第37話 そして幼児は全力で走り出す。

 筋肉痛云々はさておき、作業自体は早くから始めたのでまだ昼前位である。やる事も作る物もまだまだ沢山ある。


 石鹸作りだけで一日を終わらせられる程の余裕はない。怠い腕を揉み解しながらも次の予定に移る。

 

 例の手作りシャベルモドキを手に取り、鍛冶場側の、水路の近くにある地面を掘りだす。一メートル幅ほどの浅い穴と少しだけ深い穴を二か所、それぞれ少し間隔を開けて掘る。


 因みに、何故シャベルと呼んでいるかと言うと、シャベルは穴を掘る為の道具でスコップは土を運ぶ為の道具であるので、少年の拘り的にシャベルと呼んでいる。


 まぁ足を掛ける所を付けたからシャベルだ、と言う安直な発想であり、正直スコップと呼んでもなんら問題はない。


 実際に穴を掘り終えた後、クリンは別の場所から土を掘り起こして運んでいるのでスコップとしても使っているのだから、実は定義は曖昧だ。


 


 運んだ土は浅い方の穴に入れ、鍛冶場から手桶を借りて水路の水を汲むと、土の入った穴に並々と注ぎだす。


「これ、何気に水が大量に必要だから水路が側に有って助かるわ~」


 タップンタップンに水を湛えた穴を満足そうに眺め、クリンは履いていた草を編んだサンダル——勿論手製だ——を脱ぎ、服の裾を引き上げ腰紐に挟むと水を貯めた穴に飛び入り、


「イャッフゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥッ!! 怪獣大進撃じゃぁっ!!」


 バシャバシャと水を跳ね上げ、足で中の土を踏みつけ、手を突っ込んでは泥を捏ねまわして掻き回す。見る間に浅い穴は泥まみれに成っていく。


 別に急に幼児後退を起こして泥遊びを始めた訳では無い。縄文人もやっていた(と言われている)由緒正しい土器用粘土の精製方である。


 ある程度入れた土が攪拌され十分混ざった段階で、深めに掘った隣の穴に向かって浅く傾斜を付けた溝を掘り、ソコに水が流れる様に足や手で泥水を攪拌しながら水を送る。


 こうする事で、粒子の荒い土は浅い方の穴や溝に留まり、粒子の細かくて軽いものだけが下の深い穴の方に溜まっていく、と言う寸法である。勿論Mrも動画内でこの方法で粘土を取り出して見せている。


「現状、一番扱いやすい素材は土だもんねっ! まさか異世界に来て土器作りまでやるとは思わなかったけど、道具が無ければ作るしかないもんね!」


 土がある程度減れば土を足し、水が減れば水を足して穴に飛び込みジャブジャブと水を跳ね上げ続ける。何気にこの作業は童心に帰った様で楽しく感じて来ているクリンである。


「入院中も生まれ変わってからもこの手の事なんて出来なかったからなぁ。何か子供に戻った気分だ。おらぁー、巨人様のお通りだぁ~っ、東〇だ、〇谷じゃぁ!」


 粘土の精製が目的だが泥水の中で暴れると言うのは、男にとっては何かしらの琴線に触れる様で、童心を掻き立てるものが在る様だ。


 最も、クリンは前世の記憶があるとは言えこの世界では五歳児の、立派なお子様である。似合い過ぎるほどに似合っており、暫しの間本来の目的を忘れて暴れ続けたのだった。


「いや、ただの粘土精製作業だからねっ! 単純作業だから気分を上げるためにやっているだけだからねっ! 趣味な訳じゃないんだよっ!!」


 何やら言い訳みたいな事を言っていたが——その声が届く事はなかった人コレを閑話休題と言う——


 尚。クリンが借りている鍛冶場は確かに村外れにあり人気が殆どないのだが、全くない訳では無い。かなり離れているが木工の作業場や革細工の作業場もある。


 そちらには人がちゃんと居り、住み込みも通いの人もいる。


 つまり。


 クリンのハッチャケた姿はたまたま水路の向こうを通った木工所の人にバッチリ見られており、遊ぶ相手が居ないからそれまで頻繁にしていたお手伝いを休みにしてまで一人で泥遊びをする寂しい子供として村の住民に伝わったと言う。


 


 そんな事とは露知らず。浅い方の穴には土から落ちた小石や木屑や落ち葉などのゴミ、目の粗い土だけとなり、水の濁りは大分解消して深い方の穴に濁った水が一杯になっている。


 これで一晩置けば濁った水は沈殿し、水分は地面に吸収されて綺麗で目の細かい土が残り、それが上質な粘土になる。後は待つだけなので、今日の所は出来る作業はこれで終わりである。


 まだ日が落ちる前であるので、一旦石鹸の様子を見に行く事にする。半日程しか経っていないが、表面はもう乾いており少し艶が出てきているのが見て取れる。


「おおおおおおお、固まってるよっ! ちゃんと出来るもんなんだなぁ……」


 ジィーンと感動に浸る。知識では出来ると分かって居ても、実際に目にするとやはり感動が違う様だ。小屋に置いておいた鈍らナイフを持ち出し、数センチ分切って取り出す。


 まだ大分柔らかいが、これなら十分石鹸と呼べるだろう。クリンはヨシ、と一人頷くと竈へ向かい火を熾す。手鍋に水を入れ沸騰する間外に出て、水路沿いに生えているローズマリーを幾つか摘み、沸騰した鍋に入れて煮出して行く。


 十分ほど煮たらローズマリーを取り出し、軽く濾してから前の住人が残したままであるワインビネガーを取り、目見当で煮汁の一割程度の分量を入れて棒で掻き回す。


「よし、コレでリンス、いやリン酢の完成だぁっ!」


 前世ではローズマリーは若返りのハーブと言われており、古来から珍重されておりその煮汁は「元祖美容液」或いは「元祖毛生え薬」と呼ばれて居たりする。


 実際の所そこまで効果は高くないのだが、現代でもヘアケアにはローズマリーが定番であり、手作りリンスのベースとしてよく用いられており、ワインビネガーと混ぜるのがポピュラーなやり方である。




 石鹸は出来た。リンスも作った。ならば必要な物はあと一つ。再び竈に戻り鉄鍋二個を使いお湯を沸かす。その間に鍛冶場に行き少し大きめの平桶を外に引っ張り出し、水を掛けて軽く洗う。そして水を少量溜めるとおもむろに服を脱ぎ始める。


 筒型衣服なので紐を緩めれば頭からスポッと脱げる。脱いだ衣服はそのまま水に浸けてジャボジャボと漱ぐ。そして出来たばかりの石鹸。


 最後の一つの前に先ずはお洗濯の時間である。乾燥が不十分でろくに鹸化もされていないが、現状でも使えない事は無い。


 鹸化していないので泡が殆ど立たないが、衣類に塗って擦ればキュキュッとした手応えがし、十分汚れが浮いて来る。


「あ~やっぱり水だけじゃあまり汚れは落ちないんだなぁ。石鹸使えば汚れがちゃんと落ちて行くのが分かるよ……コレはきちゃないと言われるわなぁ……」


 ゴシゴシと服を手で擦りつつ一人ボヤく。平桶に汲んだ水は瞬く間に黒く濁っていき、布地が上等でも汚れていたのだと改めて分かる。


 前世では豚脂、猪脂で作った石鹸は汚れ落ちも良く、肌にも環境にも優しいとか言われていたな、と、ふとそんな事を思い出す。


「まだ鹸化が終わっていないのにここまで汚れが落とせるのは確かに凄いよね。まぁ、向こうの猪とこっちのボアが同じ性質を持っているかは謎だけどさ」


 因みに。この世界では農民は基本筒型衣に下履きを履くが、貧乏な村だと筒型衣一丁である。つまり、服を脱いだクリン君はフル〇ン丸出しである。下着? そんな物が貧乏な村にある訳が無い。そしてこの世界では大きな町のソコソコ金がある住人以外は下着なぞ付けていないのが普通である。


 外で裸になる羞恥心もとっくの昔に無い。前の村では農奴扱い。服は着の身着のまま。洗えば裸になるしかないし、何か粗相をすれば裸に剥かれるなど基本だ。


「余裕が出来たらフンドシでも作るか。流石に配信ニキじゃあるまいしノーパンフル〇ンと言うのは落ち着かないし。六尺だと布が大変だから作るなら越中かもっこかなぁ」


 などと一人でブツブツ言いながら服を洗う。ここで西洋のパンツに行かない辺りは日本人ぽい。最も西洋式パンツは裁断が面倒くさいと言うのもあるのだが。


 泡は立たないが結構汚れは落ちたように感じ、水を数回変えて漱ぎ、仕上げに用水路でガシャガシャと洗い流し、洗濯した水はその辺の草に掛けて流す。オール天然素材で作った石鹸だから出来る芸当である。


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