表現規制

「ダメ......ではないんですけど」


それが私の編集担当Aの口癖だった。彼がこう切り出すと決まって表現上での手直しを要求する。ただ、彼の表現への配慮は少し神経質だとも思っていた。

 私がウェブで連載していた異世界もの小説の書籍化が決まったときも「奴隷を出すのは、ダメではないんですけど......」と言い出してきたので突如変更することになった。


そんな彼が、1週間前から行方が分からないらしい。


 私がそれを知ったのは、つい昨日の事だ。別の編集部の人がAが出社していない件で、うちに来ていないか尋ねてきた。当然、私は知る由もなくその旨を伝えた。その人はため息交じりに困惑しつつ、また連絡すると言っていた。


編集部からの連絡はなかったものの今朝方突然、Aから連絡があった。タイミングを計っていたかのような気味悪さで、驚きつつも彼のメッセージを開いた。

 そこには写真だけが張り付けられていた。写真は地図アプリのスクリーンショットで、おそらくAがいる位置にピンが刺さっていた。私は彼がそこにいることを伝えてきたと推察し、その場所へ向かうことにした。


「ここか? Aのいる場所は」


自分の持っている地図とも参照しながら、電車を乗り継ぎようやくAの指定した場所へやってきた。都内から約2時間くらいで、周りは東京都は思えないくらい緑が豊かだった。その先にある廃屋のような場所がどうやら目的地らしい。近くには電波塔のようなものがあり、元々放送局だったような様相がある。私は勇気を振り絞ってその廃屋のドアを叩いた。


「A? いるのか?」


必死にAを呼びかけるも、人のいる気配がない。私の勘違いだったのだろうかと帰ろうとしたその時、廃屋のドアの向こうから声が聞こえ始めた。私はその声がAだと思いドアノブを回した。瞬間、ドアがガチャリと勝手に開き始めて、それにつられるように中へ入っていってしまった。


「■■■■■■!」


意味不明な言葉が、いや言葉とも理解できないなにかが聞こえて来た。テレビやラジオで放送禁止用語を行った時のピー音とノイズが走ったような音だった。声のする方へ目をやると、人影が見えた。顔は陰で見えなかった。背格好と声質からして、なんとなくAだと思った。だが、底知れぬ不安もあった。


「A? なのか」


「■■■■■」


Aと思しき人物の言っていることは1ミリたりとも伝わってこない。

しかも、顔の表情さえ掴めないので怒っているのか、悲しんでいるのかはたまた焦っているのかすらもわからない。何も情報がないコミュニケーションほど、不快なものはない......。


「■■■■、サ、ト、ウ」


始めて聞き取れた単語だ。「サトウ」......。苗字だろうか。だがサトウなる人物に心当たりがない。しいて言うなら自分の本名だが、私はAに本名を明かしたことがない。だが、彼は私をしっかりと見つめて「サトウ」と繰り返し始める。


「一体何なんだよ! おまえ!」


「■■■、■われ、変■■、■■れ!!」


Aの手が私の掴む。その腕はひんやりと冷たく、べちゃりとしたヌメりがさらにじわじわと襲ってくる。私はその腕を振り払い、自分が入ってきたドアから逃げようとドアノブに手をかけた。だが、ガチャガチャと音を立てるばかりで開く気配がない。


「開け、開けよ!! ■■!」


自分の声とは思えない音が発せられた。今ここにいるAと同じだ。もしかして、この部屋にずっといると言葉が規制されてしまうのか? いや......。そんなのありえないだろ。


「お前のせいで、俺は!!」


足掻く俺に、諦めろと言わんばかりにAが俺の腕を引っ張り奥へ奥へと引き摺ろうとする。その一瞬、彼の顔が見えた。彼の黒くて深淵を見つめるような瞳ががっしりとこちらを捉えて離さない。


「や、やめろ! 放せ!!」


俺は申し訳ないと思いつつも、彼の腹部めがけて蹴りを入れて後、再度ドアに手をかけた。すると、意外にもするりとドアが開いた。光りのお陰か、家の奥へ引っ張る腕の力が緩まり、逆に光の方へと俺を引っ張り上げる力を感じた。


「早くこっちへ!」


力強く、頼もしい声が俺を闇から引っ張り上げる。腰を抜かして地面に倒れていると、引っ張り上げてくれた人はあの廃屋を押さえていた。俺もそれに合わせて震える足を起こして同じように押さえる。


「そのままで!」


そういうと、彼は板と釘でドアを封鎖した。ドン、ドン! と内側から突き破ろうとする音が聞こえるが、数回のうちに消えて音がしなくなった。ようやく、悲劇が終わり、その場で倒れ込むと手が差し伸べられた。


「大丈夫ですか? サトウさん」


「あ、ああ......。 え、ん? Aか?」


俺の目の前にいたのは、なんとAだった。少し老け込んだようにもみえるが、以前に会ったままの冴えない顔だった。その仕事に疲れて光を失くした瞳もそのままだ。


「他に誰がいるんです? サトウさんが失踪したって聞いたんで探してたんすよ?」


「え、い、いや......。失踪したのは、君の方だろ......。まあ、いいか。俺達無事だったんだし......」


正直、彼に聞きたいことは山ほどあった。彼のイメージにない言葉使いに不思議がりながらも屋敷を後にしようとした。すると、彼が俺の肩に手を置いた。


「そうですよ......。 あんな■■■なところ、忘れちゃいましょ」


「え?」






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