3 合理性――Are you right? ――
3 合理性――Are you right? ――(1)
森の小道を、エイクとソリをひいたセールが歩いて行く。
周りはおとぎの国らしく、千歳飴のような下草やウイスキーボンボンのようなチョコレートの実がついた木々が立ち並んでいる。
「おいしそうだな」
セールが、地面に落ちているグミの果肉を持つりんごの実を見つけて呟いた。
もちろん、セールは食事する必要はないが、『恋人』に共感できるように、味覚は有している。
「そうね。確かに味はいいと思うわ。私は絶対食べたくないけど」
スポンジケーキの形をした木を一瞥して、エイクは歩を進める。
「どうしてだ?」
「植物が他の動物に実を食べさせるのは何のため?」
エイクは幼児を指導する教師のように、セールの視線の先にあったりんごを指差した。
「もちろん、子孫を残すためだ」
セールはガラスの瞳をエイクの影に落として言った。
ふと考える。
自分は子孫を残すことができないのに、『恋人』を愛していいのだろうか、と。
『恋人』は人間だ。人間の女は子供を欲しがるものらしいのに、自分の存在だけで満足してもらえるのだろうか。してもらえないとすれば、別の男と番わせるしかないわけだが、自分はそれを許せるのだろうか。
「そうね。でも、そのためにはじっくりねっとり、胃やお腹の中を旅してもらったら、種は困るでしょ?」
セールの苦悩に気付くことなく、エイクは胸から下腹部にかけたラインを指でなぞって言う。
「ふむ……毒か」
「ええ。まあ、大抵はお腹を下す程度よ。中には、死体のお臍から生えてくる奴もあるらしいけど」
「忠告感謝する。この世界は豊かだが、人間に都合良くできている訳ではないのだな」
セールはしみじみ噛みしめるように言った。
「あら、食べないの? 私の鋏でいい実をとってあげようと思ったのに。あなたなら、食べても何の問題もないわ。おいしさだけ味わって――その後はどうなるのかしら?」
エイクは自身の思索の限界を認めるように尋ねた。
「……聞きたいか?」
食べたものは出さなければならない。人形とて摂理には逆らえない。
「いいえ、別に。ただ、せっかくの機能がもったいないと思っただけ」
「俺は『恋人』が口にするものと同じものを口にしたいのだ。この感情は人間として正しくないのだろうか?」
『恋人』にそう造られたからか、自発的なものなのかはわからないが、セールはとにかく人間らしくありたかった。
唐突に、エイクの手から鋏が離れた。
独りでに宙を舞い、セールの眼前に突き刺さる。
『なぐさめの期待を前提にした質問を私は厭う。痛みを人に預けようとするのは卑劣だ』
地面を抉り、そんな文字を描き出した。
「すまない。あなたが描いた文の意味が俺にはわからない」
セールは錆びた鋏の支点を見つめ、頭を下げた。
「ほっときなさい。時々、よくわからない沸点でキレるのよ。私の鋏は」
手持ち無沙汰になったエイクが大きく伸びをしながら、達観したように言った。
『さすがにそこまでは精巧に造られているわけではないのか。いや、違う。『恋人』自身も未熟なために、汝を理解できるように仕上げられなかったのか。汝の『恋人』は幼いのか?』
セールには、『恋人』の姿を明確に思い浮かべることができた。だけど、それは自分の中だけにしまっておきたかった。誰かに話してしまうと、『恋人』の面影が薄れてしまう気がして。
「……」
『僭越だったな。答えずとも良い』
鋏はそれだけ記すと、吸い込まれるようにエイクの手の中に戻っていく。
「お話は終わった?」
エイクは自身の手に収まった鋏を焦点の定まらない瞳で見つめる。
「ああ。さっきの質問は取り消そう。してはいけない問いのようだから」
セールは鋏が記した文字を噛み砕こうと、ゆっくり言葉を紡ぐ。
「そう。わかったわ。なら、私も答えは言わない。……でも、そうね。きっと、これから行く街の人なら、こう言うわ」
エイクは鋏の先端についた土を、靴で乱暴にこそぎ落とす。
「『合理的じゃない』って」
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