第59話 嫌われた⁉③

「随分と早かったわね──」

 そう言った直後、その足音の人物からぎゅうっと抱きしめられた。


「エメリー……。俺のことを軽蔑しているだろうが、他の男を選ぶのは考え直してくれないだろうか」

 頭上から聞こえる弱々しい声は、レオナール……?


「ぇ……?」


「俺がエメリーに嫌われているのは百も承知だが、俺はエメリーでなければ駄目なんだ」


「レ、レオナール⁉」

 間違いないと思った私が、素っ頓狂な声で彼の名前を呼ぶと、私を抱きしめていた腕を離し、慌てた様子で一歩後退した。


「どうしてここにレオナールがいるの?」

「ダニエル殿から『エメリーが男とデートに行く』と、知らせを受けたから、居ても立ってもいられなくて駆けつけてきた」


「私が……デート⁉」


「ああ。一週間前に、ダニエル殿から『エメリーがずっと傍にいたい男を見つけた』と、知らせを受けたから、もうエメリーとの結婚は叶わないだろうと諦めていた」


「兄がそんなことをレオナールに言っていたの?」


 そう尋ねると、沈んだ声が返ってくる。


「エメリーが俺を嫌っているのは分かっていたから、エメリーのことを早く忘れて、諦めようとしていたんだ。だけど……エメリーが他の男と出かけるというのは、どうしても我慢できなかった」


「どうして?」


「この二週間、エメリーの存在を頭の中から消そうとしたが、俺には無理だったから」


「私のことを、レオナールが嫌いになったんじゃないの?」


「エメリーは俺の天使だから嫌いになるはずないさ。元から嫌われているのに、俺がエメリーにとんでもない嘘をついていたから、……虫けらのように俺を嫌悪しているのは分かっているのだが」


 私を「天使だ」と、さらりと言ってのけたレオナールが、浮かない顔をする。


 この二週間、私が悩んでいたのは、一体なんだったのだろうと考えてしまえば、今の状況が滑稽に思えて声を出して笑った。


「ふははっ、レオナールってば酷い勘違いだわ」

「勘違い?」


「だって私は、レオナールのことを嫌っていないわよ。むしろ私の方がレオナールに嫌われていると思っていたけど」


「今だって、俺のことを『嫌い』だと、言っていただろう」


「せっかく伝えたいことがあったのに、言わせてくれないんだから、ずるいわよ」


「ああ〜、アリアからエメリーが記憶喪失のふりを指摘されたことは聞いたさ。……だから、もうお終いだと覚悟したんだ」


「ん? それってどういう意味かしら。もしかして、レオナールは私が記憶喪失のふりをしていると気づいていたの」

 それを尋ねると、彼は湖に視線を向けて話し始めた。


「うん。スワンボートに乗っているときに、エメリーが記憶喪失のふりをしているだけなんだと気づいた」


「ええー、そんなときから気づいていたの⁉」


「まあね……。俺に水をかける勇気のある令嬢は、エメリーしかいないだろう。それで、今までと変わらないエメリーだって気がついた」


「どうして気づいたのに何も言わなかったのよ……」

 もしや、下手な猿芝居をしているなと、内心笑われていたのだろうかと、暗い顔を見せる。


「エメリーが記憶喪失のふりをしてくれるのは、俺にとっても都合が良かったから、そのままでいて欲しかったから」


「アリア様は、レオナールが私の記憶喪失を悩んでいるって言っていたけど」


「記憶喪失のふりを、いつやめられるか不安でたまらなかっただけだ。それを言われることを考えれば、食事も喉を通らなかったし」


「酷い……。普段の私は『嫌だ』ってことなの」

 しゅんとして言うと、慌てた彼は凄い勢いで否定する。


「ごめん、そうではなくて。悩んでいたのは、俺とは二度と会わないと言われると考えていたからだ。『恋人だった』と嘘をついて、行ってもいない場所にしか連れていかない俺のことなんて、嫌われる理由しか見当たらないから」


「ふふっ、良かった~。てっきりレオナールに嫌われたと思い込んでいたけど、違ったのね」


「ん? 俺を罵倒してこないのか?」

「もうレオナールってば、罵倒されたいわけ?」


「そうではないが、てっきりそうなる覚悟をしていた」

「するわけないでしょう」


「俺が恋人だと言ってエメリーを振り回したことを、怒っているだろう」


「いいえ。一緒に出かけたのが楽しかったから、怒ってないわよ」

「本当か⁉ ……それはこの先も俺と一緒にいてくれるということだろうか?」

 彼は、恐る恐る尋ねてきた。


「レオナールのことを好きにさせておいて、今さら一緒にいてくれないつもりなの?」


「好き……?」

「大嫌いだったはずなのに、会ってくれないと寂しいんだもん。これってレオナールのことを好きになったんだわ」


 そう告げると、レオナールが打って変わって満面の笑みになる。


「この先もずっと俺とエメリーは、一緒にいるに決まっているだろう。だが、エメリーは誰かとデート中ではなかったのか?」


「ふふっ、そんなわけないでしょう」


「いや、ダニエル殿が俺にデートの報告をしてきたんだ。それにエメリーは、俺と誰かを勘違いして声をかけていただろう」


「レオナールってば、すっかり騙されているのよ。お兄様が私を利用するために連れ出すときは、いつも『デート』って言うからね。ここに一緒に来たのは、そのお兄様とよ」


「ん⁉ ダニエル殿に俺が騙されたと言うのか?」

 彼に「そうよ」と伝え、顔を動かし売店を見やる。そうすれば、兄の姿はどこにも見当たらないうえ、このベンチまでの遊歩道にもいない。


「お兄様ったら、サンドイッチを買いに行くと言ったきり、スタンドの前にもいないじゃない」


 ──してやられたなと思う私は、レオナールの顔を見つめる。

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