第58話 嫌われた⁉②
レオナールからぱたりと連絡がなくなり、二週間以上が過ぎた。
自分の部屋で缶詰めになり、朝から晩までびっしりと勉強していれば、レオナールのことを考えずに済んだのに……いい加減することもなくなった。
読み込んでいない貴族新聞はもうないし、今さら宝石のことで新しい本を買うほどでもない。
気持ちを紛らわそうと没頭したことに一つの区切りを迎え、無駄に時間が過ぎていく。
けれど……何かしたいことも見つからず、朝から晩までボケッと窓からの景色を眺めている。
正確には、ラングラン公爵家の馬車が来ないかな、という願いもこもっているけど、期待どおりにはいかない。
「はぁ~あ──」
失望のため息が、部屋に大きく響くと同時に、後ろから兄の声が聞こえた。
「エメリー」
「あれ? お兄様はいつ来たのかしら?」
「ノックをしても、返事をしないから入ってきた」
「……そう」
「最近まともに食べてないだろう。エメリーの行きたい場所へデートに行って、好きなものを何でも食べさせてやるぞ」
「食べたいものなんてないわよ」
「そうか。なら、アンジー湖にでも行くか」
「え~、どうしてお兄様と行かなきゃならないのよ」
「スワンボートに男一人で乗っていたら気味が悪いだろう。モテ期到来の俺だ。これからは恋人をエスコートする必要があるから、エメリーは俺の練習台に付き合え」
それを聞いて、くすりと笑った。
練習台なんて、どこかで聞いたようなセリフだ。
……っていうか、私がレオナールに言った言葉のような気もする。
さすが似たもの兄妹ねと思うものの、自然消滅を迎えたレオナールとの関係を忘れ去りたくて、気分転換したい心境ではある。
「ふふっ、良いわよ。報酬はふわふわのサンドイッチで手を打ってあげるわ」
「はぁ? あのぼったくり価格のサンドイッチか?」
「レッドダイヤを持っているくせに、ぼったくりなんてセコイことを言わないの。湖畔にデートへ行くならそこも下見が必要でしょう」
「そうだな。じゃあ、リビングで待っているから早く着替えて来いよ」
微笑む兄が「急いで用意するんだぞ」と言い残し、部屋から出ていく。
こうやっていつもどおりの時間を過ごしていくうちに、レオナールとの思い出は、一つひとつ上書きされていくんだなと、窓の外へ、再びため息をはいた。
◇◇◇
レオナールと一緒に来た湖でもあるけど、かつては兄と足しげく通った湖でもある。
それでも、いまいちはしゃぎきれない私は、到着早々、木陰のテーブルへと向かった。
椅子に腰かけると、深く息を吸い込んみ、綺麗な空気を堪能してから、思い切り吐き出した。
「ぷはぁ〜、やっぱりここは気持ちがいいわね」
「そうだな」
「湖が遊泳禁止になって少し残念よね」
「いいや、遊泳禁止になってくれたのは大歓迎だ」
「ええ~、どうしてよ」
「そうでなければ、エメリーに付き合わされて、俺まで泳がないといけないだろう」
「とかいって、私よりも張り切って泳いでいたじゃない」
「向こう岸まで泳ぐと言い出したエメリーは、俺が説得してもやめようとしなかっただろう。兄として嫌々付き合わされていただけだ。途中で必ず疲れるくせに、目標ばっかり高くて大変だったんだぞ」
呆れながらに言われた。
「はは、それは覚えているわ。遥か向こうにある岸に、何があるのか知りたかったのよ。でも、大人の視界で見ても、対岸まで遠くに感じるんだから、今にして思えば無茶な発想だったわね」
思い起こせば幼い頃の私は、向こう岸まで泳ぐという、わけの分からないこだわりで兄を困らせていたんだ。
大抵足が地面に届かなくなった所でへばってしまい、兄が私を連れ帰ってくれたのだ。
「昔も今も感情のおもむくままなのは、変わらないな」
「性格なんて、そんなに変わらないもの」
「そうだな」
「次はどこに行こうかな……」
「もう次の話をしているのか」
「そうそう! 観たい演劇があったんだわ。一般席で妥協してあげるから連れて行ってよ」
「……何が妥協だ」
「いいじゃない、チケットを買う練習が必要かもしれないもの」
「そうだな……。屋敷に帰ったあとに、一般席で妥協する気があるのなら、俺の練習に付き合ってもらうか」
「どうせ私なんかは野次馬の最後尾だし、一般席が一番しっくりくるのよ」
「そうだな。俺たちにピッタリな末席で我慢しろよ」
記憶喪失のふりなんて嘘をついたせいで、レオナールにすっかり軽蔑された私は、もう彼の視界にも入らないのだろう。
「ここにいても、みんなして私を馬鹿にするし……。あの対岸に見える国で暮らそうかな」
「彼がエメリーを迎えにこないなら、誰も知らない場所へ連れ出してやるよ。そうなれば、もうレオナール様には会えないな」
「レオナールはもう来ないわよ。せっかく素直になろうと思ったのに、何も言えずに終わってしまったわね。……嘘なんて、つかなきゃ良かったな」
湖をぼんやり見ていると、自然と口をついた。
「必要な嘘だってあるだろう……まあそれはいいとして、厚焼き卵のサンドイッチを、あの値段に怯まず、かっこよく買ってくるとするか」
「げっそりしながら戻ってきたら、やっとできた恋人に、器の小さい男だと思われるわよ」
「それはまずいな」
「そうだ、果実水は二杯でよろしくね」
「普通二杯もオーダーする令嬢はいないから、そんな練習はいらないだろう」
「ここにいるけど」
自分を指さすと「はいはい」と笑った兄は、売店へと向かった。
騒がしい兄がこの場からいなくなると、周囲の音がやけに静かに感じ、気まずくなったレオナールとのデートを嫌でも思い出す。
これから二人で思い出を作ろう、って言ってくれたくせに……。
「レオナールの嘘つき……。もう大っ嫌いなんだから……」
目の前に広がる湖に叫ぶと、砕いたレンガを敷き詰める遊歩道を、誰かの歩く音がする。
踏み締める音が大きいから男の人だろうが、足取りがやけに遅い。
値段に怯んだ兄が、軽めのトレーを握り、戻って来たのだろう。
やっぱりねと思い、にっこりと笑って振り返った。
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