なのに、誰も人間には見てくれない。自然の生き物じゃなくて、人間によって創られた『人工生命体』よ! でもあたしは人間の心を持っているのよ! 馬じゃないわ。馬の下半身を持っているけれど、私は馬じゃないわ。あたしって何なのよ。身体はこの都市と同じように人間に創られた。あたしの心は全く無視されてね」


 叫んだレディは、突然背後からライトにて照らされた。


 反射的に振り返った彼女を4つのライトが睨みつけていた。


 エンジンは吠えるような声を発し、レディに向かって威嚇した。


 レディを取り囲んだ2台の自動車は、何度もアクセルを踏み込んでレディを煽るように叫んでいた。吠え続ける自動車の中で男が怒鳴った。


「走れよ! 馬! キツネ狩りならぬ『馬狩り』だ!」


 レディをけしかけるように自動車の鼻先を彼女に近づけた。



***********


お読みいただきありがとうございました。


お時間がありましたら、同時掲載の「異世界ファンタジー」の方にも、お立ち寄りいただけると嬉しいです。


よろしくお願いします。



https://kakuyomu.jp/works/16818093074747194806

 



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