第36話 先達の知恵と努力は偉大である。
「ククク、見ていろよ幼女! これでもう二度とバッチイだのくちゃいだの言わせないからな!」
ヤレヤレと頭を振りながら帰るトマソンを見送り、桶にミッチリと詰まったファングボアの脂身を抱えてクリンは一人ほくそ笑む。
傍から見れば怪しいことこの上ないのだが、残念ながら今は見る者も突っ込む者もいない。
桶を抱えて小屋の中に戻ったクリンは、纏めて置いた荷物から歪んだ鉄鍋を引っ張り出すと竈に据え、火を焚いてお湯を沸かす。
沸騰するまでの間、脂身の入った桶を持って水路に向かい、ジャブジャブと洗う。目見当で三キロ位は有りそうなので、結構時間が掛かった。
洗い終えて小屋に戻ると丁度湯が沸いているので、そのお湯の中に洗った脂身を数掴み分放り込む。再沸騰し灰汁が浮かんでくる頃合いで脂身を引き上げ、別の桶に組んでおいた水の中に移す。
今彼がやっているのはラード作りだ。中華料理店などではラードと称して直接脂身を火にかけて居たりするが、アレは本来ラードでは無くただの
クリンがやっている様に灰汁と最初に出る不純物の混じる脂を落としてから改めて脂を取り出し濾すと言う、精製工程が入った物がラードだ。
簡単な見分け方は冷えて固まった時に白、若しくは薄いクリーム色になるのがラード、茶色く色が付いて居るのが豚脂である。
唐突にラードを作り出したのは、何も食べる為では無い。いや、勿論少しは食用に使ったり他の目的で使う予定だが、本来の目的は精製した脂が欲しいために、結果的にラードを作る事になっただけである。
何度か脂身を茹でては引き上げを繰り返し、全ての下処理が終わると鉄鍋を一旦洗い竈の薪量を調節し弱火にすると、処理済みの脂身をナイフで粗く刻んでから鍋に放り込んでいく。半分位で鍋が一杯になったので何度か繰り返す必要がありそうだ。
そうこうしている内に脂身がジュクジュクと言いだし、脂が染み出て来る。本来のラード作りならここで匂い消しとなる香味野菜や香辛料を入れる所なのだが、今回は食べるのが目的では無いのでなにも入れずに脂だけを煮出していく。
やがて脂身がカリカリになり、脂が十分抽出された頃合いで脂身を引き上げ、以前の住人が残してあった大き目の壺の中に、コレも残してあった布の切れ端を煮沸消毒して上にかぶせ、脂を注ぎ入れる。これで冷めればラードになる。
そして残りの脂身で同じ工程を繰り返しラードを作っていく。その間、もう一つの竈で元からある鉄鍋に水を張りお湯を沸かす。煮立って来たら竈から掻き出した木灰をバサバサと放り込みグラグラと煮立たせる。
灰汁と言うヤツである。木灰を煮詰める事でその煮汁はアルカリ性の液体になる。コレがラードと並んで今回作る物に必要不可欠なものである。
そう。彼が今必死に作ろうとしているのは——『石鹸』——である。
石鹸の歴史は古く、紀元前三千年前には既に存在している。現在の様に苛性ソーダだの精製油だのの無い時代から作られており、その頃からコレと同じような手法で石鹸が作られて来たのである。
何故、前世で十六歳までしか生きていない彼に、こんな知識があるかと言えば——
「マジありがとうサバイバルニキ!! 貴方が動画内でやっていた事を異世界で丸パクリさせてもらっています!! アンタ最高だよっ!!」
皆さんご存じ(?)海外人気動画配信者、Mr.フルモンティことハンドルネーム、
涙を流さんばかりの感謝の念を異世界越しに送っていると、少年の脳裏に、三十過ぎの厳つく爽やかな笑顔の白人男性が歯を光らせながら、
「
と言い放ちサムズアップしている幻影が見えた。気がした。かも知れない。多分。因みに脳内の彼は勿論マッパであった。
——
灰汁が冷めて灰が沈殿していくまでの間、残りの脂身から良い感じに油が出て来たので、先程と同様の手順で濾して壺に溜めて行く。再び出た脂身は味付けして油かす行に。
そこまで作業した所で、ふと気が付き辺りを見ればもう夜になっていた。木灰が沈殿するのに大体一晩はかかるので、切りがいいので今日の作業はココで止める。
夕食に麦粥を作り、そこに貰った肉をスライスし少し入れ、ついでに油かすと残ったハーブ類を適当に鍋に入れ一煮立ちさせる。
肉と香草入りの贅沢な麦粥(実際はライ麦粥)の完成である。しかも前の村から持ち込んだ塩で味付けまでしてある。クリン的にはかつてない程の大御馳走である。
「おぉ……同じ草でもやはり雑草と香草では味も香りも違うね……ああ、肉が入っている贅沢……なんて幸せな……麦粥最高!!」
粥を啜り込みご満悦のクリンはこの日、腹がはちきれる位までに食べ、口を漱ぐと大満足で眠りに着いた。
翌日。いつも通りに日が昇る前に目を覚ますと、まだ暗い中外に出て昨日燃やしていた炭を掘り起こす。この村に来た時に改めて作り直したシャベルモドキ——材料を現生して時間もかけたので大分丈夫である——を手に、被せた土をどかすと、見事に真っ黒な炭が姿を現す。
原始的な製法なので殆どが割れており細かい炭になってしまっているが、別に売る訳でも無く、炭として燃えればそれで十分。クリンは気にせずにニンマリと笑った。
「うん、上等上等。初めてにしては良い出来なんじゃなかろうかな」
ゲームの中では炭も作れてしまうので、やり方自体は知っているし、作った事も有った。だがそれはやはりゲームの中であり実際に肉体を持って作るの初めてであり、何よりも向こうではちゃんとした炭焼き釜で作る。こんな原始的な方法では無いし材料も品質も違う。何よりゲームではシステム的に簡略されている。現実となった今ではそんな物は無い。
それでもしっかりと炭が作れた事にクリンは満足し、鍛冶場から使われていない空の木箱を持ち出しそれに手製のシャベルで炭を掬って入れて行く。
炭を詰めた木箱を鍛冶場に運び込むと、今度はラードと灰汁の様子を見る。ラードはわずかにクリーム色がかった白に固まり、灰汁は沈殿し綺麗な上澄みができていた。
「よーしよし、こっちも上手く行っているな。これなら十分石鹸に出来るっ」
壺と鍋を除き込みながらニンマリと笑う。傍から見れば怪しい光景だが気楽な一人暮らし。見られる心配はない。
早速加工に入りたい所だが、これからの作業は結構手間がかかるので先に昨日の豪華版麦粥の残りで朝食を済ませる事にする。
軽く温めたソレを「うまうま」とかき込み、一休みしてから鍛冶場に向かう。
作業場を掃除した時に見つけた、細かい用具や小物などを入れるために使っていたらしい真鍮製の箱を見つけていたので、中身を取り出し借りる事にする。
長方形で丁度いい大きさの物が数箱あったので、それを石鹸の型にするつもりだ。
石鹸が固まった時に取り出しやすい様、底には薪拾いの時に集めておいた大きい葉を幾つか敷き詰めて置く。
「本当は別の目的で使う予定だったんだけどね。何が幸いするか分からないや」
敷き詰め終えた真鍮箱を抱えて小屋に戻ると、竈に火を熾し、壺に詰めたラードを鍋に戻して温め溶かしていく。ここでは煮えたぎらせる必要がないので、溶けたら壺に戻し灰汁の上澄み液を掬ってそこに流しいれる。
「後はひたすらぁーーーーー混ぜる混ぜる混ぜるぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!」
用意しておいた木の棒を壺に突っ込みグリグリと混ぜる。混ぜる。ただひたすら混ぜる。飽きても混ぜる。実に地味な作業である。ただここで手を抜くと上手く固まらない事もある。なので疲れても飽きても休むわけには行かないのだ。
「ふんぬぅぅぅぅぅぅぅぅぅっ!秘儀、倍速混ぜだぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
口で言いつつ勢いを増してかき混ぜる。が、多少早くなっただけで倍速とまでは言えない速度である。そしてあっという間に疲れる。
「あ゛~~~~~~~~~~~~~~~だるっうぅぅぅぅっ!!」
五歳児の体力などこんな物である。余計な事はせずに普通にかき混ぜる事暫し。
ラードと上澄み液は完全に混ざり、ネットリとした粘り気を持ち始め、棒に絡まる石鹸の原液が糸を引き始める。
「おおおおおおおおお、混ざったっ!確かこんな感じに粘って艶が出て糸を引く様子になれば頃合いだった筈っ!」
前世の記憶を頼りに、ここでいいタイミングであろうと見極め型に流し込んでいく。流し終えたら木べらで表面をならし綺麗にする。それで——
「後は乾燥させて固まれば良い筈! ふはははははは、やったぞ僕! 原始的な環境で
正確にはまだ完成していないし、何より石鹸として実用にするには鹸化と言って一ケ月はこのまま熟成させる必要が有る。地球でも五千年からある物なので文明的と言う程でもない。
それでも完成の目途が立った事でクリンの喜びはひとしおだ。しかし……
「調子に乗ってラードと灰汁を作り過ぎちゃったから同じ事を何度か繰り返さないといけないんだけどねっ!」
まだまだ大量にラードは残っている。そして真鍮箱も残っている。こうしてまた最初から石鹸作りの作業を始め——クリン君の腕は翌日激しい筋肉痛に襲われる事になるのだが……それは後のお話である。
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おかしい……Mrトーマスなんて最初名前なんて無かったのに……
1、2行で出番終わりだった筈なのに……
自分で書いていて何か気に入っちゃった(笑)
その内スピンオフでも書いてやろうかな(*´ω`*)
……需要ないか。プリ尻のオッサンなんて……(;´・ω・)
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