3 合理性――Are you right? ――(2)

 その街は湖の上に浮かんでいた。


 正確に長さの切りそろえられたブロックが等間隔に浮かんでおり、その間をゴムの橋が繋いでいる。


 エイクが橋に足をかけた。


 セールもそれに倣おうとするが、エイクが手で制す。


「セールは隣の橋から行きなさい」


「なぜだ?」


 確かに数メートル横に別の橋があるが、辿りつく先は同じブロックだ。


「サービスよ」


 セールは頭に疑問符を浮かべながらも素直に従った。


 適度に濁った湖の水が視界の端に入る。


 水面には無数の虫が浮かんでいる。


 毒々しい色をした軟体や、アメンボを肉厚にしたような生き物が無心に水を舐めていた。


 特に目につくのは、腹を天に向けて絶命したたくさんの虫の死骸が、ハスの葉のようにあちこちに固まっていることだ。


 セールはソリを引いて先のブロックに降り立つ。


 その先には、二人の兵士が、その先にある門を守っていた。


 同じような鎧と同じような剣を持って、交互に瞬きしている。


 全く違う容姿にも関わらず彼らは同じに見えた。表情のない能面だからだろうか。


「一人と一体、入国を希望する」


 挨拶も女言葉も省いて、エイクが要求を口にする。


 やがて、セールも追いついた。


「合理的な挨拶だ。俺は入れてもいいと思う」


 右の男が言った。


「いや、合理性は行動だ。彼女たちは、二体とも最短ルートである5の橋からくるべきだったのに、わざわざ、5、6の橋に分けた。これは時間とエネルギーの無駄。非合理的だ」


 左の男が応じた。


「リスクの分散だ。万が一、橋が崩落した時のための用心である。人形はエネルギーを消費しない。そして、私はココノテ、彼は人形」


 エイクは鋏を支えに仁王立ちして、堂々と言い放った。


「なるほど。ココノテは時間に囚われない」


「人形は永遠を生きる」


 右の男と左の男が、顔を見合わせて頷き合った。


『極めて合理的である。一人と一体を、我が国は歓迎する』


 声を揃えてそう言うと、二人の兵士は道を開け、手を挙げた。


 間髪入れずに開いた門を、エイクたちは早足でくぐる。


 街には、三輪の車がそれぞれの速度を損なわない絶妙な間隔で走っている。


 歩いている人々は、皆、左側通行だ。


「ふむ。サービスとはそういうことか。彼らは効率的なことが好きなのだな。だから、エイクは彼らに合せた。しかし、個人の趣向はともかく、国全体で合理性を信仰しているとはどういうことだ」


「そういうあなたのために、あれが用意されているんじゃない?」


 エイクが一番手前にある観光土産屋の店先を指差した。


 そこには、『旅行客用 無料 統計的に旅行者が抱くであろう疑問トップ10を合理的に説明』と題されたパンフレットが陳列されている。


「なるほど。さすがだな」


 セールは感心して言った。


 セール自身の身体が他人の心を理論的に継ぎはぎされているせいだろうか。


 彼らの明快な価値観に親近感を覚える。


 パンフレットを手にとる。


 セールの疑問は、上から2番目と3番目に位置していた。


『トップ2

 いかにして、我が国はできたか。

 我らは流浪の民であった。

 すでに他の土地は、別の民族のものだった。

 だから、我らは誰のものでもないこの湖の上に共同体を創り上げるしかなかった』


『トップ3 なぜ、我らは合理性を至高の価値観として戴くに至ったか

 建国にあたって、一つの問題が発生した。

 食糧の不足である。

 近隣に自生する植物は食用に適さず、家畜も十分ではない。

 他国から食糧を輸入する財産もない。

 我らが食べられるのは、湖の虫たちだけであった。

 しかし、生理的嫌悪感と毒性への懸念が、当時の非合理的な我らを支配していた。

 そこに、一人の至高の合理者が現れた。

 彼は、我らの「生理的感情」のココノハを奪い、代償として「合理性」のココノハを埋め込んだ。

 こうして、我らは他の民族に比べても極めて合理的な人間となった。

 その有効性は明らかであった。

 我らは、民族の中から、残存する寿命が少ない人物を合理的に選別し、食用に適する昆虫とそうでないものを研究した。

 すぐにデータは集まり、我らは食糧を確保した。

 それ以来、我らは民族を救った合理性に感謝し、その価値観を堅持することにした』


「つまり、彼らは毒見させたのか。老人や病人に」


 セールはパンフレットを閉じて、ソリの端にしまう。


 先ほど感じていた好感は薄れ、嫌悪感が顔を出した。


「そうよ。合理的でしょ。食い扶持が減る上に食糧が手に入るんだから」


「うむ……」


 エイクは特に疑問に思っていないようだった。


 しかし、セールは納得できない。だが、なぜ納得できないかは自分でも良くわからない。


 エイクは脇目もふらずにホテルに入ると、サービスカウンターで代金は『一人』分のものであることを記した料金表を目ざとく発見する。そして、セールの分の料金の支払いを拒否することを従業員に論理的に主張し、快く認められた。


 こうして滞りなくチェックインは終わり、セールは釈然としない気持ちでソリに入った荷物を室内に運び込んだ。


「じゃあ、食事にしましょうか。あ、あなたは食べる必要がないから、合理的に部屋で待っていてもらっても構わないけど」


 エイクが『合理的』の部分だけ強調するように言う。


「一緒に行こう。動いても動かなくても使うエネルギーが変わらないなら、見聞を広め、なるべく、多くの情報を蓄積するのが合理的だ」


 セールは、『恋人』がくれた自分の身体を頼もしげに撫でた。


「そう。なら、いくつか商品を持ってきて。どれくらいの値段で売れるのか、調査したいから」


 エイクが小さな布の袋を投げて寄越す。


 セールはお菓子の国で買い込んだカップケーキと飴玉を見繕うと、袋の中に仕舞い込んだ。


 建物は共通の規格で造られているので、パッと見ただけで異同を判別するのは難しい。


 しかし、エイクは迷うことなく目的の場所に辿りついた。


『食糧摂取所』


 と看板が掲げられた店内の入り口付近には、全く装飾の施されていない白磁の皿が積み重ねられている。


 奥には食欲を喚起されないグロテスクな外見の虫料理が、トレイに入れられて整然と並んでいた。昼時が過ぎたからか、あまり量は残っていない。


 どうやら、ビュッフェスタイルのお店らしい。


 エイクは順番待ちの列の最後尾に静かに並んだ。多くも少なくもない適切な人数だ。


「……俺はいらない。――食事をする必要がないから」


 セールが言い訳するように言った。


「そう。じゃあ、先に言って席を確保しておいて。あ、ちゃんと奥からつめてね」


「わかった」


 セールとしては、席が空いているなら、他の客と距離をとって座りたかった。だが、エイクの言う通り、他の客は開いている席の端から、荷物のように整然と座っている。確かにその方が、一目で席が空いているかどうかが判別できて良いのだろうが。


 エイクは奥から三列目、左から七番目の席についた。パイプ椅子のようなものが四脚、中心にある回転式の丸テーブルを囲むように設置されている。


「お待たせ」


 やがてエイクが二つの皿を持ってやってきた。一つの皿には、炒った蟻のような虫が盛られており、もう一つには巨大な紫色のウミウシのステーキがのっている。


 セールのアクアマリンの胃袋が不快に蠕動し、彼は口を押えて顔を背ける。


 食前の祈りも、いただきますもなく、エイクはウミウシをナイフで切り刻んで口に運ぶ。


「おいしいか?」


 セールは恐々聞いた。


「そうね。合理的に計算された味付けが絶妙ね」


「そうか」


 セールはウミウシの断片から流れ出る緑色の肉汁のついた皿に目を落としながら頷く。 そして、これ以上エイクが食事を進める様子を観察しているのに嫌気がさし、隣のテーブルに視線を遣った。

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