――おとぎばなし C――

――おとぎばなし C――(1)

「うーん、これはまた、随分と閑古鳥が鳴いているねえ。ベラドンナ」


 崩れた看板の前で、金髪の青年が呟きました。青年は高いのか安いのかわからない燕尾服を優雅に着崩しています。


 昔はさぞ旅人の気持ちを和ませてくれたであろう「お菓子の国」の看板は、今は崩れ落ちて、直す人もなく黄ばんでいます。


 通りに人はなく、店先には申し訳程度の素焼きのパンが、品数も少なく陳列されています。ただの廃墟よりも、中途半端な人間の存在を示す証拠が、かえってわびしさを助長しておりました。


 それにも関わらず、青年は最愛の恋人を見つけたかのような、人をとろかす笑みを浮かべています。


 彼は、まるでこの世に楽しくないことはないというような、暴虐な夏の太陽の雰囲気をまとっていました。


「全く、私は不幸なのです。ありえないのです。しまっておいた恋人1635号は、やっぱりあのビッチに盗まれていた上に、恋人10013号の『心』を強化するために隠しておいたお目当てのパーツは砂糖でべたべたで使い物にならなかったのです。おまけにモレクにこんな胸くそ悪い潰れる寸前の遊園地のような場所に連れてこられたせいで、気分は最悪なのです。早く私を楽しませるのです。この偽善者」


 そう梅雨時の風呂場のようなカビた調子で言ったのは、ベラドンナと呼ばれたゴスロリ服を着た幼女でした。


 髪はかわいらしいポニーテールで、将来は美人になるだろうと万人が疑わない美貌を持っています。しかし、子供らしい快活さは微塵もなく、青年とは対照的でした。


 人生全てに対して、怒っているような、すねているような、八つ当たりしているような。 


 まるで、自分に起こる悪いことは全て他人のせいだと思っている風でした。


「そんなことないよ。君は不幸じゃない。僕が君の側にいるからさ」


 ベラドンナを肩車していた身長1m80cmくらいの人形――恋人10013号が言いました。


 目玉はダイヤモンド、胴体はオニキス、下半身はプラチナ、血管はサファイアでできています。


 世の中の美形の最大公約数を集めて磨きあげたような人工的な美青年でした。


 目は慈愛に満ち、口角は僅かにあげられ、絶妙な慰めの表情を浮かべています。


 そう、人形を使役して、ベラドンナはその歩みすら自らの足ですることを拒んでいるのです。


「で、ホテルくらいは営業しているのですね? こんな所で野宿なんて絶対嫌なのです。腐れパンプキンお化けが出るのです」


 ベラドンナは人形のセリフをバックグラウンドミュージックのように無視して、彼女がモレクと呼んだ青年に問いかけます。


「それはわからないなあ。僕が前に来た時に、彼らの『疑い』の苦しみを取り除いてあげて、上手くいっているはずだったんだけど」


 モレクは偽善者と呼ばれたことを気にする様子もなく、返答しました。もっとも、返答というよりは、独り言に近い呟きでした。たとえ青年は話しかける相手がチョコレートの壁だったとしても、全く同じことを言ったでしょう。


「ホテルがないならさっさと通り過ぎてしまうのです。こんな街。私は早く究極の『恋人』を完成させなければならないのですから。クズのココノハしかとれない場所には興味ないのです」


 ベラドンナは意味もなく、人形の頭を何度も殴りつけました。人形は「激しい愛情表現だね」などと言ってへらへら笑いました。


「君は前、その人形で完成だと言っていなかったかい?」


 モレクが呆れ顔で問いかけます。


「形はこれで完璧なのです。理想的なイケメンなのです。問題は心です」


 ベラドンナは考え込むように腕組みして呟きます。


「それも、君は『人形に心なんかいらないのです。ただ、私を気持ちよくさせるセリフが吐ければいいのです。心なんてどうせココノハにするまで見えないのだから』と言って、その人形を作ったんだろ?」


 モレクは正確に、ベラドンナの声を模写して言いました。


「いちいち細かいことを覚えている詐欺師なのです。確かに最初はそう思っていたのです。ですが、造ってみるとこんなつまらない『恋人』はないのです。いつでも、私が望む言葉を吐くだけで、ドキドキがないのです。恋人にはドキドキが必要なのです」


 ベラドンナが不満げに吐き捨てます。


「じゃあ、前の恋人987号みたいに完璧な自立思考の心を持った人形を造ればいいじゃないか。君の腕なら簡単だろ?」


 モレクは鼻歌を歌いながら、ねっとりと溶けた街路をスキップしていきます。


「モレクは馬鹿なのです。完璧に自由な心を与えたら、それは『人間』と変わりないではないですか。それに、前の恋人987号がどうなったか覚えていないのですか。あのくそ浮気人形は、オルゴールのビッチ踊り子人形と駆け落ちしやがったのです。見つけたらバラバラにして溶かして、未来永劫日の目をみない深海の底に沈めてやるのです」


 ベラドンナが憎しみに顔を歪め、身体を震わせます。


「それは仕方ないじゃないか。心は常にハッピーを求めているんだから、邪魔するものは捨てるに限る」


 モレクは自分の言葉を噛みしめる様に何度も頷きました。


「ふざんけんじゃないです。『恋人』は私だけを愛し続けなければならないのです。これは絶対なのです」


「じゃあ、君は一体どんな恋人なら満足するっていうんだい?」


 モレクは空っぽのショーケースを、中にレアモノのプラモが入っているかのような食いつきようでのぞき込みました。


「恋人には確かに心がいるのです。恋人は悩み、苦しみ、誘惑に自己の弱さを嘆いて、それでも私だけを一途に思い続けるべきです。そのために恋人10013号を強化するちょうどいいパーツを砂漠にしまってあったはずなのに、あの恋人1635号を奪った泥棒猫が壁に穴を空けたせいで、砂糖が中に舞い込んで台無しになってたのです。おかげで、こいつは中身のないクソ恋人のままです。ファックです。泥棒猫死すべしなのです」


 モレクは今日何度目になるか分からない不平を繰り返して、人形の頭を肘で小突きました。


 根に持つタイプなのです。


「その泥棒猫さんも、恋人を千体、万体とっかえひっかえする君には言われたくないと思うけどねえ」


 特に皮肉を込めるわけでもなく、純粋な感想と言った調子でモレクは言いました。


 彼は思ったことを心の内にとどめておくということをしないのです。


 言わない不満は、内にこもって「邪魔なもの」となるのを知っていましたから、思いついた端から外に吐き捨てる主義なのでした。


「なにを言っているのですか。私は不幸なのですから、幸せになる権利があるのです。理想の『恋人』を求めるのは人間にとって必然的で純粋な夢なのです」


 人形が「そうだ。君は世界一ピュアだ」と追従を述べました。


「ああ! 救世主さま。助けてください!」


 その時、店先から一人の女性が飛び出してきて、モレクにすがりつきました。


 頬はこけ、エプロンは継ぎだらけになっています。


「やあ、久しぶりだね。名前は覚えていないけど、とっても懐かしいよ。何があったんだい?」


 女性は地面にくずおれて、涙ながらに語りはじめました。

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